TaTaTa・ターメライゼーション

HiDe

第1話 DeDeDe・デリート

——「タメライ」さえ無ければ人はなんだってできる。仕事も、勉強も、人助けも、殺人も。



 人間の行動の中で最も野性的な行動が『躊躇』です。私たちの祖先は古くは、マンモスなどの大型の哺乳類や、ライオンなどの獰猛な肉食獣に囲まれて生きてきました。マンモスを襲うときは群れを成して取り囲み、一斉に槍を投げます。



 簡単にはいきません。巨大なうえパワーは人間が束になろうがかなわない。ですから、出血させて時間をかけて体力を消耗させるのです。弱ったところにとどめを刺します。マンモスは貴重なたんぱく源でした。



 このやり方は一朝一夕で身についたわけではありません。人間はもともと力が弱いわけですから、ほかの肉食動物のほうがよっぽど狩りがうまいのです。ではなぜ人間はマンモスを狩ることができたのでしょうか?その答えは『学習』です。



 数少ない成功を記憶し、それをパターン化できる能力はほかの動物にはありませんでした。だから、人間はほかの肉食獣以上に狩りがうまかったのです。



 学習能力の際たるところは防衛機能です。ライオンの住処を一度知ったなら、そこには近づかないよう群れの人間と情報を共有します。この学習はマンモスの狩り方とは比べ物にならない速さで習得します。危機察知能力は野生で生き残るために最も重要な能力だからです。そしてこの学習においてはどの生物も急速に習得できます。


 

 『躊躇』とは、防衛本能を刺激して、過去の失敗や危機を回避する行動と言い換えることができます。すなわち、躊躇こそが最も生物には欠かせない能力で、これを失うことはもはや、【】に生まれ変わることを意味するのです。




―————————


 


 楽しげな正午の街を、一人の少年が不安げに歩いている。足取りはどこか焦りを隠せずにいるようだった。



「栄養バランス栄養バランス……。いいか、今朝は何も食べてないすきっ腹だ。12時にいきなり炭水化物と脂質は駄目だ。」


 

「まずは野菜。それから脂質の少ない肉、豆腐などのたんぱく質。つまり、昼食はサンドイッチで決まり!」



 少年は笑顔を取り戻し、歩みを早めてサンドイッチ屋の扉の前にたどり着いた。



 メニューを見ると、栄養バランスの整った鶏のクラブハウスサンドがちょうどよさそうに見えた。



 しかし、少年はどこか不安げな表情で考え始めた。



「全然足りない。いつもはこのサンドイッチの倍ぐらいは量を食べていた。きっとお腹が減って午後の活動に支障が出るに違いない。この店はやめよう。」



「もっと量がある店へ行こう。たくさん肉と野菜が食べられる店へ。」 



 そうして少年は次に牛丼屋の前にたどり着いた。



 「うん。ここなら肉もごはんもたくさん食べられて満腹になれる。それに野菜もたっぷりついてくるぞ。」



 少年は笑顔を取り戻し、牛丼屋の扉に手をかけた。



 が、しかし、不安げな表情で考え込み始めてしまった。



「この店……どこにでもあるチェーン店だ。」



 少年はチェーン店がお気に召さなかったようだ。



「こういうチェーンは旅行中のサービスエリアとかで食べるのが一番うまいのであって、日常的に食べまくるのは違うと思う。俺はこの飯の時間をもうちょっと有意義に使いたい。」



 と、謎の理論で牛丼屋を去った少年は次にもっと個性のある店を目指した。



 少年は如何にも中国人が経営している全体的に赤い中華屋の前に立った。



「うん、ここなら栄養バランスはそんなに期待できないけど量はまあまああるだろうし、コスパもいい。ここにしよう。」



 が、しかし、不安げに考える少年。



「衛生面が不安。」



 ちょっとした先入観で中華屋を立ち去った少年は、以前似たような店で出されたおしぼりが茶色かった過去があったのだった。



「ああ~ここもダメ、あそこもダメもうどうしたらいいんだ~!」



 


 肩を落とした少年が向かったのは一軒のラーメン屋だった。いつもの店、いつもの客、見飽きた光景が広がっていた。



「今日も結局この店に来てしまった。」



 時刻は午後二時。気づけば二時間も街を散歩してしまっていた。少年は味玉豚骨ラーメンを注文した。いつも頼んでいたメニューだ。



「はあ……。俺ってどうして何事も選択を迷ってしまうんだろう。」



ふと、いつもの客がいつの間にかいなくなっていることに気づいた。一人の怪しげな女が少年の一つ隣に腰かけた。



「あなた、自分を変えたいとは思ったことはありませんか?」

 女は少年に話しかける。


(なんだこの人?いきなり話しかけてくるなんて気味が悪いな。)

 少年は無視してズルズルとラーメンをすすった。


「私ね、怒りって意味のない感情だと思うんです。」

 少年にだけ聞こえるように女は囁いた。



すると、次の瞬間



「あーなんてまずいラーメンなのかしら!!こんな豚のえさをよくも客に出そうなんて思ったわね!」

そう店中に響くように叫んだあと、どんぶりを床にぶちまけた。



(な、なんてことを……。ひどい。どんなに温厚な店主だってここまでの屈辱を受けたら黙ってないぞ。)



少年は思わず耳をふさいだ。……しかし、予想に反して店主の怒号は聞こえてこなかった。



「お客さん大丈夫かい?スープがかかっちゃいないかい?あ、ホラその手、破片でけがしてたら大変だ。見せてみな。」

店主はいたって冷静に器を片付け始めた。



「ちょ、ちょっと店主さん!あんなことを言われて黙っていていいんですか!」

少年は自分の行きつけがバカにされたことに少なからず憤慨していた。



「……?いや、それよりも早く床を掃除しないと。」

店主は暴言を吐いた女のほうを見向きもしなかった。



「無駄ですよ。今その店主に何を言っても。彼にはもう怒りという感情がないんですから。」

女は怪しげな笑みを浮かべた。



「怒りがあるから人は冷静さを欠くのです。数多くの過ちは怒りに身を任せたがゆえに起こってきたもの。だから怒りを消してしまったのです。もう彼は金輪際怒ることはないのです。」

女の言うことに少年は少なからず動揺した。



「あなた……いったい何者ですか。」

少年が尋ねる。



「私は……天界の使者です。あなた方人間が滅びるという予知が出たため現世へと送られたのです。」



「ほ、滅びるって……どうやって?」

少年はまだ半信半疑だ。



「戦争です。」



「最終的にどこが勝つんですか?」



「さあ、なにしろ滅びるわけですから最終的には人類が負けということになります。」



「じゃあ!日本はどうなるんですか!?」



「滅びます。」



「どうやって?!」



「これを教えてよいものやら。ただ一つ言えるのは、巨大な反政府組織によって滅びると、そう出ています。要はテロです。」



少年は動揺した。この女の現実味のない話と目の前で起こった圧倒的非現実の板挟みを食らっていたからだ。



「そ、それで俺に一体何の用なんです?」

少年はひとまず要件を聞くことにした。



「ふふふ。私はあなたに用があるだなんて一言も言っていませんよ。」



「……じゃあこれからどちらかに行かれるのですか?」



「いいえ。……やはりあなたにしようと思います。」

女はなにか含みを持たせたような言い方だった。



「え、それってつまりおれは天界から選ばれたってことですか?」

救世主に?と、一瞬言いかけたが、面倒なことになりそうなのでやめにした。



「天界の使者に、ですね。」



「……おぇ~い。」

少年は非日常感も相まって少し調子に乗っている。



「では、あなたの感情を一つ消します。」

女は椅子から降りて少年のほうへ歩んでくる。



カッカッカッ



「……え?」

少年の顔がピクっとこわばる。



「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!!それと世界を滅びから救うことと何の関係があるんですか!!」

少年は声を荒げた。



「大ありです。争いの種をなくすには人の思考を操るのが一番手っ取り早いのです。しかし、私たちも万能ではありません。失敗に終わってしまえばそれこそ滅びを早めることになるでしょう。あなたは被験体……もとい天界の使徒一号となるわけです。」



「つまり俺は体のいいモルモットってわけですか……。」

少年は怒りが込み上げてきた。なんで自分がこんな目に合わなければいけないのか。なぜこんな理不尽に抵抗すらできないのか。



「今から私が消す感情は【躊躇】。あなたは生まれ変わるのです。この世界を救済する使徒として……。」



女は少年の額に手を当てた。少年は抵抗しようともがくが、意志とは裏腹に体は動かない。



(嫌だ……嫌だ!!感情を消すなんてそんなの!……あれ、でもなんで嫌なんだろう?俺が躊躇して何か得をしたことがあったか?)



少年は諦めとは違う奇妙な期待感を抱いていた。



「自分を変えたいと思ったことはありませんか?」



女の言葉が頭をよぎる。



(あるさ。あるとも。こんな臆病な性格クソみたいなもんだ!どうせこの先の人生にロクな希望があるわけじゃないんだ。だったら変わりたい。たとえ元の自分に戻れないとしても、人じゃない別の何かになり果ててしまっても……とにかくここから抜け出したい!!)




懐かしい声が聞こえるような気がした。脳の感情野と言語野は近い位置にあるからそのせいだろう。子供のころの記憶だ。幼馴染の女の子と二人で子犬を拾った時のことだ。



「ねぇねぇ、なんで玉ねぎあげちゃいけないの?」

少女が幼い俺に尋ねる。



「犬には玉ねぎが毒なんだってさ。」



「へぇ~そうなんだ。慎二ってなんでも知ってるんだね!」



「昔可愛がってた犬に間違って玉ねぎをやっちゃってさ。それからいろんなことが怖くなって調べるようになったんだ。」



「ふ~ん……偉いね。」

少女はにこっと笑いかけた。



「このぐらい、普通だっての。」

少年は照れ臭そうにそっぽを向いた。





プツッ




懐かしい光景は突如ブラックアウトする。



何か大事なものがなくなった気がした。もう思い出すことはできないけれど。


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