第13話

「こちらでは失彩は魔女の呪いなんて言われているのね」


 アレンディア王妃陛下は優雅にお茶をすすりながら、感心した様子だ。そういえば王妃は隣の国の王女であったという。この国に嫁いで十何年と経っているとはいえ、知らない事はまだあるようだった。


「お母様の国では違うのですか?」

「ええ、魂が欠けたと言うのよ」

「魂って欠けるのですか?」


 いくら「気にしなくて良いわよ」と王妃本人から言われたとしても、一庶民のラトにはおいそれと王妃に口を挟むことはできなかった。

 それはエルテも同じだったようで、二人の代わりにマリアンナが王妃に尋ねた。


「あくまでもそう言われているだけよ。針子は針を刺す度に魂を糸を通して布に込める。だから美しいドレスや衣装ができるのだと言われているの。そうして布に魂を込めていったから、魂が欠けて、色が瞳から失われると」

「面白いですね。隣り合った国なのに、言っていることが全く違うなんて」

「そうね。私の国ではむしろ失彩は針子の名誉だったわ。私のお母様の針子も失彩だったのだから」

「へぇー!」


 失彩の針子。

 たったそれだけなのに、国が違うだけでこんなにも違うなんて。

 ラトはエルテに隣国に行こうと言うべきか悩んだ。そこだったなら、町を追われることも、工房を燃やされることもないだろうから。


「私は息子の嫁が、失彩の針子にドレスを縫ってもらえるなんてうらやましくて仕方ないわ。エルテと言ったわね、素敵なドレスを楽しみにしているわ」

「あ、あの……」


 エルテは今日、ドレスの依頼を断りに来て、ラトはそれを見届けに来た。

 それなのに今さら断るなんて言えなくなってしまった。

 エルテは戸惑いつつ、言葉を濁した。


「お母様、今ドレスのことについて相談していたのです。申し訳ありませんが、少しだけ席を外していてもらえませんか?」

「まぁ、そうだったの。ごめんなさい。今日はこちらに泊まっていくつもりだから、また後で話しましょう」

「はい、またあとでゆっくりと」


 エルテの戸惑いを察してか、マリアンナはアレンディアをそれとなく追い出してくれた。さすがに彼女を前にドレスの制作依頼を断れない。

 アレンディアとその付き人は、足早に客間を後にした。

 ホッと息を吐いたラトとエルテに、マリアンナは詫びる。


「ごめんなさい。お母様は急にいらすのよ。私も驚いたわ」

「本当に。仲がよろしいのですね」

「ええ、お母様のご紹介で殿下とも出会えたの。だから頭が上がらないわ。さて、エルテ。お母様もああ言っていましたが、やはり断りますか?」


 エルテは少し考え込むように目を伏せる。

 それから口にしたのは不安だった。


「私はマリアンナ様のドレスを作りたいです。失彩であったことを隠し依頼を受けたほどですから」


 しかしエルテの失彩はいつからか外に知られていた。

 傍にいたラトが気付かなくても、どこかで気付く者が確かにいたのだ。

 そして噂になっていた。


「ですが私の失彩はすでに公のものとなっています。故に私の失彩でマリアンナ様が失望されるのではないか、あらぬ嫌疑をかけられたり、罵られるのではないか、それが心配なのです」

「あら、私はあなたが失彩だと知ったから、あなたに依頼したのよ。そんなの覚悟の上だと思わない?」

「ですが……」


 マリアンナはそこでくしゃりと笑った。

 その無邪気な笑顔はあどけないが、彼女の素顔そのものだと思った。そして芯の強さがあった。


「そもそも私は王太子に嫁ぐのよ。ドレスが失彩の針子に縫われたぐらい、どうってことがないわ。それ以上の事をいろんな人が口さがなく言っているわよ。私は魔女どころか、国中の人が嫉妬するぐらい幸せになるのよ」


 その信じて疑わない言葉に、エルテはもちろん、ラトも呆気にとられた。

 人は誰しも幸せになりたいと思うものだが、こんなにも自分の幸せを確信した人は果たしているだろうか。

 そしてそんな彼女だからこそ、ラトは幸せになって欲しいと心から願った。


「なるほど、分かりました」


 幸せを願ったのはエルテもだった。ラトがエルテの横顔を見上げると、もうそこに戸惑いや迷い、不安はどこにも無かった。


「失彩の針子ではありますが、マリアンナ様の花嫁衣装をぜひ作らせていただきます」

「最高のドレスをお願いね」





    ○  ●  ○





 花嫁衣装のドレスを作ると決心したが、すでに簡単な話ではなくなっていた。

 それまで作っていたドレスはカイヤに奪われ、工房も燃え尽きてしまった。エルテには神父から手向けられたわずかなお金があったが、それで最高のドレスを作ることはとてもできない。


「あの、アレンディア王妃陛下に手を貸していただくことはできないのですか?」


 ラトは恐る恐る提案した。

 それにマリアンナができないと首を振った。


「私はまだ王族ではないのよ。だから王妃様に金銭的な援助は求められないし、材料の融通をお願いできないの。そうしたら、私の家族が王族に集ったという不名誉を与えてしまうの」

「そうなんですね……」


 ラトには全く縁の無い貴族や王族の話だった。

 結婚するのだから、同じだろうと思うがそうではないようだ。

 そしてマリアンナの家は辺境伯家。広大な辺境伯領を有しているが、裕福というわけでもなかった。すでにエルテに支払っていた材料費だけでも彼女にとっては大きな出費だった。


「せめて絹糸だけでも手に入れば……」


 とエルテは口を歪ませるも、難しいという。

 すでにエルテの失彩は公になっている。そんなエルテが針子として材料を求めても布屋や糸屋が答えてくれるだろうか。

 マリアンナや王妃は失彩でも構わないと言ってくれたが、他の人はそうではない。失彩は魔女の呪いなのだ。

 何よりミュラー商会は絹をエルテに売ってくれるだろうか。

 そもそも最初の濃紺の布だって、値段をふっかけたというのだ。今度はさらにふっかけるか、売ってもくれないだろう。


「どうして絹なんですか?」


 ラトは今は聞くべきでは無いと思いつつ、師にそう尋ねた。


「だって綺麗な布だったでしょう? 光沢があって、滑らかで……」

「はい、最高の布でした。でも絹にこだわらなくても麻でもドレスは作れませんか?」

「確かに形は出来るけれど、マリアンナ様は王太子殿下に嫁がれるのよ? 他の人と同じドレスでは……」

「あら、そういう理由で絹を求めたの?」


 マリアンナは意外そうな声を上げた。


「ええ」

「そうだったのね。私は花嫁衣装は絹で無いといけないのかと思っていたわ」

「いえ、必ずしもそうではありません。市民ではリネンで作る事が常ですので」

「あら、なら私もリネンで構わないわ」

「しかし……」

「それにリネンなら私が用意できるもの。私の家の領地はリネンの一大産地よ」

「へぇー、そうだったんですね!」


 ラトの関心の声を上げる。


「ええ。すごいでしょう?」


 マリアンナは得意げに胸を張った。


「それにいろんな花が栽培されていて、染料の産地でもあるの。王国のインディゴもうちが大半を作っているのよ?」

「えっ、そうなのですか?!」


 それはエルテも初耳だったらしい。

 インディゴは東方からの輸入品で、これまたミュラー商会が独占している商品でもあった。しかしインディゴの種は王国にも入ってきていて、栽培されているがその量は輸入品に比べて少なく、高価なためになかなか市場に出回らない一品でもあった。


「知らなかったの?」

「はい、初めて耳にしました」

「ならもっと早く言うべきだったわね」


 国産のインディゴなんて、高すぎてエルテのような小さな工房ではとても手に入らない。だから産地なんて気にしたことも無かっただろう。ラトも当然知らなかった。


「材料は、何とかなりそうね……」


 呟くエルテ。


「なら、すぐに作れそう?」

「すぐにはできあがりませんよ。デザイン画も燃えてしまいましたから、思い出さなくては……」

「なんなら新しく作らない? だって、前のデザインは失われたし、ドレスは奪われてしまったのでしょう?」

「ええ、しかしよろしいのですか? 前のデザインを気に入っておられたではないですか」

「前も良かったけど、漏れてしまったから。ドレスを奪われたってことは、似たようなものが出回ってしまうでしょう?」

「ええ、おそらく。分かりました。ではまた一から作りましょう。前と比べて時間がありませんが、全力を尽くさせていただきます」

「楽しみにしているわ、失彩の針子エルテ」

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