第6話

 その日、エルテはマリアンナ嬢に呼び出されて、彼女のいる屋敷へと出かけた。

 今彼女は実家の辺境伯領ではなく、母親の生家に身を寄せているらしい。それでも工房のある町からは馬車を乗り次いで半日かかるところで、帰りは明日になるそうだ。

 エルテがいない間、店は臨時休業となったが、依頼された仕事を片付けるように命じられた。

 しかし。


「ねぇ、通りの焼き菓子店に新しい味のブラウニーが置いてあったの、知ってる?」


 甘味の情報に耳の早いのはナタリーだった。

 今日も相変わらず賑やかな四人は、エルテがいないこともあって、今日は一層浮かれているように思えた。


「本当? 知らなかった」

「ねー」

「食べたいわね。そうだ、ね、今から食べに行かない?」

「えー、仕事は?」

「いいじゃない。そんなの、あいつにやらせておけば!」


 四人は部屋の隅で黙々と作業するラトを振り向いて、クスクスと嫌らしい笑い声を上げた。


「そうする?」

「えー、どうしようかなぁ」


 と、イザベラが他三人を伺うも、四人の中ではもう決まっているようだ。


「しょうが無いわよねぇ」

「そうよ、仕方ないわ」

「そうそう、丁度お小遣いも入ったしねぇ」

「そうだったわ。じゃあ、決まりね」


 またも四人はクスクスと笑い合う。


「ラト、あとはあなた一人でやっといてね!」


 こういう押しつけをするのは決まってシャロンの役目で、それをはやし立てるように「ひどーい」と笑うのはナタリーとカイヤだ。

 四人はラトの返事を待たずに、逃げるように針や布、糸を放り出して作業場を出て行った。


 エルテが戻ってきたら言いつけよう。

 ラトはそう心に決めた。

 告げ口みたいで嫌だったが、仕事を放り出したのはあの四人。ラトは自分に出来る程度の仕事だけして、エルテに事情を説明すれば納得してもらえるだろう。


 それにしても、あの四人が言っていたお小遣いって何のことだったのだろう。

 給料日の月末はまだ先だった。いや、あの四人はラトと違って家から通う針子。それぞれ存命の両親や兄弟がいて、きっと誰かからもらっただけの話なのだろう。身寄りの無いラトを前にそれすら優越に浸る材料になったのだろう。

 別にラトに両親がいないわけではなく、知らない、分からないだけなのに。


 作業場の大きな窓から、赤々とした西日が差し込むとラトは針を留めた。

 今日はここまでにしよう。

 ラトは自分に割り振られた仕事は無事に終え、自分の分の片付けだけは終わらせた。あの四人が放り出した分はそのままにしておいた。


 簡単に夕食を済ませて、屋根裏にある自分の部屋へと戻った。

 工房の店の上階がエルテの作業場であり、その上がラトが寝起きする屋根裏部屋となっていた。工房が建つ場所は二つの通りに挟まれていたが、高低差があるために、店は三階にあり、炊事場が一階にあった。

 エルテがいないから、今日は夜の作業が無かった。

 ラトは今日は早めに寝ようと考えていた。

 そして、エルテがいないなら、あることができる。

 階段を昇るラトの足音はどこかリズムを刻んでいた。





    ○  ●  ○





 夜の間に作られるドレスは、作っていないとき、ラトの屋根裏部屋で保管していた。ドレスだけではない。濃紺の絹布の切れ端も、エルテが描いたドレスのデザイン画もそこに置かれている。

 エルテはあの四人にドレスのことを隠すために、あえてラトの屋根裏部屋に閉まっているようだった。

 あの四人は絶対にラトの部屋に近寄らないから。

 当初はエルテの判断がラトには不可解だったが、エルテがいないからと仕事を投げ出すあの四人を見れば納得である。エルテはちゃんとラトたちを見ていたのだ。

 そしてあの四人と違う、信用できると判断された事がラトは誇らしかった。


 ラトは作りかけのドレスが仕舞い込んである衣装箱の中から、エルテが描いたデザイン画を取り出した。

 そして部屋の隅に吊るされ、黒い厚布を被せられた虫かごを引っ張ってくる。

 夜の作業中、エルテのデザイン画を見ることは幾度となくあった。しかしじっくり見る事はできていなかった。ラトはずっとじっくりと見てみたいと思っていたのだ。そしてようやくその機会が巡ってきた。

 デザイン画はドレスの全体像はもちろん、これから施されるであろう花々の刺繍の図案も一つ一つ丁寧に描かれている。


 ドレスの胸元には王国の花であるバラが刺繍される。

 そのバラから蔦が伸び、時に枝分かれし、ドレス全体に広がっている。そしてその蔦からバラの代わりにいろんな種類の花が葉を広げて、咲き誇る。そんな意匠だった。

 胸元に置かれたバラを中心に、豊かさや願いを込められた花々に繋がる。素敵なアイデアだ。

 ラトは夢中で花々のデザイン画を一つ一つ時間を掛けて眺めていった。


「あれ」


 白っぽい夜光虫の光のもと、ラトは目を瞬かせた。

 何かの見間違いだろうかと、目をこする。しかしそれは変わらなかった。不思議に思って、まだ見ていないデザイン画を繰って、息をのんだ。


────やっぱりエルテ、失彩にかかっているわ。間違いないわ。


 いつかのシャロンの言葉が、冷たくて嫌な感じを伴って、ラトの中に反芻された。


 エルテのデザイン画のいくつかに、紺色の蔦や葉が描かれているものがあった。そういう意匠なのかと思ったが、ドレスの布地は濃紺だ。紺色の糸を使えばそれは紛れてしまう。それに他の花々のデザイン画は全て緑や濃い緑色の葉や蔦が使われている。

 エルテは間違えたんだ。

 その瞳から色が失われ、緑色と紺色の違いが分からなくなってしまい、紺色で葉や蔦を描いてしまった。


 エルテは失彩を患っている。

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