同僚

この日は定期の通院日だった。

平日の総合病院は混んでいてそれだけで催しそうになるが、片貝の診察科は精神科だったため比較的番号はすぐ呼ばれる。


『どうです?その後は。よく寝られてますか?』

主治医は言った。

柳井と言う五十絡みの男性医師だ。

さすがと言うべきか、この医師は出す雰囲気が

最早「精神科の先生」なのだ。

笑顔、声色、言葉のチョイス、まるで巧みな詐欺師の様だと片貝も失礼ながら思った程だ。


『はい、以前よりは。まあでも、四、五時間ですかね。』


『そうですか。頑張ってらっしゃいますね。毎朝のご気分はどうでしょう?』

『…朝は、何て言うか、風邪ひいた時みたいに疲れてます。寝たはずなのに。』

『深い眠りではないのかもしれないですね。夢は見ますか?』

『…毎日。』

『そうですか。レム睡眠ですか。もっと強いお薬に変えることも可能ですよ?』

『…いや、ちょっと様子見たいです。』

『そうですか。他になにか、話しておきたいことはありますか?』


診察はほぼ五分以下のものだった。が、日常で起こるどの会話よりも濃厚な時間に感じられた。


「話を聞いてもらえる」

人間、それだけのことで発散されるものがある。

人間は所詮生まれてから死ぬまで承認欲求の塊なのであろう。


会計を済ませ処方箋を貰い薬局に行く。

柳井医師同様ここの薬剤師とも一年近い付き合いでお互い顔も見知っているし、片貝も片貝でエチゾラムと言う薬名だけは覚えた。


薬を受け取り車のなかでスマホを開いた。

珍しくラインの通知があった。


介護施設の同僚からだった。


「体調どう?今日飲み行く?」


メッセージの送り主は二つ上の元同僚だった。

立川と言う男だ。


さほど仲が良かった記憶はないが、休職してからと言うものこうやって連絡を寄越す。

心を病んだことこそ明かしていないが、息子を殺されて休職中の身を察しろ、と当初は連絡も無視していた。

が、今日は気紛れに返信してみた。


「はい、長居できませんが。」

敢えてノリの良さそうな文章では返さなかった。

休職中であると言う社会への後ろめたさと、自分は息子を殺された人間であり本来喪に服して然りと言う社会通念への遠慮があったのかもしれない。


「よかった。待ち合わせは19時じゃ早いかな?」


「いえ、平気です。」


「なら俺が出向くよ。最寄りO駅だよね?」


「はい、申し訳ないです。」


休職前はもっと砕けたやり取りをしていたと思うが、どうにも調子が出ないし何より他人との距離の測り方を忘れてしまった。



帰宅すると茜が晴日をプラレールで遊ばせていた。

『ぱぁー!』

晴日はおかえりの代わりにそう言って片貝を指差した。

『ただいま。』

片貝はそう言って晴日の頭を撫でた。

茜はじっとプラレールの周回を眺めている。


『…今日夜ちょっと出てくる。』


『…ご飯は?』


『いらない。同僚に誘われたんだ。』


会話はそこで切れた。

茜は何時に何処へ何をしに、と詮索はしない。

片貝も、茜が自分に興味を持っていないことを熟知しているため必要以上の事は言わない。


無論事件以後こうなった。

以前までは片貝に対して、温もりがあった。


茜は二人の息子を何より愛していた。


その片方を奪われた痛みは、二つある臓器の一つを失う以上のものだろう。


事実眼球や肺や腎臓はその片割れを失っても生命は維持されるが、片貝家は心を失って以来機能不全に近い状態である。


元々おしどり夫婦と言えるようなものではなかったかもしれないが、目に見えずとも何かが瓦解した。


茜は晴日の言葉の遅れを事件のせいだと思い込んでいるのもあると思うが、事件以前の様に晴日を抱っこしたり愛ある言葉をかけたりはしなくなった。


片貝は18時40分には駅の改札前に着いてしまっていた。

立川はその15分後に到着した。


『危ない危ない、遅刻するかと思ったよ。』

合流するなり立川は言った。


『腹減ってる?』

『はい、昼が12時前だったので。』

『良かった。今日は奢るから。』

片貝は「それはさすがに」と固辞しかけたが立川にいなされた。


入ったのは駅前のチェーン店だ。

今更ながら自分の地元を待ち合わせにしといて店の一つも見繕わなかったことを片貝なりに申し訳なく感じた。


『最近飲んでる?』

『いえ全くです。立川さんは?』

二人はビールジョッキを手にしていた。


『ほぼ毎日かな。』

届いて数分の二人のビールだが、立川のものだけ既に四分の一も残っていない。


『仕事も今カツカツでさ。ナースは二人辞めたしワーカーはこの半年で三人辞めたよ。』

介護の世界ではよくある話である。


『よく回ってますね。』

これには片貝も思わず苦笑いした。

『ワーカー誰が辞めたんです?』


『斎藤さんと熊谷さんと永田。』


『斎藤さんは還暦超えだからアレですけど、熊谷さんと永田さんはなんでまた?』


『熊谷さんはカエデに飛ばされるって話が出てキレて辞めちゃった。永田は結婚。』

カエデとは片貝たちの介護施設ケヤキの、悪名高い他店舗である。


『熊谷さんは…なんか想像つきますね。永田さん彼女いたのかぁ。』

片貝は久々にしみじみ同僚の顔を思い浮かべていた。


『出来ちゃったんだとさ。あれ?永田は片貝くんのタメ?』

『いや、僕より二つ下すね。今僕33なんで。』


『そっか。頃合いだよな。』


『んー、まあ…。』


そこからも他愛のない話題が生まれる度にこのような形で片貝が話題の芽を摘んだ。

丁度居心地も悪くなって来た頃、立川が口を開いた。


『俺離婚すんだよ。』



『…え?』


『前々から話しててさ。で、来月。』


片貝は少し驚いた。

立川は施設の夏祭りに子供をつれてきたり、仲間内のバーベキューに奥さんを連れてくるなどしていたからだ。


『…どうしてまた?』


『男いたんだよ、嫁。二年だってよ。二人目産んですぐだぜ?いかれてるよな。』


立川は電子タバコを吹かした。


『…ほんとすか。』

他に口にすべきワードがない。


『…子供は引き取ってもらうんだ。』


『二人ともですか?』

片貝の記憶では立川家は三才と二歳の年子の一姫二太郎だ。


『うん、うち両親ももういないから引き取るのちょっと大変なんだ。年収低いシングルファザーには厳しい国だよな。』

そう言って立川はハイボールを注文した。


『………悔しくはないですか?』


『なにが?』


『…お子さん。』


少し間が空いた。


『悔しいね。悔しいよ。でもさ、もう違うんだよ。』

『違う?』


『うん。「家族」ってさ、初期状態を保ってられて家族なのかなって。個人的に。俺が仮に子供引き取って、再婚して、んで新しい家庭を作ったとしてもそれを家族と呼べる気がしないんだ。』


何故かその立川の思いが片貝には分かるような気がした。


『例えば長女がさ、新しい継母を「お母さん」て呼んでも、どっかで「違うんだぜ」って。お前の母ちゃんほんとは違うんだぜごめんなって気持ちになっちゃうと思うんだ。あとはさ、一回壊れたらもう一回作る気にならねーや。家庭。そう思ったら子供も惜しくなくなった。』


立川の言葉は心をえぐった。


この男も「家庭」と言うものを見えない力に浚われたのだ。

確かに片貝の場合も立川の場合も家庭に亀裂を入れた人物が在り、それは災害とは非なるものだ。


が、片貝も恐らく立川も己の心を何か別の強い力で壊されたのだ。


奪われる痛みだけではなく、奪われた後「どうするべきか」もしくは

「どうにかするべきだ」と言う広く残酷な選択肢を迫られる痛み。



『ごめんな。ストレスだよな。こんな話。』


『……いえ。』


そう返すのがやっとだった。







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