第34話 俺と正宗先輩は夜の校舎を駆ける 2


「それじゃあ、行きますね」


「う、うん」


 正宗先輩が俺のジャージの裾を強く握りなおしたのを確認して、トイレのある校舎へと入った。


 夜中だけあって、少し肌寒い。特に、冷たい空気が下に溜まっているせいか、足元がやけに気になった。


「三嶋、早く行って、早く済ませてしまおう」


「ですね。えっと、ここから一番近いところだろ……」


 現在、俺たちがいるのは夕食のカレーを食べた1階の家庭科教室のすぐそば。


 ここの校舎は建物の都合上なのか知らないが、3階にしかトイレが設置されていない。階段を上がってすぐのところなので、距離的に近いところならそこを選べばよいのだが……。


「三嶋、少し遠いけど、教員用のほうへ行かないか? ここの3階は、その、今は遠慮しておきたいというか……」


「あー……そう言えば生物準備室でしたっけ、トイレの隣」


 生物準備室には、教師の趣味なのか、棚にいくつもの生物標本や人体模型などが棚に飾られている。ホルマリン漬けにされたカエルやオタマジャクシ、正体不明の目玉など、夜中に見たら卒倒するであろうアイテムが目白押しなのだ。


 そんな隣にあるトイレ……怖がりの俺や先輩にとっては、敬遠したいところだ。


 教員用のトイレまでは少し歩くが、生徒が普段使っているものより設備が整っているし、当直の警備員のいる宿直室からも近い。何かあった時は、そこに助けを求めてもいいだろう。


 ということで、目標を教員用のトイレとし、俺と先輩は歩き始めた。


 ――ぴちゃん。


「っぅ……!」


 手洗い場の蛇口がしっかり締まっていなかったのだろうか、どこかから水音が俺と正宗先輩の耳に届く。怖がりは基本、どんな小さな音でも反応してしまう。


 なので、正宗先輩が俺の背中にしがみつくのも、仕方のないことで。


「す、すまん、三嶋……つい」


「いえ、俺も内心はびびってるので、先輩と一緒というか」


「そ、そっか。ならよかった」


 びびりながらも早足で進み、俺と先輩は、無事に目的の教職員用トイレへと到着した。宿直室はもちろん、その先にある職員室のほうは、まだ誰か残っているようで、ドアの隙間から明かりが漏れている。おそらく生徒会の顧問の先生だろうが、ご苦労なことだ。


 ちょっとだけ安心する。


「じゃあ私はこっちだから……三嶋、その……」


「はい。先輩が出てくるまで、ここで待ってます」


「ごめん……ありがとう」


 恥ずかしそうに俯いて、正宗先輩が女性用トイレの部屋の中へと消えていった。俺も自分の用をさっさと済ませる。


「そういえばだけど、さっきの正宗先輩、すごく可愛かったな……」


 先輩の帰りを待っている間、俺はふとそんなことを思っていた。


 普段の正宗先輩も、男の俺から見ても格好いいし綺麗だしで素敵そのものだが、ホラー映画や夜の校舎にビビってポンコツ気味な姿を見せる正宗先輩も、別の意味で魅力にあふれていると思う。


 心細くて俺の裾を掴んだり、水音に驚いて俺に抱き着いたり、でも、そのことに気づいて恥ずかしがる素振りを見せたり。


 そういうところを見ると、やはり正宗先輩も一人の女の子なのだなと実感する。


「……すまん、待たせた」


「いえ、俺も今出てきたところですから。戻りましょうか」


「……ん」


 行きと同じ状態で、俺と先輩は来た道を引き返す。俺が前を行って、その後ろを、俺のジャージの裾を指先でつまんだ正宗先輩が歩く。


 いつもは面倒見の良い正宗先輩が、この時ばかりは俺のことを頼ってくれている。かわいい正宗先輩になっている。


 少しは俺のことを男して見てくれているのならば、こんなに嬉しいことはない。


 だからこそ思う。


 やはり俺は正宗先輩のことを本当に好きになり始めているのだと。


 真夜中の校舎を二人で歩くと言う吊り橋効果も手伝っているのかもしれないが、ともかく、今は正宗先輩のことで俺の頭はいっぱいだった。


「……正宗先輩、一つ質問があるんですけど、いいですか?」


「どうした藪から棒に……まあ、構わないが。なんだ?」


「ま、正宗先輩は、そ、その……気になっている人というか、付き合っている人とかいるのかなって、お、思いまして……」


「――――」


 そう訊いた瞬間、正宗先輩の足が止まる。振り向くと、俺の裾から手を放して、俯いている先輩の姿が。


「す、すいません……やっぱり答えにくい質問でしたよね。はは、どうしちゃったんだろ、こんなこと滅多にないからテンションおかしくなっちゃったかな……」


「……いるよ」


「……え?」


「だから、その……いるよ。ちゃんと一人の男性として、気になっている人ぐらい。つ……付き合っている人とかは、もちろんいないけど」


 目をそらしつつ、先輩が答える。暗闇のせいでどんな表情をしているかはわからないが、気まずそうに、呟くようにして答えてくれた。


「なんだよ、そんな驚いた顔して……私にそういう人がいるのが、そんなに珍しいのか?」


「そういうわけじゃ……ただ、そこまではっきり答えてくれるとは思わなくて」


 気になっている人がいる。そして現在付き合っている人は誰もいない。今の俺がもっとも知りたかった情報だった。どうしようか迷ったが、勇気を出してよかった。


 だが、あともう少しだけ詳しい情報が欲しい。気になっている人がいったい誰なのかという具体的な情報が。


 というか、その『気になっている人』が俺なのかどうか知りたい。


 可能性が低いことはわかっている。先輩の容姿を考えれば、俺なんかよりよっぽど釣り合いのとれる人だっていることも。


 だがもし、俺のことを少しでも気になってくれているのだとしたら、その時は……。


 今だ、聞くなら今しかない。深夜テンションで気持ちがのっている今しか。


 意を決して、俺は顔を上げた。


「あの、正宗先輩。その気になっている人っていうのは具体的にはどんな――」


「……み、みみm」


「? みみ?」


 と、ここで正宗先輩の様子がおかしいことに気づいた。


 先輩が俺のほうを指差して、固まっている。


「先輩?」


「み、三嶋。う、う、ううううしろ。うしろうしろうしろ」


「え? うしろ?」


 俺の方ではなく、先輩は俺のすぐ背後の方を指しているようだった。


 すごく震えているようだが、いったい俺の背後になにが……。


 俺が振り向くと、そこにいたのは原形ととどめないほどに顔に皮膚が焼けただれた人間だった。


【ああああああ……】


「い、」


「い、」


「「いああああああああああああああっ!!」」


【あああああああああああああああああ!!!】


 正体不明の人間が声をあげた直後、俺と先輩は一心不乱にその場から逃走した。

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