第14話
失彩の針子。
もはやエルテの二つ名とも呼べるその言葉は、これからどんな意味を持ってくるのだろう。
それはこれから作る花嫁衣装によって決まるだろう。
「本当にこれでいくんですか?」
三日間エルテとマリアンナが話し合い、出来上がったデザイン画にラトは戸惑った。
それはこれまでの花嫁衣装とは大きく異なるものだったからだ。
形は変わらないが、それでも人々が思い描くものとは違う。
その違いが、エルテの失彩と共に人々に受け入れられないのではないだろうか。ラトは不安を抱かざるを得なかった。
「大丈夫よ。花嫁に必要なたくさんの花と王国の濃紺はある。あとは縫い上げるだけよ。それに色の分からない私にとってはこれが作りやすいわ」
「そうですが……」
エルテの瞳はもう色が分からない。
見た目では分からないが、それは間違いないという。そんなエルテでもこのデザインなら問題無いと胸を張っている。
そもそも色が分からなくても針は持てる。色が分からないだけで、技が失われたわけではない。
失彩は針子の腕に嫉妬した魔女の呪いなら、エルテの編み出したこのデザインは魔女の呪いに打ち勝った証とも言えた。
あとはこのドレスが人々に受け入れられる事を願うだけだ。
「さて、ラト。前と違って昼間にもドレスを縫えるけど、時間はあまり無いわ。材料もまだ届いていないしね。あなたの協力が不可欠よ」
「もちろん任せてください」
ラトはエルテの弟子。失彩のエルテが人々に受け入れられないと、生きていけない。そしてエルテが受け入れられるためには、マリアンナの花嫁衣装をなんとしても縫い上げなければならない。
そのために何かを惜しんでいられなかった。
翌日、ラトたちの元にドレスの布地が届いた。
ミュラー商会が牛耳る絹ではなく、マリアンナの生家である辺境伯領特産の麻布だ。しかしその色は濃紺では無く、純白であった。それでいて、絹とは違う光沢がある。
「これが、麻ですか?」
ラトの記憶にある麻布と、目の前の麻布は一致しなかった。
麻はもっとゴワゴワしていて、素朴さのある布だったはず。
「麻よ。亜麻という麻を使って布を織ると、こういう綺麗な布になるの。絹ではないけれど、素敵な布でしょう?」
「はい、こんな布があるんですね」
「これまでほとんど使わなかったものね、ラトが知らなくてもおかしくないわ」
これまで工房で扱っていた布は亜麻の布とは違う麻布や、綿の布ばかりであった。ラトは針子でありながら、エルテから指示されたまま針を動かしていた。もう少し布や糸に興味を持つべきだと痛感する。
針子の弟子とはいえ、知らない事が多すぎだ。
「糸はまずは白ね。染めたのはこれから届くらしいわ」
辺境伯からここまで距離がある。デザインを決定したと同時に布や糸を発注し、一番早く用意出来た白い布と白い糸が今届いた。これから順次必要な染色された糸が届くだろう。
「ともかく布が届いて良かったわ。型取りできるもの」
ラトたちは今マリアンナの母の生家に滞在している。マリアンナも同じ屋敷にいるから呼びやすく、型取りや修正がすぐに済むのがありがたかった。
「魔女が嫉妬するのも分かるわね」
仮縫いした無地の白いドレスを纏い、鏡の中のマリアンナが微笑んだ。ラトが首を傾げる。
「どういうことですか?」
「ただの布をあっという間にドレスにしてしまうんですもの。本当に魔法みたいだわ」
「そんなに難しいことはしておりませんよ。長年の経験です」
エルテは苦笑いを浮かべた。
針子であるならこれぐらい簡単にやってのける。さらにエルテはもうずっと針子をやっているのだ。手引き書なんて当然要らないし、記憶を探らなくても体が動いてくれる。
「それでもやっぱりすごいわ。そして色を奪ったぐらいではあなたの針を止めることはできないのね」
「そうですね。呪うぐらいなら色だけじゃなくて、視力すら奪えばいいのに」
エルテは心が決まったせいか、失彩の事実を受け入れていた。そのためか今のエルテはとても落ち着いていて、火事が起きる前と変わらないように見える。
つつがなく仮縫いされたドレスの補正が終わり、その日の夕方から、早速本縫いが始まった。
あの火事で買い求めた夜光虫ももちろん燃えてしまった。
せめて逃がしてやれば良かったと思うが、もうどうしようもない。マリアンナが使用人に用意させた夜光虫の元で、ラトとエルテは並んで針を動かした。
火事のことが嘘のような静かで、落ち着いた夜だった。
「エルテさん、これからどうするんですか?」
「これから? まだ何にも考えていないわ。ドレスを作り上げてからね。ラトはどうするの?」
「私ですか!?」
ラトはエルテと共に行くという考えしかなかった。
だからどうするのかとエルテに問われて、戸惑った。
「私はエルテさんと一緒に行こうと思っています」
「あなたらしい答えね。でも本当にどうなるのか分からないのよ? いくらマリアンナ様がああ言われたからと言って、本当に大丈夫とは限らないの。それに私だって工房はもう無いわ。あなたが今いてくれて、手を貸してくれるのはとても助かっているの。でも、これからも雇い続けていられるとは言えないわ」
「そうですが……。私はこの肌色ですし」
褐色の肌はこの王国では珍しく、長く暮らしていた工房のあった町もエルテと共に出てきてしまった。だからどこに行けばいいのかラトには分からなかった。
「肌のこと、まだ気にしているの? そんなの気にしているの、あなたぐらいなものよ。あなたが気にしているから、みんなが指摘するの。あなたは私の自慢の弟子よ。まだ若いし、知らないことも多いから工房を持つには早いけど、他の針子に胸を張って紹介できるわ。もしこのドレスが出来上がって、他の工房に行きたいのなら、私が一筆したためるわ」
「そんな、他の工房なんて考えたことはありません」
「なら、考えておいて。結果がどうなるか分からないとはいえ、あなたは王太子妃の花嫁衣装を縫った針子なの。だからその気になれば王宮の針子にだってなれるわよ」
王宮の針子。
ラトはその言葉に目を瞬かせた。
自分がそんなすごい事になっている姿を想像できなかった。むしろそんなことがあり得るのだろうかとエルテの言葉を疑う。
そのとき、いつか耳にした話を思い出した。
「待ってください。エルテさんは王宮に上がらないんですか?」
王族に嫁ぐ姫の、花嫁衣装を縫った針子は王宮に召し上げられるという。
以前にその話をしたとき、エルテは自分の工房があるから断るつもりだと言っていた。しかし今、その工房が無い。王宮に上がるのを拒む理由は無く、むしろ針子を続けるには好都合な気がした。
「上がらないわ」
エルテは針を動かす手を止めずに頷く。
どうして、とラトが尋ねると、ようやく顔を上げる。
「柄じゃ無いのよ。確かにこの花嫁衣装を縫えるのは嬉しいわ。でも王宮に上がったらこんな衣装を毎日のように縫って、見て、学ばなければならないの。常に最新の流行に目を光らせて、それに沿って服を縫わなければいけない。そういうのを考えたら、やっぱり私には合わないと思うのよ。私はこんなきらびやかな衣装じゃなくて、日常を彩る服なんかを縫いたいって思ったの」
「それを聞くと、大変そうです」
「そうでしょう? でも知見を広げるにはいいと思うわ。王宮なら他の国の人が訪れるから、異国の衣服や意匠も学べる。もしかしたらラトのご両親の国の人とも出会えるかもしれないわよ」
自分の両親。いるはずだけれど、顔も名前も知らないその存在を指摘されても、ラトは全くと言って良いほど心が動かなかった。想像が付かないとかではなく、興味が無いと言ったほうが近い。
そしてそれが顔に出ていたのか、エルテは意外そうだった。
「自分のルーツに興味は無い?」
「全くないとは言えないですが、熱心に探そうとは思えなくて」
両親の事より、針子としての腕を磨いたり、布や糸について知識を深めたかった。きっとそっちのほうが、生きていくために必要な事だと感じていたからだろう。
今さら両親に会っても、どんな風に接していいのか正直分からなかった。
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