第33話 錆び付かない関係
あれから4年が経った。
俺の勤務地は、変わらず、実家から近い地方振興局で、神社の仕事も同時に淡々と務めていた。俺の娘も中学生になった。
4年前のあのホテルの一件以来、お互いにメールや電話のやり取りは一切無く、本当に終わったままだった。
振られたのは俺だったから、さすがに俺の方から連絡はできなかった。しかし、気まぐれな玲のことだから、謝ることなんて絶対に無いながらも、そのうち何事もなかったかのように連絡してくるだろうと思っていたのだが、とうとう、そんなこともなく年月が過ぎた。
まあ、玲にとっては“いい厄介払いができた”ってところだったんだろう。また、その気もないのに、メールかなんかで変に愛想を投げかけることで、また、俺がのぼせ上ったんじゃ面倒になる、そんなところだろう。
不思議なもので、別れてからも、天気予報の雨雲レーダーで本城市の方をなんとなく確認してしまっていたし、大雪が降れば、玲のマンションの駐車場の状況を想像したりしていた。
玲は、きっと、いつもと変りないルーティーンで仕事をし、身体を動かし、好きな服を買い、そして、付き合っている男に自分のことをベラベラと話し、その感度のいい細身の躰を抱かれているんだろう。
【誕生日おめでとうございます 元気にしてる?】
俺の誕生日の夕方に、前触れなく、玲からショートメールが届いた。
(いったいどうしたものか。このメールに返信していいのか…)
【メールありがとう。元気にしてます】
俺はだいぶ迷ったが、動揺をおくびに出さないような文章にしてメールで応答した。
【よかった。あたしも相変わらずよ】
この先の返信をせずにいると、10分後くらいに続けてメールが来た。
【ね。誕生日のプレゼントを用意したんだけど逢えない?】
もうすでに用意してあるプレゼントを断れるはずがない。
こんな風に言われて断れない俺のことを見透かした文面だった。
かつて、使っていた展望岬に繋がる駐車場で待ち合わせしたが、玲は時間前に到着した俺よりも早く着いていた。俺よりも早く着いているなんて記憶にない。
「久しぶり」
助手席に乗り込んできた玲が俺と目を合わせながらそう言った。
「車、変わってなかったのね。変わってたらわかんないもの。よかった」
「玲の方は、買い替えたんだね。にしても、
「もう、子どもも大きくなって家から出て行っちゃったし、大きいのは要らないのよ」
玲は黒いニットのワンピースに手触りのよさそうな皮のブルゾンを羽織っていた。4年ぶりだというのに、身体のフォルムや顔の色つやもちっとも変っていなかった。髪は胸のところまで伸びていて綺麗な曲線を描いていた。
「誕生日おめでとう~」
玲は手提げ紙袋を俺に手渡した。
「どうもありがとう。開けてもいいかな」
「あなたにプレゼントだなんて久しぶり過ぎるから。気に入ってくれるといいけど」
紙袋の中から綺麗に包装された物を取り出して開けると、グレーのニットが出てきた。
「これは… ネックウォーマーかな」
「そ。これから雪が降るから、除雪の時にあったかいかな、って思って」
「ああ。こういうの無かったから助かるよ。どうもありがとう」
「気に入ってくれた?」
「ああ。とても」
「よかった~」
4年前のあのホテルで、「嫌!」と言って俺の手を払いのけた玲の冷たい顔が嘘のような満面の笑顔だった。
「なあ、今日はあったかいから、岬の方に行ってみないか」
俺がそう誘うと、玲は「いいよ。積もる話もあるしね」と笑みを浮かべた。
展望岬に繋がっている坂道を並んで歩いた。晩秋のこの時期とすれば、信じられないくらいの快晴の空の下だった。
坂道を登りきると、目下に緑色の日本海が広がっている。
「ああ、今日は、天気がいいからこんな色なんだね~」と玲は嬉しそうに言った。
展望岬の最先端まで歩いて行くと、神社の鳥居の横棒が一本足りないやぐら柱があってそこに長さが30センチくらいの鐘が吊り下がっている。その鐘やぐらの奥のフェンスにはおびただしい数のハート形のプレートが重ね重ね結わい付けられている。此処を訪れるカップルが近くのショップに売っているハート形のプレートに油性ペンで思い思いの言葉や日付を書いてフェンスに結わい付け、二人で一緒に永遠の愛を誓う鐘を鳴らすんだろう。
「あたしたちがここに来たときは、プレートじゃなくて南京錠と鎖だったわね」
「南京錠だと、付けた時はピカピカしていても、潮風ですぐに錆びちゃって永遠の愛を誓うには見苦しくなるもんだからプレートにしたんだろうな」
「あたしたちは南京錠付けなかったわよね。だから今でも錆び付いていないんだわ」
玲はそんなことを言ったが、俺はまったく同意できなかったから返事をしなかった。
海を眺められるベンチに二人で座って4年前からの諸々を話した。
といっても、俺の方は特に話すこともなく、家族のみんなが一歳ずつ年を取ってきたけれどお袋は三年前に亡くなったことぐらいだった。
一方、玲の方は、話が止まらない風だった。
お母さんが亡くなられて以来、ずっと一人暮らしをしていたお父さんが二年前に亡くなり、玲の実家は取り壊して更地にし、隣の寺に土地を譲ったんだそうだ。玲の態度に怒って自室の壁に穴を開けたことで相談に乗ってあげたこともあった長男は宮城県にある大学へ、長女は大阪の医療専門学校、次男は地元の高校とそれぞれ進学し、玲は長女が住む大阪に1か月に1回程度、列車で行くようになり、今まで関心を持ったことがなかった在阪球団のファンになって球場に行っているんだそうだ。また、前から続けていたスイミングに加えて、扇川の土手を5km走り、ホットヨガやピラティスのレッスンにも通うようになったそうだ。また、最近では、この展望岬からほど近い海でスキューバダイビングのライセンスを取って潜っているとのことだった。魚の名前を覚えたいとのことで、いつだったか二人でドライブしたときに通り過ぎた水族館の年間パスポートを買ったそうだ。相変わらず、時間とお金を使って自分のやりたいことを満喫しているようだった。
そして、これだけ話しても、4年前のあのホテルでのことは話題にならなかった。万事が『嫌なことは忘れましょう』の玲だから、俺が口にしない限り、玲から話を振ることはないのだ。もちろん、今更、俺の方からもこの話題を振ることはない。もしかして、この突然の誕生日プレゼントだって、今回逢う口実に加えて、玲は決して口にはしないものの、その時のお詫びのつもりもあったかもしれない。
「さすがに、風が冷たくなってきたな」
「あたし、前にいつも買ってきてた本城のパン屋さんからパンを買ってきたんだけど一緒に食べる?」
「俺の分もあるの?」
「もちろん」
「じゃあ、どこで食べよっか」と言って玲の顔を見ると、その顔にはすでに答えが書いてあった。
「ん? いいのか?行っても」
「いいよ」
『前にいつも買ってきていた…』というのは、玲が本城のパン屋で買ったパンをホテルで一緒に食べてから躰を重ねていた、という過去の記号のようなものだった。
予想や期待を1ミリもしていなかったわけでもないけれど、あんな別れ方をした4年後にこんなことになるとは本当のところで思っていなかった。
無料のウエルカムドリンクを飲みながら俺たちはパンを食べ、なおも、話し足りない玲が自分のことをベラベラ喋ることに相槌をついて過ごした後、俺たちは唇を重ねた。
「今日はニットのワンピースだから、ここから手を入れると、もうお尻なの」
玲の言う通りに左手をスカートの裾から差し込んで、滑らかな手触りの脚を撫でながら進んでいくと、やわらかくて小さいお尻があらわになっているTバックに行き着いた。
「玲、シャワーは?」
「ん?どっちでもいいよ」
「なら、このままで」
俺たちの関係は、フェンスに以前結わえられていた錆び付いた南京錠と一緒だったんじゃないのか。
それとも、あの真新しいハート形のプレートだとでもいうのか。
お互いの欲求を放出させた後、懐かしい天井の電灯を眺めながら俺は聞いてみた。
「俺たちの関係って、なんなんだろうね」
「そうね… 腐れ縁かな」
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