第9話 正宗先輩は俺を鍛える



 正宗先輩のことをいいなと思い始めたきっかけは、神楽坂先輩に交際を断られた後のことだ。


 当時のことを思い出すだけでも体がむずむずするほど恥ずかしいが、神楽坂先輩に振られた直後の俺は、それはそれはメンタルがズタボロだった。


 俺は神楽坂先輩のことが本当に好きだった。これまで何をやってもダメだった俺のことを見捨てないでくれたし、いつだって力になってくれた。可愛がってくれた。


 こんな人はもう二度と現れない――そう思って、俺はなけなしの勇気を振り絞って告白した。

 

 可能性はあると思っていた。普通の先輩後輩というだけでは説明のつかない過剰なスキンシップだから、女性経験のない俺はなおさら勘違いしてしまう。


 結果は語るまでもない。俺と先輩は付き合っていない。


 振られた後、俺はとにかくメソメソと放課後の校舎の陰で泣いていた。生徒会活動の時は努めて普通にしていたし、神楽坂先輩も変わらず接してくれたが、しかし、俺と先輩は付き合っていない。今後もその可能性はない。


 その事実が胸にぐさぐさと突き刺さって、生徒会活動が終わると、俺は一人、手近な物陰を見つけては、もう過ぎてしまったことを引きずっていたのだ。


 そんな俺を見つけたのが、正宗先輩だった。



  ※  



『……お前は、三嶋か?』


『正宗先輩……?』


 薄暗くなった校舎の陰で初めて、俺は正宗先輩と二人きりの状況になった。


 生徒会に居たから、風紀委員長の正宗先輩のことは知っていた。会議の時はいつも眼光鋭く、剣道部所属なのか知らないが、背中にいつも竹刀を下げている。


 美人だが、とても怖い先輩。そんなイメージだった。


『最近怪しい人影が校舎をうろついていたから気になっていたんだが……まさか、君だったとはな』


『す、すいません、お騒がせして……』


『いいさ。とりあえず、まずは涙を拭け』


 白いハンカチを渡された瞬間、俺は自分が先ほどまでボロ泣き状態だったことに気づき、死ぬほど恥ずかしくなった。


『ところで、私の助けは必要か?』


『え?』


 俺は一瞬、きょとんとする。


 助け……なんのことだろう。


『誰にいじめられている? 一人か、集団か? 私が行って、すぐに止めさせてやろう』


『あ、ああ、そっちのことですか……』

 

 どうやら正宗先輩は俺がひどいいじめにあっていると勘違いしているらしい。もしいじめならあっという間に(物理的に)解決されるだろうが、情けないことに俺はただ振られてメソメソしているだけだ。背中の竹刀でどうこうはできる問題ではない。


『む、違うのか?』


『はい。残念ながら』


『そうか、いじめじゃないのか。なら、なぜ泣いている?』


『そ、それは……』


 言えるわけがない。しかも、俺が告白したのは神楽坂先輩なのだ。口の堅そうな正宗先輩といえど、いたずらに話を広めたくはない。


『言えない悩みか?』


『はい。……でも、』


 少し考えて、俺は言う。


『強いていうなら、俺……もうちょっと、強くなりたいです』


『それは肉体的に? それとも精神的に?』


『両方、ですかね』


 こんなことでいちいち思い悩む弱い自分の性根を叩きなおしたい。たかが好きな人に振られたぐらいでもう何日も引きずる自分を。


 それこそ、正宗先輩ぐらい、自分でなんでも解決できるような強い人に。


『あの、先輩。お願いがあるんですが』


『お願い……まあ、これも何かの縁だ。聞くだけ聞いてやろう』


『ありがとうございます。じゃあ……』


 意を決して、俺は正宗先輩へ頭を下げ、言う。


『俺を、先輩の弟子にしてくれませんか?』



 ※




「――しかし、あの時は本当に驚いたよ。急に三嶋が『弟子にしてくれ』だなんて言うもんだから」


「すいません。……でも、あの時はそう言ったほうがいいかと思いまして」


 見つめていたのをきっかけにして、俺は正宗先輩と二人、当時の話に花を咲かせていた。


 俺が『弟子にしてくれ』と頼んだのは、剣道の有段者でもある正宗先輩に稽古をつけてもらって、それを通して自分の弱い心身を叩きなおしてもらおうと意図してのことだった。


 我ながらなんという見切り発車状態……しかし、それでも正宗先輩は快く応じてくれた。


 稽古はもちろん厳しかったが、そのおかげで、なんとか失恋のショックから抜け出すことができた気がする。体も随分と鍛えられたし。


 正宗先輩には、本当に感謝してもしきれない。


「まあ、いいさ。練習とはいえ、一人では少々寂しかったからな。三嶋がいて、私も楽しかった。……また今度、稽古に付き合ってくれよ?」


「はい、先輩」


「ム……そこは師匠と言ってくれていいんだぞ?」


「そ、それはもういいじゃないですか……恥ずかしい」


「ははっ、冗談だよ冗談」


 いつもは怖い先輩だが、こうして話すと意外によく笑うし、たまに茶化すような冗談も言ってくれる。先輩にとって、気の置けない後輩になっていることがとても嬉しかった。


 そういうことがあって、俺と正宗先輩は交流を深めていったわけだが。


「ふーん、正宗サンって、ミッシーの前じゃそんな顔もするんだあ……」


「この機動要塞おっぱいめ……やっぱり男が最終的に行きつくところは胸なのか……なあ、そうなのか……」


 どうして二人が不機嫌になるのかについては、自宅についても、俺は結局わからずじまいだった。

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