第17話

 マリアンナと王太子の結婚式は、雲一つ無い青空の下、王都の大聖堂で挙げられた。

 婚約発表のときから、彼女の無名さからの不信感、王太子妃になろうとしていた者たちの嫉妬ややっかみ、揚げ足取りなどがありながら、無事に予定通りこの日を迎えられたのは、王太子その人がこの結婚を強く望んでいることの表れだろう。


 針子のラトとエルテは花嫁衣装のドレスを仕上げると、当然お役御免であり、しばらくマリアンナが用意してくれた部屋で過ごしたあと、王都にやってきた。

 結婚式に参列することはさすがに出来ないが、結婚式の後、王宮のバルコニーで国民に対してのお披露目があるのだ。それにはぜひ参加して欲しいと言われていたので、二人は王都へやってきた。


 不安はあった。

 この良き日に、異色のドレスで式を挙げたマリアンナが人々に非難されないか。伝統を打ち破った意匠、失彩のエルテが手がけたドレス。それ故に人々に疎まれないか。


 結婚式は近親者や有力貴族、王国の高官などが参列し、近衛兵の厳重な警備の元、執り行われる。だから混乱は少ないだろうが、お披露目となると話は違う。もちろん近衛兵や王宮の兵士の警備は敷かれるが、その場にいるのは市民たちだ。貴族たちは夜に行われる晩餐会や舞踏会で王太子と新しい王太子妃に挨拶するという。

 貴族たちはさすがに表だって言わないだろうが、市民は違う。

 彼らは地位はないものの数はある。そして数は時に抗いがたい流れを作る。

 ラトたちにとって、このお披露目が肝心だった。


「ラト、緊張してる?」


 隣を歩くエルテが、ラトを見下ろす。


「はい……。どうなるかと思って」

「大丈夫よ」


 そう元気づけるエルテの瞳も揺れていた。

 不安を振り払うように、エルテは再び前を向く。

 二人が進む通りはこれまで見た町のどこの通りよりも幅があって、人々は王宮のある方向へとゆっくり流れてゆく。人々は幸せな結婚を遂げた若人を一目見たいと期待で胸を膨らませている。そんな彼らの瞳に、あのドレスがどんな風に映るのだろう。そしてそのドレスを仕立てたのが、失彩の針子と異邦人の容姿を持つ針子だと知ったら、どう思うだろう。

 ラトは一つ深呼吸をして、気持ちを紛らわせるためにエルテに声を掛けた。


「エルテさん、私、あの答えが分かりました」

「ん? どの答え?」


 エルテはどこか落ち着かない様子で、通りの人々に目をやった。


「いつか言っていた、誰にでも似合うものの答えです」

「ああ、あれね。何だと思う?」


 ラトは軽く目を閉じる。瞼の裏に、完成したドレスを身につけたマリアンナの輝かしい表情が今もありありと映し出す。


「笑顔、ですよね。誰にでも、どこにでも、いつでも身につけられて。それで服どころかその人を一番輝かせることができる。そうでしょう?」


 エルテがふと、息を吹いた。

 ラトを見下ろし、誇らしげな顔をしている。


「その通りだよ。あなたならそれに気づけると思ったわ」

「私一人じゃ無理でしたよ。マリアンナ様が気づかせてくれたんです」

「そっか。ならもうラトは立派な針子だね」

「エルテさんにはまだ遠く及びませんよ」

「そうね。技術も知識もまだまだだわ。それに経験だって足りない。でも針子として大事なことに気づいている。大きな前進よ」


 そのとき、通りの雑踏をかき消すような大勢の人の叫びが前方から響き、通りの人々も呼応するように声を上げた。

 ついに王宮でのお披露目が始まったのだ。

 お披露目は式後から夕方まで行われる。ラトたちがいつお披露目が行われているバルコニー下の広場まで辿り着くのかは分からないが、二人がそこに着くまでにドレスの可否は決しているだろう。


 いいや、もうバルコニーに行くまでも無かった。

 王城から響き渡る声は祝福に満ちた歓声。その歓声に通りの人々の期待がくすぐられる。

 ラトとエルテは、安堵の笑顔を浮かべて頷き合った。





    ○  ●  ○





 マリアンナは、いやマリアンナ王太子妃はその伝統を打ち破る花嫁衣装と共に国民に快く受け入れられた。


 そのうちマリアンナの花嫁衣装に用いられた、単色の濃淡を駆使して花や植物、時には動物やモチーフを描く意匠はエルテ法と呼ばれるようになり、王国中に広く知られ、至る所で使われるようになった。


 失彩の治療法は相変わらず見つからなかったが、王太子と王太子妃が子宝に恵まれ、王国も安泰そのものということもあって、それまでの印象で見られることはほとんど無くなったという。

 隣国同様に、失彩は針子の名誉となり、失彩を切欠に針子を辞めるものはいなくなった。


 そしてマリアンナ王太子妃の花嫁衣装を手がけた失彩の針子エルテは、結婚式の後、褐色肌の弟子と共に辺境伯領へと渡り、そこで新たな工房を開いたという。

 王太子妃や王妃に請われて、王都まで出向き、新たなドレスなどを仕立てることもあったが、ほとんどは自分の工房にいたという。

 やがてその工房は褐色肌の弟子へと受け継がれ、後の時代まで続く老舗針工房として知られるようになった。

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失彩の針子と濃紺の花嫁 アイボリー @ivory0126

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