Epilogue - 竹石 玲と名前を呼ばれない男


【大事な話があるからマンション近くの公園に来て】


 玲からそんなショートメールが届いた。


 マンションの近くの公園だなんて、そんなところを玲が指定してきたのは初めてだった。

 これから携帯を修理に出すから俺からメールや電話をしても玲からは返事が出せないこと、もしも、玲の都合が悪くなったら公衆電話から俺の携帯に電話すること、俺の都合が悪くなったら公園はマンションから近いから連絡なしでも引き返すから大丈夫だし、携帯が直ったら玲から連絡することなんかが書き添えてあった。



 待ち合わせ時間の5分前に公園の駐車場に到着して公園内の東屋に向かって歩いて行くと、だいぶ昔に見覚えのある千鳥格子のハンチング帽を被っている玲がベンチに座っていた。


「あれ?だいぶ髪を切ったんだね」と言いながらベンチに座って玲の顔を見ると、それは、玲ではない女性だった。


「あ、あ、あ… まな、つちゃん?」


「そうです。真夏です。柚木さんでしょうか?」


「そ、そうだけど」


「すみません、母は此処には来ません」


「ええっと、れ、いや、お母さんに何かあったのかな」


 冷静ではいられないところだけれど、取り乱さないようにゆっくり喋った。


「母は、私が柚木さんにこうやって会っていることを知りません。母に黙って母の携帯から柚木さんにショートメールしたんです。だから、柚木さんが『遅れる』とか『来れない』とか事前の打ち合わせと違って母の携帯に連絡しちゃったら、ここで私はあなたに会えませんでした」


「ええっと、あの~よくわからないな。なんで真夏ちゃんが俺に?」


「要件は一つだけです。もう、母と会わないでほしいんです」


 真夏ちゃんは、俺の目を見ながらきっぱりとそう言った。


「っていうと、理由を聞いていいかな」


「今更、理由なんて私が言う必要がありますか?」


「そうか… 真夏ちゃんはお母さんにも同じことを言ったのかい?」


「それは… それは言いたくありません」


「ふむ、こういう場合、普通、お母さんに言うもんじゃないかな。まさか、相手の男を呼び出してまで言うなんて、真夏ちゃん勇気があるね」


 そう言いながらあることを思いついた俺は、真夏ちゃんともう少しやりとりしたいと思った。



「真夏ちゃんに会うのはこれで3回目くらいだ」


「え?」


「もっとも、あとの2回は真夏ちゃんが小学生だった頃だったけどね。俺が本城に住んでいた頃、よく、この辺りを走っていたんだよ。すると、お母さんが君ら子どもたちを乗せた車とすれ違ったりしてね。きっと、お母さんに言われたんでしょ、真夏ちゃん窓から手を振ってくれたこともあったよ」


「そんな、そんな昔から母と…」


「真夏ちゃんは、お母さんと俺のショートメールのやりとりを見たのかい?」


「そうです」


「お母さんは、連絡を取り合った後に、送受信の内容を削除しているって言ってたけど、消し忘れていたのかな」


「それは、どうなのかわからないですけど、残っていたものもありました」


「にしても、真夏ちゃん、お母さんの若い頃にそっくりだね。よく似ているよ。お母さんからも真夏ちゃんと一緒の写メを時々見せてもらってたんだよ」


「似てる、ってよく言われます」


「ね。さっきだって、後ろ姿だったけど、髪の長さが違うだけで、てっきりお母さんだと見間違えたもの。服もお互いにシェアしてるんでしょ。今日のその服だってお母さんが着ていた服だもの」


「まあ、そうですね」


「あ、そうだ!」俺はわざと大げさに声を大きくして言った。


「え?なんですか?」


「●●●●のライブ、お母さんと一緒に行っていたでしょ」


「ええ、まあ」


「実は俺も同じ会場によく居たんだけど、県民会館のライブのときに、曲の途中で突然停電になったじゃない。あれ、びっくりしたよね」


「そ、そんなことは母から聞いてないです」


「聞いてない?あれ?一緒に行っていたんでしょ?『聞いてない』って答えは変じゃない?」


「あ…」


「いいの、いいの。真夏ちゃんは正直だね。ごめんね。嘘だよ。そんな停電なんてなかったから」


「あ…」


「こうやって、『お母さんと会わないでください』って言うの、俺が初めてじゃないでしょ」


「あ、あなたにそんなことは言いません」


「ほら、また。ほんとに俺しかいないなら『柚木さんだけです』って言わなきゃ」


「あ…」


「ごめん、ごめん。もう意地悪言わないよ。真夏ちゃん、こうやって何人かの男の人に会って話してきたんだね。えらいね」


「そんなことより、このことは母には言わないでください」


「もちろん、言わないよ」


「それから、もう二度と母には会わない、って約束してください」


「わかった。もう会わないよ」


「ありがとうございます。じゃ、私はこれで」と真夏ちゃんはベンチから立ち上がった。 


「真夏ちゃん、ちょっと待って。お母さんには俺と会うなって言ったの?」


「…はい。言いました。今まで何度も」俺を見下ろしながら真夏ちゃんは言った。


「そうだったんだ。もう一度聞くけど、真夏ちゃんはなんで付き合っている男の人に会ってまで付き合いをやめてほしいと思ってるの?」


「    …父です。父がかわいそうで」


 真夏ちゃんの目が見る見るうちに潤んできたのがわかった。


「うん。わかったよ。教えてくれてどうもありがとう。真夏ちゃんも、専門学校の勉強頑張っていい就職できるようにね」


「はい…    でも…」


「ん?でも、なんだい?」


「母の浮気相手なのに、こんなにお話するなんてなかったから。みんな、私が要件を言うと、すぐに『わかりました』と言うか、『もう別れてるよ』と言ってそそくさと帰っていく人ばかりだったから」


「そうか。それが普通のリアクションだと思うよ。俺はなんていうか…こう… そう、だいぶ変わっているからさ、気にしないで。ほんと、真夏ちゃん、いい子だね。じゃ、俺もここからはそそくさと帰るよ」



 こんなことになるなんて思いもしなかった。

 本当は、あんな約束をする義理立てなんてしなくていいはずなんだが、小さいころからよく知っている真夏ちゃんの勇気ある行動や潤んだ目を見たらしないわけにはいかなかった。

 そういえば、4年前の、別れる前辺りでも、玲がやたら「真夏が…」と口にして真夏ちゃんの存在を気にしていたのは、真夏ちゃんから浮気について疑われたり、責められたりしていたからなんだろう。


 俺は、車に乗り込んで始動させた。

 真夏ちゃんの口からだったものの、玲が複数人の男と関係を持っていたことがわかって、それはそれで残念には違いなかったが、本当のことがわかった安堵感のようなものがそれを上回った。

 玲が何人の男と付き合っていたかわからないが、真夏ちゃんからの呼び出しもあって次々に男達はリタイヤしていったので、玲は『誕生日おめでとう』なんて4年ぶりに俺に連絡を寄こしてきたのかもしれない。玲にとって俺は、いったい優先順位の何番目だったのだろうか。

 いや、最早、そういうのは考えまい。以前、玲と結婚していたという過去の経歴なんてとっくにアドバンテージになっていない。


 俺自身もそうだと思うが、玲は俺を上回るくらいに、自分から愛することよりも、他者から愛されることで生きていこうとする女なんだと思う。他者から褒められて、愛されることで玲は自分を磨くモチベーションを保ち続ける。その一方で、玲自身は相手に気を遣うことなく、ありのままをさらけ出し続け、その関係が駄目になっても自らは修復に動くことなく相手だけをすげ替える。そして、一定期間が過ぎてほとぼりが冷めたころに何事もなかったかのように相手にアクセスして再び関係を築く、それを繰り返していく。その間に、玲自身はスイミング、ホットヨガ、ピラティス、お気に入りのミュージシャンとプロ野球球団の応援、そして、スキューバダイビングと、趣味と自身の体を鍛え上げることに熱中し、その若さと感性を磨き、付き合う相手にその状況を聞いてもらい、褒めてもらい、認めてもらう、そんな生き方をするのが玲なのだ。

 玲の素っ気なさや冷たい対応、浮気の心配などを煩く追求する俺なんて、玲の生き方の前では得るものがないウザい相手でしかなかったはずだ。

 果たして、他の彼氏達が俺と同じような苦悩を抱えたのかどうかはわからない。案外、玲にのめり込み過ぎない地点で上手に遊んで付き合っていたのかもしれない。


 玲から彼氏達が離れていって俺にお鉢が回ってきたのであれば、俺はどうすればいいだろう?

 馬鹿にすんなよ、と俺も離れていくのか、真夏ちゃんの父を思う気持ちに沿ってもう逢わないことにするのか、それとも、玲を独り占めしてしばらく楽しんでいくのか。

 

 いや、ここにきてもまだ、どうすればよいかを何故に俺は考えるのだろう?

 最早、4年前の時点で、名前で呼ばれない扱いをされていることがわかっているのに、圧倒的に玲に裏切られていたことを知った今も、真夏ちゃんのお父さんを純粋に思う気持ちに触れてもなお、これから玲とどうやってつきあっていこう、なんて何故に俺は考えているんだろう。


 不倫をする理由は、人ぞれぞれあるだろうが、俺は『恋愛のいいとこどり』だと思っている。夫婦のそれは、そうはいかない。酸いも甘いもある。否、うすのろの生活では『酸い』がほとんどで、『甘い』はほんの少し、もしくは、まったくない。

 しかし、限られた時間と機会で味わおうとする不倫で『酸い』は要らないから互いにそうならないように芽を摘む、もしくは、目を瞑る。『甘い』時間と『甘い』行為だけが欲しくて不倫しているのだ。お互いが甘さだけを欲している関係で心地良さを存分に味わいたいだけなんだ。


 こうやって今まで、玲と逢って甘い時間を過ごすことを、躰を重ねることを望みながら、俺が実際に味わったものは酸いと甘さの両方、いや、むしろ、酸いの方が余計だった。それでも、玲と付き合いたいと思い続けたのは、俺は、本当のところでは、玲の心が欲しかったのではないか。恋人同士になってから結婚、そして離婚に至るまでも、そして、十何年前に再会してから今までも、玲からそのような心を貰ったと感じたことなんてほんの僅かだった。玲からどんなに素っ気なく冷たい態度をされようが、あまたの嘘をつかれて裏切られていようが、なおも玲と付き合いたいと思うのは、玲の心が欲しかったからじゃないのか。

 俺は、なぜにこんなに玲を求めるのだろう?俺は玲を愛しているのだろうか?

 仮に、そうだとしても、おそらく、この先も愛は成就することはないだろう。玲は変わらない。父を想う真夏ちゃんにどれだけ責められても男と逢うことをやめなかった玲だ。俺が求めている心が玲に果たしてあるかどうかも今となっては疑わしい。


 そして、成就しない愛だと知っていても、ご馳走を前に尻尾を振る犬のように体たらくで短絡的な俺自身も変わることはないだろう。

 先日、俺は、以前付き合ったことがある玖実子くみこの夢を観た。玖実子は、俺が今の妻と知り合う前に別れた女だった。以前使ったアプリ【夢見Yume-Mi】に登場したときと違って、路上でばったり会った玖実子は俺の顔を見るなり怪訝な表情をした。俺が懐かしさも込めて話し掛けるものの玖実子は顔を覆うマスクを取ることなく急ぎ足でその場を去ろうとした。それでも、玖実子は最後には俺の方に振り返ってこう言った。


「わたしは、あなたに『許してくれ』なんて言ってほしかったわけじゃないの。『お前じゃなきゃダメなんだ』って言ってほしかったのよ」


 思い返せば、今の妻も含めて、俺がこれまで付き合ってきた女にそんな想いをもったことがあっただろうか。少なくとも、そんなことを言ったことなんてなかった。俺は、女にそう想われたいと強く願っていても、俺自身はそれだけ本気を出して女を愛したことなんてなかったのかもしれない。

 俺は、自分の家や家族のことを想い、神社のことを想い、結婚して穏やかに生活することを第一に考えて女と付き合い、合わない、と思えば別れてきた。特に、玲と離婚してからはそうだった。

 そういう観点からすれば、玲は過去の実績の通り、合うはずがない女だけれど、それでも、これだけ玲を求めている、ということは、俺は玲を心から愛しているからなのだろうか。それとも、旧態依然のままの俺を物語るように『俺を愛している』と玲に想わせたいだけなのだろうか。

 確かなことは、俺自身のことなのに、俺は俺のことをわかっちゃいない、ということだ。


 そして、もうひとつ。玲は旦那さんとも、家族とも、俺とも、俺以外の彼氏達とも付き合いながら生きてきながら、きっと、彼女はで生きてきたんだと思う。常に側に誰かが居ながらも、誰にも遠慮することなく生きて、誰からの心配も愛情すらも自分が欲しい所だけいただいて他は余所よそにして独りで生きてきた。そして、その生き方は余程のことがない限りこれからも変わることはないだろう。

 



 帰りの高速道を走っている最中に、ショートメールが届いた。俺は数キロ走った先のパーキングエリアに車を停めてからメールを開いた。



【元気?この前は来てくれてありがとうね】


【いや、俺の方こそ、久しぶりに逢えて嬉しかった。プレゼントもありがとう】


【いま、仕事終わり。今度、いつ逢えるかなあ】


【ん?逢ってもいいのか?】


【なにそれ?】


【ううん。なんでもないよ。じゃあ、再来週の土日のどちらかがいいかな】


【うん わかった。じゃ、土曜日の方がいいかな】


【玲、久しぶりに玉撞きしないか?】


【玉撞き? それは、の玉撞きじゃなくてホンモノの?】


【ああ、下の方もだけど、その前に本物の方の】


【わかった。じゃあ、練習しておくね】



 俺は、特に玉撞きがしたかったわけじゃないけど、確かめる必要があった。この会話から、このショートメールは玲本人からのものだろう。


 俺の態度をどうするのか、決めてはいない。

 再来週までに考えて決めればいい。




 でも、本当の決断は、玲に逢った瞬間に決まる、ような気がする。








-了-





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竹石 玲と名前を呼ばれない男 橙 suzukake @daidai1112

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