第13話 先輩は別れを惜しむ


「――おっと、そろそろお開きの時間かな」


 神楽坂先輩が窓の外を見ながら呟く。


 勉強のほうに集中していたり、バタバタしていたりで気づかなかったが、すでに時計の針は夜の時間帯をさしている。三人とも家には連絡を入れているだろうが、女の子だし、これ以上長居させるのも良くないだろう。


「だな。そろそろお暇させてもらうよ。三嶋も、それから妹さんも夕食の時間だろうし」


「そうですね。……あ、今週の食事当番俺だった」


 三嶋家は両親の帰りが基本遅いため、食事は俺と妹で用意するようになっている。今週は俺の役割だ。


「大丈夫。今日は私がかわりにやっといたから」


「梓」


「今日は簡単にカレーにしておいた。もしかしたらと思って多めに作ったんだけど……皆さんは、いらないですよね?」


「うん。好意は嬉しいけど、ご馳走になっちゃうと、時間がもっと遅くなっちゃうからね」


「会長の家、門限厳しめですもんね、確か」


 神楽坂先輩本人から何度聞いているが、基本、下校時に予定があるときは、必ず連絡を入れなければならないという。


 もちろん、今日の勉強会のことも連絡済みだ。誰の家に、何のために行くのか。帰りはいつ頃になるか。場合によっては迎えを寄こすこともある。


 正宗先輩のほうは……いいか。真面目な人だし、訊くまでもないだろう。


「あ、あの……私は、」


「? 正宗先輩、どうしました?」


「っ……あっ、いや、なんでもない。私もそろそろ帰らないとな。門限とかはないが、一応、両親が心配するかもしれないし」


「そうなんですか? 俺、むしろ正宗先輩のほうが厳しいんじゃないか、って思ってました」


「ああ。私は神楽坂のような家と違って、ごく普通の一般家庭の生まれだからな。泊りとかでなければ、両親は怒ったりはしないよ」


 家庭の事情には意識的に踏み込んでいなかったので、その情報は意外だった。


 昔から続く剣術道場とか、神楽坂先輩と同様に地元の名家だとか……そういう背景ばかり俺の頭に浮かんでいたのだが。


「じゃあ、皆帰るってことで――」


「いやいやいや、ミッシー、私のこと忘れてない? 葵ちゃん、ここにいる、OK?」


「いや、お前は帰れよ」


 口ぶりからして、こいつはお言葉に甘える気満々だ。


 ノート見せてもらった挙句、飯までいただこうとは。図々しいやつめ。


「うわっ、ミッシーマジ最低。ねえ、あずちゃん、お兄ちゃんが私のこといじめる~!」


「もう、お兄ちゃん。葵さんだって普通の女の子なんだから、もっと優しく、やんわりと断ってあげないとダメなんだよ?」


「そうそうもっと私をいたわって……あれ? あずちゃん?」


「梓、お前も。本音本音。……まあ、せっかく来たんだ。食ってけよ」


 橋村一人増えたところで洗い物が一人分増えるだけだ。大したことじゃない。


「うん、ありがと! んじゃ、ママにちょっと連絡だけすんね」


 嬉しそうに言って、橋村は素早い指さばきで電話をかける。


「あ? ママ? 今日、晩御飯知り合いのところでお呼ばれされちゃったから、食べてからそっち帰るね? え? 誰の家かって? ああ、同級生の男の子のとこ」


「「「「ぶっ……!」」」」


 橋村は隠すことなく堂々と母親に報告を入れる。そこは友だちの家とか、オブラートに包む言い方があるだろうに。


「へへ~、そう男の子! びっくりしたっしょ~? まあ、言うても仲が良くなったのはあずちゃん、妹ちゃんのほうなんだけどね。……え、話したい? いいケド」


 はい、といって、橋村がスマホを渡そうとしてくる。


 いや、はいと言われても。


「お兄ちゃん」


「え? いや、マジか」


「当たり前でしょ? 隠してるならともかく、葵さん正直に報告しちゃってるんだから」


「ほれ、ミッシー。ウチのママ」


「っとと……あ、もしもし……どうも、三嶋といいます……」


 つまりながらも、俺は電話口の橋村母と無難に会話を終えた。

 

 橋村のキャラとは違って、口調も穏やかで、礼儀正しい人だ。橋村父もちょうど帰ってきていたようで、ついでにそちらとも話す羽目に。なぜ。


 こういう機会もあるとは思っていたが、まさか三人のうち、橋村の両親と挨拶するのが一番先になるとは……人生、何が起こるかわかったものではない。


「ふふ、ご苦労だったね~朋人クン」


「……お前、後で覚えとけよ」


 しかし、何はともあれ上手く切り抜けることができた。帰りのほうは、橋村父がマンションまで迎えにきてくれるようだから、見送りをする必要もない。


「なにはともあれ、問題なかったようで安心したよ。じゃあ神楽坂と私はこのへんで……おい、神楽坂?」


「会長?」


 玄関のドアを開けたところで、俺は神楽坂先輩の様子がすこしおかしいのに気づいた。


「なんという電光石火……私のほうがずっと……たった数時間……橋村、なんて恐ろしい子っ……くそ、かくなる上は……」


 ぶつぶつと何かを呟きながら、神楽坂先輩がスマホを取り出している。どうやらどこかにかけるつもりのようだが、


「神楽坂、帰るぞ。お兄さんたちが心配する」


「正宗。……ああ、そうだな」


 しかし、正宗先輩がぽんと肩を叩くと、はっと正気に戻ったような顔で、神楽坂先輩がスマホをポケットにしまいなおした。


「じゃあな、三嶋。橋村のこと頼んだぞ」


「……じゃあ後輩、また明日。生徒会で」


「はい。お疲れさまです」


 そうして二人は帰っていった。


「……さて、と。私は葵さんと夕飯の準備しておくから。葵さん、ちょっとだけ手伝ってもらっていいですか?」


「ん、いーよ」


「いや、橋村は一応客だから待ってりゃいいよ。用意は俺がするから……」


「いやいやいや」


 その先を言おうとしたところで、橋村の指が制した。


「ミッシーは、他にやることあるっしょ? ほら、行ってあげなって」


「葵さんの言う通りだよ。ホント、お兄ちゃんってデリカシーないよね」


「いや、そんなことも言われてもな」


 確かに、帰り際の神楽坂先輩の顔は、俺から見ても元気がないように見えた。橋村が母親に電話していたあたりからそうだったから、もしかしたら。


「わかったよ。……メシは先に食べてていいから」


 二人にそう言い残して、俺は先輩の後を急いで追いかけた。

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