第12話
マリアンナ嬢が今いるのは、ラトたちがいた町から馬車を乗り継いで半日のところにある貴族の屋敷だった。
広大な王国の端にある辺境伯領では遠いので輿入れの準備は難しく、母親の実家であるこの屋敷に滞在し、結婚に向けた準備をしているのだという。
朝一番の馬車で町を出たラトとエルテは、昼過ぎにそのお屋敷に辿り着くことが出来た。
慣れた足取りのエルテに対し、初めて来た貴族の屋敷にラトは臆してしまった。
「そっか、ラトはこういうところは初めてだったわね」
エルテは過去に何度か貴族から依頼を受け、作品を納めたことがあった。ラトもその仕事を手伝ったことはあるが、依頼主と会うことはまずなかった。
ラトは王国人でありつつ、その肌色は白ではなく褐色。故に異邦人へ警戒を抱きやすい王国では表に出ることはあまりなかった。ましてや貴族階級の人々は特に明らかに容姿の違う異邦人を良く思わないという。
だとしたら、ラトがついてきたのは実は良くなかったのかもしれない。
例え訪問の目的が依頼を断ることとはいえ、要らぬ誤解を招きかねない。
しかしエルテは今さらラトを置いていくつもりは無いらしく、歩調は緩まなかった。
エルテに断りに行こうと言ったのがラトの手前、待ってくれとはとても言えない。
そしてついに、二人は屋敷の玄関先に辿り着いてしまった。
○ ● ○
屋敷を訪れたエルテとラトは、執事に案内されて客間に通された。椅子を勧められ、とりあえず腰を下ろしたラトだったが、どこまで座っていいのか分からず、浅く腰かけ、沈み込む綿入りの座面に戸惑っていた。
対してエルテは決心がついたためか、とても落ち着いた様子だった。
ただ静かに自分の失彩を受け入れ、マリアンナを待っていた。
「エルテ!」
張り詰めるような静寂を打ち破って現れたのは、薄茶の長い髪を振り乱した女。少女のような幼さが残る顔立ちからしても、成人前後と思われた。
「マリアンナ様、お久しぶりです」
エルテは立ち上がり、彼女の前で膝をついた。
そうかこの人が花嫁衣装の依頼主マリアンナ嬢なのだ。
「良かった、あなた無事だったのね……! 工房が火事になったって今朝聞いて、心配していたのよ」
「ご心配おかけいたしました。私も弟子もこの通り無事でした」
「本当に良かった。火事に遭ったばかりで大変だったでしょう? そうだわ、お腹空いていない? すぐに何か用意させるわ」
「いえ、お気遣い無く。私も弟子も、すぐに帰りますので」
「そんなこと言わないで。ドレスの事も話したいのよ」
マリアンナからその事が口に出され、ラトはぎゅっと胸の前で腕を抱いた。
「実はそのことで私どもは参ったのです」
「どういうこと? 話は聞くわ、まずは座って。ほら、あなたも」
そこでラトはようやくマリアンナに声を掛けられた。彼女は褐色の肌を持つラトに驚いたようだったが、顔色を大きく変えることはなかった。
間もなくお茶と茶菓子をワゴンに乗せたメイドがやってきて、ラトたちにお茶を淹れてくれた。
エルテを立たせたマリアンナは、エルテをラトの隣に並んで座らせ、自分はその向かいに腰を下ろす。
「何よりあなたたちが無事で良かったわ。ところで今日来ているのはあなたたちだけなの? 弟子は五人いるって聞いていたけれど」
「残りの弟子は火事の前に解雇しておりました」
「そうだったの? なら火事で誰も怪我をしていないってことね」
マリアンナという女性はとても心優しい人だった。そして前向きな人だった。不幸の中に幸運を見つけ、ラトたちに慈愛に満ちた笑みを向ける。
「工房が燃えてしまったでしょう? ドレスは大丈夫だったかしら……?」
エルテは弱々しく首を横に振った。
「実はあの火事は放火なのです。解雇した弟子の一人が作りかけのマリアンナ様のドレスを盗み、制止しようとした私たちに火の点いた薪を投げ、起こったのです」
「まぁ」
マリアンナは口に手をやり、言葉を失った。
「解雇された腹いせかは分かりません。ただドレスは私どもの手元には無く、燃えてもおりません。しかし取り戻すのは難しいでしょう」
「そうだったの。でも失われたなら、また作ればいいのよ。あなたが無事だったから、それができるでしょう?」
「マリアンナ様、それはできません」
エルテは真っ直ぐにマリアンナを見つめた。
「これまで黙っていて申し訳ありません。私は失彩を患い、もう色が分からなくなっております」
ラトはずっと口を結び、エルテとマリアンナを見つめていた。
エルテの告白のあと、マリアンナは目を瞬かせ、言葉を失う。不意に訪れた静寂にラトは自分の忙しない鼓動が耳障りだと思った。
「失彩は魔女の呪い。魔女に呪われた私めが、マリアンナ様の花嫁衣装を縫うなどできません。どうかお許しください」
エルテの言葉に熱がこもり、エルテは本当にこの仕事をやり遂げたかったのだとラトは改めて気付いた。
マリアンナは左手を左頬に当て、首をわずかに傾げた。
「どうしてかしら」
その言葉を、エルテはなぜ病にかかったのかという問いだと考えた。
「失彩になぜかかるかは分かっておりません。しかしとりわけ針子がかかりやすいので針か糸、そのようなものが原因ではないかとも言われております」
「いいえ、そういうことではないわ。なぜドレスが作れないの? 失彩は目の病と聞いていて、視力を失うわけではないのでしょう?」
「はい、視界が黒と灰色と白に染まるのです。しかし魔女の呪いを受けた私めがマリアンナ様の衣装を縫うなど不吉でしかありません。これから幸せになられるあなた様の将来に陰を差すわけにはいきません」
「失彩は魔女の呪いで、魔女は針子の腕に嫉妬して呪いを掛けるのよね?」
「はい、そのように言われております」
「私は魔女があなたの腕を認めたとも考えているのよ」
「え?」
思わぬ言葉にエルテはマリアンナを見つめた。
「だって嫉妬されるぐらいなのでしょう? しかも仕事が出来ないように色を瞳から奪うなんてすごいじゃない。むしろ私は失彩は針子の腕の証と考えたの。だから失彩にかかったと噂で聞いたあなたに、花嫁衣装を依頼したの」
「はい?」
「どういう事ですか……?」
横で聞いていたラトも目の前の女性の考えについて行けていなかった。無礼ながらも思わず問いかけていた。
すると彼女は気にした様子もなく、瞳を輝かせて教えてくれた。
「私は生まれも育ちも辺境の田舎で、馴染みの職人ってほとんどいないのよ。服だってお下がりや自分で縫ったりして済ませてきた。でも花嫁衣装ってそういうわけにいかないでしょう? だからいろいろな職人を当たってみたんだけれど、なかなかいい人に巡り会えなくて……」
「ミュラー商会がいらっしゃるではありませんか」
東方との交易を一手に担う大商会。あそこなら間違いなく一級品の品を納めてくれることだろう。
「ミュラーね。あそこはちょっと……。あなたたちしかいないから言うけれど、あそこは裏で私の婚約者の事を貶めていたから、絶対に選ばないと決めているの」
マリアンナの婚約者といえば、将来の国王である王太子だ。
仮にも大商会を自ら名乗るのであれば、口には気をつけるべきだった。誰がどこで何を聞いているか分かったものではないのだから。
むしろラトはそんな大商会でも、あの四人のように失言で失敗をするのかと驚いた。
「そんなときにあなたの失彩の事を耳にして、魔女が嫉妬するぐらいの針子なのだから、腕は間違いないと思ったのよ」
「そうだったのですか……。しかし失彩の針子が縫った衣装はやはり縁起が悪いです。あなたはこれからの王国を担うお方でもあるのです。私めにはとても縫えません」
「魔女の呪いね。そんなに気にするものかしら」
「全くね」
不意に差し込まれた全く聞き覚えの無い声に一同の目は点となり、一斉にその声がした方に目を向けた。
黒色の艶やかな髪を結い上げた妙齢の女性が客間に入って来たところだった。着ている服は質素であるが、針子のラトにはそれが丁寧に作られ、手間と時間を掛けられた一級品であるとすぐに分かった。
女性は明らかに高貴な方。後ろに従える一人の女性も同じように質素でありつつも品を滲ませる佇まい。二人はただ者では無いとラトは背筋を伸ばした。
「お母様、いらしていたの?」
マリアンナ嬢の母親だったらしい。
だがラトには意外だった。二人はあまり似ていない。髪の色から顔立ちに、背格好。
マリアンナは田舎の生まれ育ちと言っていたが、母親は生粋の貴人に思えた。
もしかして二人は別々に暮らしているのだろうか。
「エルテ、それにえっと……」
「ラトと申します」
今更ながら、ラトは名乗っていなかった事に気がついた。
「ラト、ね。良い名前だわ。こちらは私の婚約者の母、アレンディア王妃陛下よ」
ラトとエルテは慌てて立ち上がり、膝をついて頭を下げた。
「お忍びで来ているの。格式張ったことはやめましょう。さ、立ってちょうだい」
「失礼いたします」
エルテとラトは再び立ち上がるも、とても座ることなどできなかった。
「もう、いらっしゃるなら事前に伝えてくださればいいのに」
「使いは出したのだけれど、きっとどこかで道草を食っているのね。困ったものだわ」
「そんなこと言って、どうせ使いなんて出していないのでしょう? いつも突然いらっしゃるのですから」
呆れつつも許したように笑うマリアンナに、アレンディアは得意げな笑みを浮かべる。
まさかの人物の登場に、ラトもエルテも身じろぎすらできなかった。
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