第4話
シャロンの言葉は、翌日の三人の他の弟子たちにすぐさま影響を与えた。
「ねぇ、やっぱりそうよ。間違いないわ」
店でエルテと共に接客していたイザベラが、客が帰るや否や、階段を駆け下り、作業場に鬼気迫る顔で飛び込んでいた。
「どうしたの?」
シャロンが手を止め、顔を上げる。
「昨日のこと。本当だったわ」
何が、とは言わない。
今作業場には何も知らないことになっているラトもいて、上の店にはまだエルテもいる。だから絶対に失彩という単語は口にしない。
「十七番と二十一番を間違えたのよ」
「ええっー」
イザベラの言葉に、他三人は声を潜めて驚き、そして息をのんだ。
その番号は糸の色番号だ。十七番は濃いめの赤、二十一番は薄い茶色。確かに色としては間違えようもないだろう。
でも失彩だったとしてもその二つは果たして間違えるだろうか。
ラトは、おそらく糸を束ねているラベル表記を反対から見ただけではないかと思った。「17」と「21」なら上下逆にしてみると、よく似ているから。
そしてラト自身、その手の間違いが何度もある。
糸屋だったなら、糸の色を見て番号を言い当てられるだろうが、ラトは針子をして九年経つものの、どの色が何番かは正確には分からない。だって赤には濃い赤から淡い赤、黄色の混じった赤に、暗めの赤もある。そのどれも番号がバラバラで、仕入れ先によってはとってもよく似た赤なのに全く違う番号が振られていることもある。
いちいち覚えていられないのだ。
「ラト、ちょっとお使いに行ってきてくれる?」
エルテが足音も無く降りてきたので、こそこそとエルテの陰口をささやき合っていた四人は大げさに肩を弾ませた。エルテはその四人には気にも留めず、ラトの元へ向かうと、財布を渡した。
「はい、何を買いますか?」
「財布の中にメモ入れてあるから」
「分かりました。行ってきます」
ラトは手がけていた布を脇に置くと、エルテから財布を受け取った。
エルテの脇を通り抜けて、お使いに出かける最中、さりげなく四人を見やるとお化けに出くわしたような顔でエルテを見ていた。
○ ● ○
財布の中のメモには、昨夜言っていた夜光虫の他にレースやビーズが記されていた。指定されているものは夜光虫以外は普段使いのものばかりなので、本当にただのお使いのようだ。
昨日は、あの綺麗な絹の布の裁断をした。
エルテはいつの間にか型紙の作成、別の布でドレスの雛形を作って、マリアンナ嬢の体に合わせた微調整まで終えていた。ラトが手伝うように言われたときには、もう本番用の制作に取りかかっていたのだ。
ラトもエルテに声を掛けられるまで、ここまでドレス制作が進んでいるとは思わなかった。
「こんにちは」
ラトが城門近くに軒を連ねる商店に顔を出すと、店番をしていたおばさんが顔を上げた。
「あら、エルテ針工房の子ね?」
「お久しぶりです」
この商会にはラトも時折顔を出すところだ。そしてラトは白い肌ばかりのこの王国では、珍しく浅黒い肌色をしているから、すぐに顔を覚えられてしまうのだった。
工房のある町は街道が貫いていることから人の行き来も多く、人の入れ替わりも多々あった。この町の馴染みの店や人はさすがにラトがエルテ針工房の針子だと知っていた。
「今日は何が欲しいの? 油かしら?」
「それも欲しいです。今日って夜光虫はありますか?」
油は針がさびないように切らしてはいけないものだった。ラト問わず、針子が必ず求めるものだった。
しかし今日は別の用事もある。
「もちろんよ。最近忙しいの?」
「はい、依頼がたくさん舞い込むようになったんです」
夜光虫は夜行性の虫で、夜になると活動し、真昼のごとき輝きを放つ虫だ。夜の作業には欠かせない存在で、夜光虫を求めるということは、夜も作業しなければならない。つまり繁盛している証でもあった。
「花嫁衣装のおかげね」
「ありがたいことです」
マリアンナ嬢の花嫁衣装をエルテが受けたことも、広く知られている。元々針子としての実力は十分にあるエルテだったが、将来の王太子妃が認めたということもあって、さらに仕事が舞い込んできたのだ。
「虫はどれぐらい欲しい?」
「三匹ほどで大丈夫です」
「あいよ。餌は野菜の端とかで大丈夫だからね」
「分かりました。ありがとうございます」
ラトはカウンターの上に出された油の入った瓶と、虫かごに入った夜光虫を受け取り、代わりに代金を支払うために財布を開いた。
「そういえば、ミュラー商会、そうとう怒っているみたいね」
「え?」
ミュラー商会と言えば、王国で東方との交易を一手に担う大商会だ。そういえばエルテも昨夜そのようなことを言っていた。
「なぜそこまで怒るんでしょう。エルテさんを選んだのはマリアンナ様なのに」
「ほら、花嫁衣装を作った針子ってそのまま王宮に召し上げられるでしょう? ミュラー商会は王宮との繋がりを強めたかったのよ」
「そうなんですか? 知らなかったです」
「まぁ、そういう話はなかなか知られたくないからね。あなたも王宮に上がる準備をしておいたほうがいいわよ」
「えっ、私もですか? 依頼を受けたのはエルテさんでしょう?」
「エルテだけではないわよ。弟子を引き連れて行くに決まっているじゃない」
自分も王宮に?
ラトはそんなこと想像も出来なかった。
そもそも王宮なんてこの町を出たことの無いラトにとってすれば遠い異国と同じくらい霞んだ存在。エルテに連れて行かれたとして、果たしてそこで暮らすことなんて出来るだろうか。
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