Bar Desilusion

 廃ビルから出て路地を1本挟んだ先に商店街がある。

 道を挟む様にして店が並んでおり、歩行者専用のアーケード型になっていた。

 入口には大きな紫陽花の絵と【水寄みよせ商店街】と書かれた錆びて色褪せた大きなパネルが今にも落下しそうな状態で、少し傾き気味にぶら下がっていた。

 道を覆う屋根もステンドグラス風になっており、商店街の名前にちなんできれいな紫陽花の絵が描かれている大変美しいものだった。

 天気が良い昼間など陽の光が差し込み道にきらきらと輝いて、赤・青・黄・紫・黄赤・赤紫・白。色鮮やかな紫陽花の影を作るのだ。

 どのお店もシャッターが下ろされており、人の気配を全く感じられない。

 誰がそう呼び出したかは分からないが、落ちぶれていく商店街を、町を揶揄して“廃街はいがいロード”と水寄商店街はそう呼ばれていた。

 そして、それの呼び名に似合う荒廃ぶりだった。


「懐中電灯もなく、あんな暗い中でよく屋上まで行けたね?」

 バスがライトで辺りを照らしながら、商店街を歩いていく。

 時刻は24:00少し前。

 お店は勿論営業している筈もなく。輝く星すらない、うっすらと霧が立ち込みだした暗闇の中では、懐中電灯の光すら心許なく感じられた。

「夜目は利くから、ライトがなくても不便には感じなかったの」

「夜目!!君は向こう見ずなのか、それとも梟と親戚なのか。きっとどちらかだろうね」

「まぁ、そんなところよ」

「ならこれから行くお店はなかなか居心地がいいかもしれないね」

 どこかご機嫌な様子でバスはウィンクをしてきた。

「待って!!店がやっているだなんて、そんな筈がない!!だって、水寄には人がいないのよ!!」

 【水寄の黄金時代】がバブルの如く弾けて町から人々が去ってから、おおよそ6年近く人は住んでいない。いや、住める筈がなかった。

「いるよ?---現に、君は、いるだろう?」

「私は…」

 口ごもる。

 私はここに居れるが、他の人がここには入れないがあったからだ。

 だが、それを見ず知らずの、しかも天使の恰好をした不審者に話す気にはとてもなれなかったーーいゃ、そもそもここにいるということは彼も関係者なのだろうか…。


 考え事をしながら歩いていたら、軽快に揺れていた真っ白な羽の揺れが止まった。

 白鳥を連想する大きくしなやかな美しい羽根。その羽毛がとても柔らかで、もふもふ堪能したくなるぐらい魅惑的だった。

「ほら、ここだ」

 バスは入口を指さした。

 入口というべきか、穴といったほうがしっくりする。

 人が住まなくなってだいぶ経ち、手入れのされていないせいか雑草が茂り、壁を伝って蔦が垂れ下がって入口を覆い隠していた。古ぼけた立て看板が置いてあるおかげで、なんとかその地下に店があるのを知ることが出来たぐらいだ。

「ここ…?」

 なかなか入るのに勇気がいる構造だった。

「そう、ここのコーヒーとローストビーフは最高なんだよ」

 そう言いながら、バスは躊躇うことなく、蔦のカーテンを潜りながら地下へと降りていく。

「ま、待って!」

 こんな夜中に他に行く宛もなく、バスに続く。

薄暗い、思ったよりも長い階段を地下へ降りる。 

 所々滑りやすくなっている所や崩れやすくなっている所をバスに注意されながら進んで行くと大きな古ぼけた木の扉が目の前にあった。


【Bar Desilusion】


 そう書かれた重い扉をこじ開け、「さぁ、どうぞ」とバスに店内に入るように促されるので恐る恐る足を踏み入れる。


 そのバーは小さなお店だった。

 長いカウンターがひとつと奥にテーブル席が暖炉の近くに2つだけあるだけで、客が10人入れば満員になるぐらいの大きさだった。

 店の大きさもあるが、積み上げられた本や観葉植物が大量に置かれてあり場所をとっているせいで人があまり入れない。というのが正しいのかもしれない。

 だが。木の香りと、蛍光灯では出せないランタン特有の温かな光には心癒されるものはあった。


「どう?気に入った?」

「素敵なお店だと思う」

 感じたまま素直にそう答えた。

「良かった!じゃあ、料理を注文しようか?」

 バスはそういいながら暖炉の側の椅子に腰掛ける。

「というか、お店のひといないんだけど?」

 カウンターの中を覗いても人の気配はしなかった。

「ほら!!早く座って」

 余程おなかがすいているのかバスがお構いなしにせかしてくる。

 渋々バスのテーブルを挟んだ向かいの席に座って差し出されたメニューを受け取る。

 暖炉からバチバチ…と火の粉が弾ける心地のよい音が聞こえてきて、悴んでいた身体と心までがほっこりと綻んでいく感じがした。

 メニューと睨めっこしながらバスが、ここの料理は全部おいしいんだけど、中でもとびっきりおいしいのはローストビーフ!!きのこのキッシュに、ラクレット。身体を温めるのには、仔牛のシチューも外せない。ステーキも捨てがたいが、フォアグラも捨て難い…とまるで歌うかのようにリズムよくメニューを読み上げていく。


 おなかが空いている訳ではなかったけれども、どんな料理があるのか気になってメニューを開くと。その紙の端から文字が踊り出てくるのだ。

 Menuというアルファベットがひとつずつ、右端から押し問答をしつつ。しかも、すこしずつその形を日本語に変化させながら。

 しかも、そのあとも文字はメニューの中で踊り続けた。


“今のあなたの気分はなに?”

“食べたいものを歌うように教えて”


「ちょ、なんなのこれ?ちゃんと説明して!」


 バスはそれでも歌い続ける。

 フォンダンショコラ、アップルパイ、彩りどりのマカロンが紅茶のカップと一緒に踊るよ。ああ、フロマージュも忘れちゃだめだね。


「バス!!!」

「ああ、忘れていてごめんね!君が食べたいものはなに?」

「違う!!このメニューはなに?どうなっているの?」

 彼の目の前にメニューを突き付ける。

 相変わらず文字が踊り狂っている。

「そうなっているか聞かれても、メニューはメニューさ。どこにでもあるね」

「だって、文字が踊っているのよ??」

 まるでわたしがおかしなことを言ったかのようにバスは噴出して笑った。

「そりゃあ、そうだよ!文字だって時々は羽目を外したくもなるだろう?君だってそうだろう?」

「文字には意思がないから、羽目を外しようがないじゃない!!」

「なぜ?」

「なぜって…」

 言葉を失った。

 まるで会話にならない。

 今ここはバべっているのか!!??※①

 日本語で話している筈なのに、相手の言っている意味を理解できないし。理解して貰えないもどかしさに苛立ちを募らせる。


“ああ、残り時間もあとわずか”

“歌って、教えて”

 メニューの中で哀しそうに文字が告げる。


「あぁ、なんてことだ!!時間がない!!さぁ早く、君の食べたいものを言って」

切羽詰まった口調でバスが注文をするように急かしてくるが、肝心のメニュー表に料理名の記載が全くないから、一体なにが食べられるのか全く分からない。分からなければ注文しようがない。

「急に、そんなことをいわれても…」

「5…4…」

 バスがカウントを始める。

「3…」

「いくらたっぷりのカルボナーラ!!」

 半分やけくそになりながら叫んだ!!


 じりりりりりりりりり…


 ベルが部屋中に響き渡る。


「あぁ、注文受けとってくれたみたいだね」

 安堵した様子で、バスはメニューを畳んだ。

「受け取ったって?メニューに注文できる商品が書かれていないから適当なの言ったんだけど?」

「本来は軽やかに歌うべきだったけど、まぁ、お目に見てもらえたみたいだよ」

 バスは少し首をすくめてにやりと笑った。

「かわいい女の子には弱いみたいだね、ここの住人は」

 姿が全く見えないのに、なんなんだ住人と  は!!??

 相変わらず訳のわからないことしか言わないバスに頭を抱えるしかできなかった。

「じゃあ、まずは飲み物かな?え、っと…君の名前、聞いてなかったね?」

「--助けに来たのに私の名前を知らないの?」

「あああ…」

 神様にでも助けを求めているのか?困ったことがあると空中を見る癖があるようで、バスはまた視線を泳がせる。

 呆れ果て、深く溜息を吐く。

 ここでこうしても物語は一向に進まないし、拉致があかないので仕方なしに挨拶をすることにした。

「はじめまして、天使さん。私は、襖祥おうさき あおいといいます。以後お見知りおきを」

 椅子の上で軽くお辞儀をする。

「葵さん。とても素敵な名前だね!」

「ありがとう!」

 私はしたり顔でにっこりと微笑む。

「あら?あなたはしてくれないの?」

「私は??私のことは天使と呼べばいいよ」

「天使という名前だったのね?」

「名前はないから、なんでもいいんだけど」

 何かに気づいたかのように、とびっきりの魅惑的な笑みを溢しながら

「バスでもいいかな」

 そう告げた。

 さっき思わず叫んだのを覚えていたのか、ちょっとだけ居心地が悪くはあったが、本人もいいのならいいのかな。そぅ居直る事にした。

「だったら、バスがいいかな?」

「じゃあ、決まりだ」

 そういって私の手を軽く握らせ、それを高々と上げさせる。

「乾杯しよう!」

 かちんとグラスの鳴る音が響いて、それとほぼ同時かぐらいに手に重みが走った。

「重っ」

 がんと机が鳴り、いつの間にか手は大きなジョッキの取っ手を握っていた。

「なに、これ?」

 表面に生クリームらしきものがぽっこりと乗っていて、中の液体は真っ赤。フルーツが入っているのかジョッキの泡に合わせて循環していた。

 味は、林檎の甘い風味にアクセントとして生姜が入っていて、生クリームで甘さを緩和させているそんな感じの飲み物だった。

「ホットワインだけど?」

 ぶっ…思わず吹き出す。

「私、未成年なんだけど?」

「なんちゃってワインだから、アルコールはないよ?」

 なんちゃって…ワインじゃないならなんなんだ…という疑問が一瞬浮かんだが、ホットリンゴジュースだと思えばいいという事に気づき、そのまま飲み続ける。

 ほんのりリンゴジュースと果物の酸味が生クリームと口の中で混ざってとてもおいしかった。割と癖になる味ではある。


「では、折角だから料理ができるまで、葵さんの話でも聞きましょうか?」

「あかい獣の話をするんじゃなかったの?」

「何故、緋色の獣が君に取り憑いたか理由を詳しく知りたいし、それにね、言葉にすると気休め程度だけど想いが形になって気持ちが楽になるんだよ?」

 ジョッキ越しに温かさが掌に伝わっていく。

「そうね、それも悪くはないね」

 どうせ今日だけの関係だとそう思って、色々と割り切って話をすることに決めた。まぁ誰かに話を聞いて貰いたいという思いがあったのもある、というのが本音ではあったが。

 後に、バスとの付き合いが1年に渡って続くことになり、大変(色々な意味で)この時にやけくそになって話したことを後悔することになるのだけども。それはまた、別のお話。


***********************


【補足】

作者の偏見と独自の考えが反映された補足です( *´艸`)

※①今ここはバべっているのか!!??

バべる。とは、私が元彼氏と喧嘩した時によく思っていた言葉です。

正式には「今ここにバべルの塔があるんじゃね!」の略。

バべルの塔とは、旧約聖書の「創世記」に出てくる巨大な塔のことです。天まで届かんとする大きな塔を建てて、人間がいろんなところに行くのを防いじゃったのを見た神様が、塔を作らないようにするために言語の壁を作っちゃったという有名なおはなし。

元彼氏とお話していると何を言いたいのかさっぱり理解できなさ過ぎて、脳内でよくバべルの塔が出現していましたwww


※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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