第7話

 翌日も、エルテの針工房は店は臨時休業だった。それでも作業場での仕事はあった。ラトはいつも通りに起きて、簡単な朝食を済ませて、作業場で今日の準備をし始めたが、あの四人は現れなかった。

 朝二つの鐘がなる頃には必ず来るのが決まりだったが、昼一つの鐘がなっても現れなかった。

 辞めたのかな。だとしたら良いな。

 どこかラトはホッとしたように考えた。


 昼二つの鐘が鳴る頃、店の扉に取り付けられたベルが鳴った。

 ラトは臨時休業の吊り看板に気付かない客が来てしまったのかと慌てて店に駆け上った。


「ただいま」

「エルテさん。お帰りなさい」


 店に現れたのは、この工房の主エルテだった。胸をなで下ろしたが、昨夜気付いてしまったことが気まずく感じられた。


「あれ、どうしたの?」

「い、いえ」

「あの四人は?」


 表情からラトの内心を悟られたのかと思った。


「えっ」


 そういえば、もういなくてはいけない四人だ。あの四人もエルテの弟子。ちゃんと仕事を任されていた。

 エルテは下り階段をのぞき込んで、かしましい話し声を探った。


「来ていないの?」

「え、ええ」


 ラトが戸惑いがちに頷くと、エルテは呆れたようにため息を吐いた。


「全く。だから信用できないのよ。今日の夕方に帰るって誰かに言った覚えがあるから、そのうち来るでしょう。そうだ、ラト。これ、お土産」


 エルテは提げていた鞄から、リボンで留められた堤を取り出した。


「いいんですか?」

「もちろん。あの四人にも用意したけど、無駄になったわね。部屋に置いておいで、見つかるとうるさいから」

「はい」


 堤は手の平大。大きさや重さ、何より香りからして、きっとお菓子だ。

 針子として働いているラトだったが、お菓子を食べるのは稀だった。嫌いではない、むしろ大好きだけれど、贅沢だとどうしても感じてしまう。


「ありがとうございます」

「いつものお礼だよ。ここ最近は夜も頑張ってくれているからね」

「今日も頑張ります」

「ああ、今日はやらないわ。私も疲れているから」

「分かりました」


 ラトとエルテは笑顔で頷き合った。

 そしてラトはお土産を屋根裏部屋に持って行き、店に戻ろうと階段を降りているとき。


「今さら何しに来たの?」


 エルテの鋭い声にラトは体を強ばらせた。ラトはエルテに怒られたことはあまりないが、自分に向けられたわけではないが、怒りを感じて怖かった。

 そしてその声は店ではなく、さらに下の部屋から響いてきたようだ。


「あなたたちにこれだけはやっておくように言ったわよね? 何で今になっても出来ていないの?」

「だって」

「まともな理由なんでしょうね?」


 どうやらラトが屋根裏部屋に行っている間に、エルテは店の下の作業場に向かい、昨日のまま投げ出された仕事を見て激昂したようだ。そしてさっきまでいなかったはずのイザベラの声が混じっているということは、気付かれないように炊事場にある裏口からやってきて、運悪くエルテと鉢合わせになったのだろう。


「ラトがやっておいてくれるって、言ったんです」


 毅然とシャロンが言った。

 店の階段の上で、ラトは階下に耳を傾けていた。そしてシャロンの言葉にすかさず心の中で言っていないと反論した。


「だから私たち、早めに仕事を切り上げて帰ったんです」

「そうなの?」


 エルテが尋ねると、そうですそうなんですとそれに続く声。どうやら四人は揃ってやってきていたらしい。


「へぇー、それじゃあ昨日の昼間に通りのお菓子屋で買い物していたのは、そういう理由だったの。じゃあ今日は何で今来たの? いくらラトでも五人分の仕事はできないわよね?」

「今日、具合が悪くて」


 イザベラがすかさず言った。


「少し寝たら元気が出たので、来たんです」

「あなたたちも?」


 再びそれにそうですそうなんです、続く声。

 端から聞いているラトは、さすがに四人とも同じ理由が通じるとは思えないと思った。あの四人は冷静に見てみると、隙があるようだ。


「四人とも? それはいけないわ。ラトだけ無事なことを考えると、昨日あなたたちが食べたっていうお菓子が原因じゃないかしら。私の大事な弟子たちが四人も食あたりを起こしたなんて許せないわ。すぐに店に抗議に行くわよ」

「えっ、あ、もう、大丈夫ですから」

「でも仕事に支障が来しているから、その賠償を求めないと。それにあなたたちのご両親に大事な娘さんをこんな目に遭わされたってちゃんと訴えないといけないわ」

「そんなことしないでください、もう大丈夫ですから」

「そんなわけには行かないわ。仕事ができあがっていないわけだから」

「わ、私たちがちゃんとやっておきますから!」

「四人とも具合が悪かったのでしょう? そんな病み上がりの人に仕事は任せられないわ。ほら、それぞれ家まで送ってあげるわよ」

「大丈夫ですって、今は元気ですから」

「そうです、それに工房にラトを一人にできません!」


 シャロンが不意にラトの名前を出した。

 その言い方にラトだけでなく、エルテも眉をひそめた。


「あら、どうして?」

「実はずっとエルテさんに言おうと思っていたんです。あの子、工房のものを盗んで売っているんです。私見たんです、昨日私たちが帰った後、あの子が万屋に銀糸を持ち込むの!」


 ラトは思わず怒りに拳を握った。

 真っ赤な嘘だ。ラトはそんなことしたことない。しようとも思わない。工房で針子として働いて、十分な賃金を得ている。その上盗みを働こうなんて思ったことも無い。


「銀糸? それ、どこにあったの?」


 エルテの訝しむ声。

 ラトはまさかエルテはシャロンの言葉を信じていないか気が気ではなかった。

 そもそもラトは資材庫に銀糸があるなんて、今初めて知った。金糸や銀糸など、特に高い糸は、店の上の階にあるエルテの作業場の金庫に仕舞い込まれていると聞いたことがあった。


「資材庫のボタンケースの中です」

「そのボタンケースの中に、貝殻のボタンあった?」

「ええ、ありました!」

「おかしいわね。ボタンケース、鍵が無いと開けないはずで、その鍵は私しか持っていないはずよね?」

「あ」


 シャロンは墓穴を掘った。

 資材庫にボタンケースがあるのをラトも知っている。値の張るボタンだけがしまわれた、壁に備え付けの引き出しをこの工房ではボタンケースと呼んでいた。そしてエルテの言うとおり、常に鍵が掛けられていて、その鍵を持つのはエルテだけ。そのボタンケースにしまわれたボタンはエルテしか使わないようになっているからだ。

 ラトたちは別の引き出しの安いボタンを使っている。


「私が何も知らないと思わないで。リックもカルロスもエトワールも全部教えてくれたわよ」

「ち、違うんです」


 なおも言い募ろうとするイザベラに、エルテは特に低い声で言った。


「具合が悪いのでしょう? なら家でしっかり寝て休みなさい。しばらく来なくて良いわ」

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