第5話
「エルテさんって、王宮に上がるんですか?」
夜光虫を求めたその日の夜、昨日裁断した布を縫い合わせていたとき、思い切ってラトはエルテに尋ねた。
「急にどうしたの」
確かに急だった。
「今日聞いたんです。花嫁衣装を作った針子は王宮に上げられるって。だからエルテさんも、そうなのかなって」
「そういうことね。確かにそういう慣習はあるわ。だから針子の中にはそのために花嫁衣装を作りたがる者もいるのよ」
王宮勤めの針子となれば、王太子妃だけでなく、国王や王妃、他の王族や将来生まれてくる王子や王女にも服を縫うことになる。さらに工房を構えるよりも安定した生活をできて、一役人として賃金も跳ね上がる。
孤児のラトにとっては、大成功でしかなかった。
「でも、行かないわ」
「え?」
思わずラトは針を動かす手を止めて、エルテを見上げた。
「信じられないでしょう? でも私は王宮上がりは断るつもりなの」
「どうしてですか?」
ラトの脳裏に失彩がよぎる。まだそうだと確信したわけでは無いけれど、王宮上がりを断るなんて、よっぽどの理由だから。
「店があるから。ラトは知らないだろうけど、私は店を構えるのが夢だったの。店を構えるって夢は叶ったけど、それで終わりじゃ無いでしょう? せっかく構えた店を大事に育てていく。それが私の今の夢なの」
「でも王宮に勤めながらお店は持てませんか?」
「できないことはないわね。でも、中途半端なことはしたくないのよ。それにマリアンナ嬢は私の事を認めて花嫁衣装を依頼したけど、私の実力は王宮の針子に勝るとは思えないのよ。あそこは外交の場にも出せる服を作っている。そんな腕前の人たちが当たり前にいて、私がそこで生きていけるほどの腕があるとはどうしても思えない。だから、恥をかく前に退こうと思うのよ」
エルテは諦めたように笑う。
そう言われたら、ラトはもう何も言えなかった。エルテは自分の師であったが、その師が王宮でやっていけるかと問われれば、答えに窮してしまう。ラトが王宮の針子がどれぐらいすごいかは知らないが、町の針子でやっていけるかと聞かれると難しいのではないかとしか思えなかった。
「マリアンナ様に依頼された花嫁衣装だけはちゃんと作るわ。お願いされたんだから、答えなきゃね。これが私の一世一代の大仕事になるのは間違いないわね。あとはミュラー商会が勝手にすれば良いのよ」
夜の間、二人だけで勧められるドレス作りはゆっくりとだが、確実に完成に近づいていた。
もっとも、今二人が作っているのは刺繍が施される前の土台となるドレス。
ドレスが形を成してもまだ半分も出来ていなかった。
「このドレスっていつまでに作れば良いんですか?」
「結婚式は今度の冬で、完成は晩秋までね」
今は初夏で、刺繍の工程を考えるとまだ余裕がある日程だった。これから空気がカラリと乾いた夏がやってくる。夜は涼しい風が吹くので、夜の作業はやりやすいだろう。
「ねぇ、ラト」
「何ですか?」
ドレスの裾を始末していたラトは一針一針慎重に針を動かしていた。
エルテもラトも作業中は黙り込む性質だった。だから針を動かす間、二人の間に沈黙が降りるが、それは不快な沈黙では無かった。
そんな中、不意にエルテから問いを投げかけられた。
「誰にでも似合うものって何だと思う?」
「誰にでも? そんな服ってありましたか?」
衣服は男物と女物がある。子どもだってそうだ。男児と女児では当然違う。男にはレースは使わないし、女はネクタイを締めない。
「誰にでも、ですよね? 年齢も問わずに?」
「もちろん。赤ちゃんにも、おじいさんにもおばあさんにもね」
エルテのヒントでさらにラトは首をひねる。
赤ちゃんが着る服なんてお包みとか、おむつとか、お祝い事でおめかしはするだろう。おじいさんとおばあさん、赤ちゃんの共通点といえば、おむつかもしれないが、それは誰にでもという条件には合わない。
エルテは老若男女問わずに似合うものと言っているのだ。
果たしてそんな服はあっただろうか。
老若男女全員が着るものと言えば、下着があるかもしれないが、似合うというのもおかしな話だ。そもそも人に見せるものではない。いや見せる場面もあるかもしれないけれど、そればベッドの上とか、そういう特殊な場面で。
「ええっと、答えって何ですか?」
「分からない?」
「はい」
「ならもう少し考えてごらん。あなたの見つけた答えをいつでもいいから教えてよ」
「はぁ、分かりました」
エルテはなんでこんなことをラトに問いかけたのだろう。
エルテの考えでは、その問いには必ず答えがあるらしく、ラトには全然見当が付かなかった。
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