早川くんのメガネ
@sakeko219
早川君と色恋。
第1話
「え、と。
どうしたの?」
その問いかけに応じることはない。そんな細やかな親切心、この人には無用だ。
「大丈夫、?」
私の少し威圧したような態度にきっと驚いている。いるんだろうけど謎の無表情で、しかも私の具合を伺う余裕も見せている。おのれ。少しはリアクション入れろ。リアクションを。
「あ、ここ邪魔?」
三時間目の休み時間。渡り廊下を行き交う生徒たちは、まるでアリの大群のように密集していた。一気に人口密度の集中したこの廊下にボケッと立ってるのは、通行人の邪魔にならないといえば嘘になる。でも今そんな事はどうだっていい。明らかに論点が違う。この瞬間にも、私は早川に対する憤りを必死で堪えていた。今、ほうきがあれば、迷いなく目の前の頭上を狙いに走りだすだろう。
「いや、聞きたいことがあるんだけど。」
力一杯に念力を込めて、ゆっくり、ゆっくりと言った。
「なに?」
未だその苦労が報われることはないが、変わらず鬼の形相も保ち続ける。
「早川くんも恋愛に興味、あったりする?」
そんな私の心意気を知ってか、知らずか、早川はまるで呼吸をするように、自然な口振りで答えた。
「それは、あるでしょ」
「本当に?」
「俺、男だよ?」
私を覗き込むように、クスッと笑った。まるで人をからかうような態度だ。しかし女子が大喜びするからかいかたじゃないか。
「、、。
ばかじゃないの?」
「馬鹿ではないと思うよ。」
厚い瓶坂のような丸メガネの奥を、よく見てみると、早川の瞳は茶色かった。色素が薄いのか薄ら緑色も混ざっている。意外にもまつ毛も上向きにカールがかかっていて、ちょん切りたくなるくらい長いものだった。それがあまりにも、生まれも育ちも純日本人の私にとって、衝撃的だった。たまにいる生まれつき茶髪だったりする子に、異様に妬もうとする私にとって、このビー玉のように輝く瞳はもう、異次元的だった。
「じゃあ、誰かと付き合いたい、とかは?」
揺れ動きつつある複雑な胸中を隠しつつ、次なる問いかけを出した。早川は頭上に薄らクエスチョンマークを浮かべながら
「それは、分かんないな、」
少しだけ苦笑いをしながら答えた。休み時間に教室でひっそりと、自宅から取り寄せたプラモデルの製作に取り掛かるような男だ。誰かと付き合うなんて、考えた事もないだろう、とこちらも聞くまでもなく分かっているのだ。
「今は友達といるほうが楽かもな、」
「あー、そっかー。」
はいはい。モテない男の上等文句、お疲れさまです。
「でも、もし彼女ができたら、放課後一緒に帰ったりしたいな。手、繋いだりして。」
早川はそう言うと、掌を私に見せて、笑顔を見せた。それも照れたように。またもや胸がドクン、と高鳴った。そのせいでまともに返事を返せなかったのが、また悔しくてたまらない。教室では堅物の石像のように背筋伸ばしているくせに。違う。1年生が始まって以来初めてみるこの人の笑顔に、戸惑ってるだけだから。
「君、好きな人はいる?」
これが本題だった。その前に、苦手そうな恋話をわざと聞いて困らせようと、少々くどく言い回していただけなのだ。なんてこった。結局困り果てているのは私ではないか。
「ねぇ、どうなのよ。」
初めて無言になっている早川を追い込むように言うと、早川は首を傾げる動作をした。それは返答に困っていたのではなく、質問の意味が分からない、という心情を表したものだった。何故そんな分かりきった質問をするのか、とも言いたげそうな顔。そして考え直したように私に告げた
「今季のアニメに勝る女子がいない。」
私はほんの気持ち程度、早川のお腹に溝落ちをかました。腹が立つと手が出てしまう厄介な癖は、昔から手堅く母親に注意されていた。4時間目の予鈴が廊下中に鳴り響く。
「早川、そこどけっ!
次の数学、小テストらしいぜっ」
生徒が驚異の反射神経で教室に戻る中、早川はお腹を抱えたまま動こうとしない。
「明智さん、は、いいパンチ持ってるね、
しかしなぜ、今、溝落ちを、」
どうも早川は女心というものを知らないらしい。ムカつく。女子を喜ばせるテクニックはあそこまで伝授しているというのに。
「あんたの事、
好きな子いるんだって」
色んな想いで溢れそうだった。その一つ一つの想いを上手く言葉にできないのが歯痒い。
「その子の代わりに好きな子いるか、聞きにきただけ」
「そうなんだ」
まだパンチが効いてるだけかもしれないけど、早川は特に驚く真似はしなかった。普通の男子ならクール気取りつつ、内心えらいこっちゃっ、と叫んでいるのに。
「私はあんたの事認めてないから。」
「それは残念だ」
どこに笑える要素があるのか、さっぱり分からないけど、早川はまた珍しくクスッと笑った。人は無条件に優しくされると、どうしていいか分からなくなるものだ。私は溝落ちをかました早川を置いて、さっさと席についた。
「先生。早川がお腹が痛いから小テスト受けたくない、と言ってます!」
「先生。早川は仮病のプロです!騙されないでください!」
「おい、これは事実だ。仮病という概念は俺の辞書にはない。」
「そこ!静かにプリント回しなさいっ!」
私は頬杖をついて、一際ガヤガヤと騒がしい席を横目で眺めた。
「ごめんね、」
プリントを回そうと後ろを向いた早川に、口パクでささやかな謝罪をした。早川はそれに答えようとしたのか、なぜかガッツポーズを返してくれた。そこはグッジョブだろうがよ。
「先生!早川君がニヤニヤしてプリントを渡してくれません!」
「今、渡そうと思ってたんだ。」
「もうっ。お願いだから静かにしてっ!」
早川正人。特にこれといった長所もなく、オタクな一面も惜しげもなく見せる、女子には絶対好まれないような男。
「なーなーこー、小テスト回してよぉ、」
「あ、ごめん。」
「あれ?菜々子、なんで顔赤いの?」
私は認めない。ぜっっったいに。
「何でもない、」
2日後に返された数学の小テスト。名前を書き忘れた生徒の小テストが、先生の手によって公開処刑された。誰も名乗りでることはなかった答案の合計点数はわずか21点。その時、早川くんの額はほのかな夏の訪れを感じていたのか、だらだらに汗ばんでいたらしい。
早川くんのメガネ @sakeko219
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