失彩の針子と濃紺の花嫁

アイボリー

第1話

 辺境伯令嬢マリアンナが王太子と婚約したとの知らせは、一昼夜で王国の端々まで行き渡った。

 王太子が誰を生涯の伴侶とするのか。

 それは近年特に熱く人々の間で語られる話題であった。

 幼なじみだという公爵令嬢か、それとも隣国の同い年の王女なのか。

 人々は会ったどころか、見たこともない高貴な人の結婚事情を好き勝手に噂していたが、誰にも咎められない自由なやりとりの中に、果たして辺境伯令嬢の名前が出たことがあっただろうか。

 おそらく誰もその名を口にしなかっただろう。

 誰も考えつかなかったのだ。そもそも辺境伯領のことは知っていても、辺境伯に年頃の娘がいたことを知っている人がいただろうか。

 人々にとって、全く予想外の人物が王太子の婚約者となったのである。


「そもそも辺境伯領ってどこなの?」


 日の光を受けて、力強く輝く金髪を持つイザベラ。勝ち気な瞳が嘲りを滲ませていた。


「そりゃあ辺境ってわざわざ付けるぐらいなんだから、ずーっと遠くでしょうね」


 おどけたように答えたのはシャロン。

 針仕事は女の仕事だ。そして針子の工房は自然と女が集まって、女が集まればおしゃべりに花が咲く。


「聞いたことなーい」

「ねー」


 イザベラとシャロンの言葉に賛同するように声を上げるカイヤとナタリー。


 工房の作業場には五人の女が針を動かしていたが、輪になっておしゃべりをしているのは、そのうちイザベラを中心とした四人で、輪から離れたところで一人黙々と作業するのは、ラトという浅黒い肌を持つ少女だった。

 浅黒い肌を持つ人々は王国よりずっと東に住んでいると伝え聞いているが、ラトは物心ついたときには、王国の孤児院にいて、身寄りもなかった。

 王国では浅黒い肌を持つ人は滅多にいなくて、ラトも日焼けとは違う、自分と同じような肌色を持つ人を見たことがなかった。


 四人のカラカラと響く笑い声の中に、上の階の扉に取り付けられたベルの音が混じる。上の階はこの工房の店舗となっており、そのベルは来客の合図だった。


「ほら、ラト。お客さん。行ってきて」

「え」


 シャロンに促されて、驚くラト。


「ほら、行きなさいよ」


 結局ラトは追い出されるように、店へと続く階段へ小走りに向かった。


「いらっしゃいませ」


 客を少し待たせてしまったが、ラトはできるだけ愛想のいい笑みを浮かべて客の前に出た。

 すると店の中で待っていた客は、肌の色の違うラトを見つめて唖然とする。


「ここの方?」

「はい。エルテ針工房の者です」


 肌色違うラトを明らかに警戒するお客。どうやら初めての方のようで、ラトの事を知らなかったようだ。


「そう、エルテさんはいらっしゃる?」

「今は出かけておられます。代わりに伺いま」

「いいえ、結構よ」


 言いかけたラトの言葉にお客はかぶせるように、慌てて言った。

 肌色が違うというのは、この国の人でないと勘違いされてしまう。そして異邦人の珍しい王国では、どうしても警戒されてしまうのだ。


「またにするわ。お邪魔しました」

「またのご来店をお待ちしております」


 と口にしつつも、このお客はもう来ないだろうとラトは分かっていた。

 言葉は通じていても、肌色が違うだけでこうも警戒されてしまうのだから、悲しかった。

 客が早々に店を出て行ったのは、扉に取り付けられたベルの音ですぐに分かる。ラトが階段を降りていると、作業場の話し声が聞こえてきた。


「あーあ。帰っちゃった」

「あの子やっぱり駄目ねぇ」

「そうよねぇ。接客もできないんだから」

「ねー」


 四人はラトに聞こえるようにあえて大きな声で話していた。

 そしてラトが作業場に現れると、意味深な笑顔を浮かべて肩を竦ませ、そして目配せをし合った。

 この四人は仲がいいが、ラトをからかうときには特に仲が良くなる。

 それまで楽しげにおしゃべりをしていたはずなのに、今は奇妙な沈黙が訪れていた。ラトが中断していた作業を再開させると、まるで思い出したかのようにおしゃべりが始まった。


「でもさー、なんでマリアンナ。うちにドレスを頼んだと思う?」

「お金が無いからでしょ?」


 シャロンの言葉にイザベラたちは一斉に笑った。

 王太子の婚約者となった辺境伯令嬢マリアンナはどういうわけか、この針工房の主にして、ラトたちの師匠エルテにドレスを依頼した。

 それもただのドレスじゃない。結婚式の時に纏う花嫁衣装だ。

 ラトは五つの時からこの工房で世話になっている。それから九年針子として働いているが、その間にマリアンナはもちろん、辺境伯やその夫人からこの工房に仕事の依頼があったことはない。あったなら、名前を聞いたことがあっただろうし、顧客リストに名前があったはずだ。

 全くの飛び込みで、マリアンナ嬢はエルテに花嫁衣装を頼んだのである。


「あり得ないよね。何でうちに頼むの? 王宮の針子に頼めばいいのに!」

「全くよねぇ」

「もしかして王妃が許さなかったんじゃない? 辺境伯令嬢ってことは、田舎者でしょう? 王妃って隣国の王女だったって話だし、早速嫁いびりしてるのよ」

「怖ーい」

「うわぁ、だとしたら衣装代がケチったってことよねぇ。だからうちみたいな針工房に頼んでくるわけよねぇ」

「きっと他の工房もそういう事情を察しているのよ。貧乏くじを引かされたんだわ。エルテは!」


 四人は口々に師であるエルテと顧客のマリアンナ嬢の悪口を嬉々として語り合った。


「あ、ラト。あんたそろそろお昼作る時間でしょ」


 おしゃべりに夢中だったはずのシャロンは不意にラトにそう振った。


「え、今日はナタリーさんではなかったですか?」

「何言っているのよ。あんたよ。さっさと行って」


 シャロンは膝立ちでラトに詰め寄ると、針を動かしていた布を奪い、刺さっていた針がラトの手の甲をひっかいた。思わずラトは小さく悲鳴を上げるが、シャロンは気にせずに「ほら、行ってよ」とラトを作業場から追い出した。


「怖ーい」

「ねー」


 作業場から追い出されるラトの背中に、嘲りに滲んだカイヤとナタリーの声が投げられた。

 ラトは不服ながらも、渋々炊事場へと向かった。

 炊事場は作業場のすぐ下にあり、四人の賑やかな声は届いた。四人は自分たちの声の大きさに気付いていないようだ。

 ラトは針でひっかいてしまった手の甲を水瓶の水で洗い流し、しみる痛みに顔をしかめた。


「お昼作らなくて済んで良かったー」


 ナタリーの言葉に三人が笑い声を上げる。

 やっぱりナタリーの当番だったじゃない。

 あの四人はラトに面倒ごとを押しつけるのが常だった。四人はそのためには連携するし、ラトが断固として断れば、ラトの作業中の布を引き裂いたり、エルテに嘘の報告までするのだから性質が悪い。

 ラトももっと強く出られればいいのだけれど、身寄りが無く、この異邦人の容姿のおかげで他に行く当ても無いラトは、ここにしがみつくしか無かった。


「それで、あいつを追い出すってどうして?」

「あ、やっぱり追い出したって分かった?」


 シャロンの言葉に、またも笑い声が響いてきた。


「だって、あいつには話したくないし。それに誰か犠牲になってくれないとねぇ」

「えー、何? 何話すの?」

「ほら、みんな耳貸して」


 シャロンは残りの三人に声を潜めて呼びかけた。

 しかしラトは運が良いのか悪いのか、耳は良かった。それともやはり彼女たちの声が大きすぎるだけかもしれない。

 シャロンは熱こめて告げる。


「やっぱりエルテ、失彩にかかっているわ。間違いないわ」

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