第2話

 失彩は針子にとって致命的な病だった。

 その瞳から色が失われ、世界が黒と灰色と白で満たされる病だという。決して見えなくなるのではなく、色が無くなるという。

 その失彩はいつ、誰がどうして患うか分からないが、針子はどういうわけかかかりやすいと言われていた。

 そして針子がその病にかかるのは、その技量に嫉妬した魔女に呪われたからだという。


 ラトやあの四人の針子を弟子として雇いつつ、店を営んでいるエルテは針子としての腕は十分にあって、工房を構える町の人々に認められていた。

 すでに針子として九年経ったラトの倍の時間も針子をしているのだから。

 だからこそ、エルテはマリアンナ嬢に花嫁衣装を頼まれたのだろう。

 そして花嫁衣装というのは、特に彩りが重要な仕事であった。

 花嫁は、文字通り多くの花に彩られた存在でなくてはならない。門出である結婚式には多くの花が刺繍され、色鮮やかなドレスを纏う。ドレスに施された花の刺繍の数、使われた色の数が多ければ多いほど、結婚生活が実り豊かで、幸せに満ちるのだという。

 しかも依頼主マリアンナ嬢の婚約者は王太子。

 彼らの将来は王国そのもの。実り豊かであることが特に望まれる結婚であった。だから誰よりも華やかで、色鮮やかでなければならなかった。


 だからこそ、エルテの失彩が本当なら、大変なことになる。

 花嫁衣装を作ることが出来ないのではないか。

 シャロンがラトを追い出した上で他の三人にそう話したのだから、彼女たちもそれを心配しているに違いない。


 しかし失彩は見た目では分からない。見た目に現れない病であったが、針子という色とりどりの糸や布を扱う仕事だけに、いつか人にも悟られてしまうだろう。


 エルテが最近刺繍の仕事をラトたち五人に回していたのは、実はそういう理由だったのだろうか。

 まだ失彩だと確信したわけではない。シャロンが勝手に言っているだけかもしれない。ただ、マリアンナ嬢のドレス制作に専念したいから、他の仕事をこちらに回しているだけかもしれない。

 回される刺繍などの仕事も下絵や色の指示もエルテがやってくれていた。


「あれ、ラト。今日もお前が昼当番かよ」


 お昼の用意をしているラトに声を掛けられた。ラトが振り返ると、炊事場の外へ通じる裏口には日に焼けた少年のカインが立っていた。

 工房は高低差のある崖に貼りつくように建てられている。一階はこの炊事場で、裏口から人通りの少ない通りへと出られる。工房の店舗は三階部分にあり、そこは賑やかな表通りに面していた。

 彼はご贔屓の糸屋の使い。今日の納品にやってきたのだろう。


「お疲れ様です」


 鍋をかき回す手を止めて、彼の元へ向かう。彼から納品書を受け取らなければいけない。


「どうせ押しつけられたんだろう?」


 カインはちらと作業場に続く昇り階段をチラリと見やる。賑やかな四人の話し声は相変わらず響いていて、カインは顔をしかめた。

 毎日のように納品にやってくる彼は、この店の針子たちの人間関係を知っていて、ラトをいびるのにやたら結託する四人を良く思っていなかった。

 ラトは何も言わずに苦笑いを浮かべた。


「慣れてますから」

「でもよ、少しは言い返せよ」


 それができる境遇だったらどれほど良かったか。

 ラトはここしかない。ここで問題を起こしてしまったら、生きていくことができない。だから、我慢するしか無かった。

 ムッと黙り込むラトに彼は小さくため息を吐いて、仕事に戻った。


「で、今日の納品分だ。エルテさんからの依頼通りで絹糸が入ってる。東方輸入品だからかなり良いやつだぜ」

「東方品? すごい! よく手に入りましたね」

「ご贔屓たっての依頼だからな」


 東方地域は良質な絹の産地として有名だ。陸路と海路で絹を仕入れることが出来るが、どちらの手段をとっても根が張ってしまう。だからよほどの事が無ければ東方の絹など仕入れない。

 それに東方との貿易はこの王国ではミュラー商会が取り仕切っていて、エルテ針工房のような小さな工房ではなかなか手に入れられるものではなかった。しかしエルテがマリアンナ嬢から花嫁衣装の依頼を受けたことが広まっているおかげか、何とか融通してもらえたようだ。


「あれだろ、花嫁衣装のだろ?」

「おそらく……」


 ラトたちもエルテがマリアンナ嬢から花嫁衣装の製作依頼を受けたのは知っているが、エルテはそれについて多くを語らなかった。

 だからエルテがどんな衣装を作るつもりなのかも全く知らないでいた。


「今日、エルテさん布を探しに行っているんです」

「お前も手伝うのか?」


 ラトは苦笑いを浮かべて首を横に振った。

 エルテは依頼を受けたとラトたちに語りはしたが、それ以上は何も教えてくれなかった。エルテは依頼主マリアンナ嬢とも何度も会って、話を詰めているだろうが、ラトたちは今のところ全く関わっていなかった。

 もしかして一人でこなすつもりなのかもしれない。


 それに、もし弟子の誰かの手を借りるなら、きっとイザベラやシャロンたちに声を掛けるだろう。彼女たちは裏ではエルテを呼び捨てにし、散々悪口を言っているが、当人の前ではにこやかで行儀良く、愛想もいい。

 きっとラトがやろうとすれば、ラトの浅黒い肌を侮蔑の眼差しを向けて「そんな汚い手で衣装を触ったら汚れてしまうわ」となんとしても取り上げるだろう。ラトがしている仕事といえば、地味でつまらなくてさらに面倒くさい、誰もやりたがらない事ばかりだった。


「ふーん、でもここじゃお前が一番長いのにな」

「こういうのは経験とか関係ないですから」


 立ち回りとか、愛想の振りまきとか、ラトが苦手とすることが求められるはずだ。

 それに誰しも性別が変えられないように、肌の色も変えられない。生まれも変えられないし、元々下働きとしてこの工房にやってきたラトにすれば、針を持たせてもらうだけでもありがたいことなのだ。

 それに五人の弟子の中ではラトが一番の古株で、一番年下だった。だからこそ、あの四人にとってラトはうっとうしい存在に見えるのだろう。


「なにサボっているのよ。こっちはお腹空いているんだけど!」


 いつの間にか炊事場の戸口にイザベラが立っていて、食事作りの手を止めて、カイルと話していたラトをにらみつけた。

 彼女はわりとかわいらしい顔をしているといつかカインは言っていたが、すごい剣幕の彼女を見やると、顔を引きつらせて小さく「怖ぇ」と漏らした。

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