第32話 嫌!

 そして、ライブの当日になった。

 俺は、待ち合わせ時刻の30分前にホテルに到着して、2階建ての駐車場の1階の1台分だけ空いていたスペースに車を停めた。この日は、スタジアムでのライブのほかに、その都市の夏祭りの初日にもなっていたこともあって、市内のホテルは早い時期から軒並み満室になったそうだ。今回、利用するホテルは郊外にあって、中心部まで遠い、どちらかというと便の悪いビジネスホテルだったが、玲の話だとそれでも満室と言っていた。

 俺は、カンカン照りの駐車場の入り口で煙草を吸いながら待っていたが、40分遅れで玲の車が入ってきた。俺は運転席の窓を開けた玲に説明をして、俺の車を停めていたスペースに誘導して入れさせ、俺は、屋外の駐車スペースに車を移動した。

 

 40分遅れの到着でも、陽の当たらない駐車スペースを譲っても玲は詫びの一つもなく、キャリーケースを車から出してゴロゴロ言わせながらフロントに向かった。

 まだチェックインの時間間もないというのに、フロント前には長い列ができていた。おそらく、お祭に行くか、ライブに行く若い人達やカップルばかりだった。

 予約した玲自身がチェックインの手続きをして、エレベータに乗った。

 部屋はセミダブルのベッドが一つに、小さなテーブルと椅子が二つ置いてある小さな部屋だった。「このタイプの部屋しか空いていない」と玲は言っていたものの、狭いセミダブルのベッドを眺めると、本当に、此処に女性二人で泊まろうとしていたのか疑わざるを得ず、それでも、それを俺は飲み込んだ。



 会話らしい会話も無いまま、玲は化粧を直し、早めにスタジアムに向かうことになった。玲は助手席で濃いサングラスを掛けて車窓に顔を向けたまま無言だった。これはもう、明らかに、先日逢った後の俺のメールに怒っている、と確信したが、かといって、俺がそれについて謝るのも、メールの内容を取り下げるのも違うことだと思って俺は平静を装って接した。スタジアムの駐車場に入るまでの大渋滞は、この無言劇の背景として迷惑にも大いに引き立ててくれたが、最早、付ける薬は見つからず、30秒に1メートル進むアクセルワークを淡々とこなすしかなかった。



 このミュージシャンのライブに参加するのは2回目だったが、日中の暑さが落ち着いた大きなスタジアムでのライブは楽しいものだった。元々ファンの玲も体を揺らしたり手拍子をしたりしながら一緒に歌って楽しんでいた。

 が、しかし、ライブが終わると、玲の表情は一転して無表情になり、本当はブロックごとに退場することになっているのに、お構いなしにどんどんとアリーナの通路を出口に向かって歩いて行った。俺はどぎまぎしながら後を追うしかなかった。

 

 マナー違反の退場のおかげで、往きほどの渋滞にはまらなかった俺たちは、ホテル近くのファミレスでビールジョッキ1杯と味気ない食事をして部屋に戻った。

 玲は、このホテルに岩盤浴があるから、と、一人で行ってしまい、1時間半後にやっと戻ってきた。時計はもう明日になろうとしていた。


 俺は、さすがに二人の距離を詰めようと玲に迫ると「嫌!」と言って手を払いのけられた。


「なんで?」


「嫌だから」


 決定的なリアクションだった。終わったな…と思った。


「わかったよ。此処には泊まれない」


 俺はそう言い残して、荷物を持って部屋を出た。

  



 夜といっても蒸し暑く、俺はエンジンとエアコンを掛けてシートを倒した。騒音になるからと苦情があればその時はホテルマンが車に来るだろう。


 今日一日の玲の態度や『嫌!』と言って俺の手を払いのける玲の顔が頭から離れずになかなか寝付けなかった。もしかして、玲が思い直してメールや電話を寄こすかと思ってマナーモードを解除したけれどついぞ音が鳴ることなくいつの間にか眠りに落ちた。


 それでも4時前に目が覚めて、一応、携帯を覗いたけれど誰からもアクセスが無かった。

 運転席を起こしてエンジンを掛けようとキーを回そうとしたけれど、夜からエンジンが掛けっ放しだったことに気が付いて、また、ため息が出た。


 玲は、今頃、あのセミダブルのベッドですやすやと眠っているだろう。そういう女だ。

 自分が気分を害していることが最優先であって、部屋を出た俺がどうしているかなんて斟酌しんしゃくするような女じゃないのだ。

 俺は、エアコンのスイッチを消して窓を開けてからゆっくりと駐車場のスロープを降りた。

 この時間でも、幹線道路では、地元の祭も昨日のライブも関係なさそうな長距離トラック達がライトを点けて走っていた。


 昨日のライブは、本当は別の男と来るはずだったのにダメになり、代わりに俺に声を掛けたのに、素っ気ないだの、冷たいだのと煩いことを言い、おまけに、名前で呼んでくれないだのと面倒くさいことを言う男になったものだから嫌気がさしたんだろう、と俺は勝手に結論付けた。

 おそらく、俺からの苦情は玲にとってほぼ的を得ていたのだろうと思う。だから、それが自分への批判と受け取ってなおさら腹を立てていたのだ。

 玲は何も言わないから、こちらで想像するしかなく、確かめようもないのだが。


 ともかく、この日が俺たちの終わりの日になった。

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