第25話 東雲先輩と休み時間
この日の朝は、いつもより慌ただしかった。
「えぇーと、えぇーと!!」
キッチンの方で先輩があたふたと動き回っている。
今日は珍しく先輩が寝坊し、通常の三倍のスピードで朝食を作っているのだけど。日直ということもあって、あまり見せない慌てた表情を浮かべていた。
ちなみに、僕はというと、
(……眠い……っ)
先輩に叩き起こされたこともあって、まだ頭がぼーっとしている。
……。
…………。
………………。
そんなこんなで出来上がった朝食を急いで食べ終えた先輩は、皿をキッチンのシンクに運んだ。
「翔太郎くんっ! ゴミは出したので、後のことはお願いしますっ!」
「わかりました。……あ、先輩」
「な、なんですか?」
先輩は、ソファーに置いていたカバンを手に持つと、こっちに振り向く。
「……リボン、外れてますよ」
「え? ――――…っ!?」
ゆっくりと下に向けた顔を赤く染めると、慌ててリボンの留め具を止めた。
「よ、よかったですね。出る前に気付けて……」
「っ……ありがとうございます……あっ、もうこんな時間!」
急いでリビングの扉に向かうと、扉を開ける前にこっちに振り返る。
「お弁当はキッチンの台の上に置いてあるので、忘れないでください!」
と言い残して、先輩は颯爽のごとくリビングを後にした。
「……ふわぁぁぁ~~~」
先輩がいなくなった途端、急に眠気が…――
ピロリンッ。
「ん?」
『寝ないでくださいね?』
「んん……っ!?」
画面から目を離して振り返ったのだけど。扉の方には誰の姿もなかった。
………………。
(――早く食べちゃお)
その後。
残っているパンを口の中に放り込み、牛乳で流し込むと、皿を持ってキッチンに向かった。
(それにしても、先輩、間に合うのかな……っ)
そんなことを考えながら、洗った皿を水切りかごに入れると、キッチンの台に置いてある巾着袋を手に取った。
(まあ、先輩のことだから大丈夫かっ。…………あ)
ふと目に止まったのは、台の上に置かれた……もう一つの巾着袋。
(これって……)
それは、紛れもなく先輩の巾着袋だった。
(人に言っておいて……自分が忘れているじゃないですか……)
二人分のお弁当をカバンに入れ、戸締りとガス栓を確認すると、最後にリビングの電気を消した。
「行ってきまーす……」
そう言って僕は、リビングの扉を閉めた。
それから約一時間後。一限目の授業が終わると、先輩の分のお弁当を持って二年生の教室の前にやって来た。
まさか、僕が来ると思っていないだろうから、びっくりするだろうな。
『しょっ、翔太郎くん!?』
うん……間違いない。
(……それにしても……入りづらいな……)
教室の前まで来たのはいいけど。いつも自分が使う階と違うから、何というか空気が違うように感じる。
(……でも、このまま戻るのもなぁ……)
教室の前でこれからどうしようかと考えていると、
「――あら? もしかして、黒江君かしら?」
「ん? あ」
廊下の奥の方から聴こえてきた声の主は、
「東雲先輩……っ! こ、こんにちは……っ」
初対面じゃないのに、なんだ? この緊張感は……。
そんなことを考えていると、
「………………」
「な、何ですか……?」
「黒江君。東雲って呼びにくいなら、百合でも構わないわよ?」
「え……いや、それはさすがに……っ」
この前、初めて会ったばかりの年上の人を、いきなり下の名前で呼ぶのは……ちょっと……。
陽も言っていたけど。まさか、姉弟揃って同じことを聞かれるとは……。
「――…ふふっ、冗談よ」
「は、はぁ……」
「少し抵抗があるのなら……そうね…………
「……い、いいですけど」
正直に言うと、こっちの呼び方の方が言いやすいので、こっちとしてはありがたい。
「じゃあ、これから私を呼ぶときは百合先輩ね」
「はい、わかりました。百合……先輩……」
――…実際に言ってみると、思っていた以上に……恥ずかしい……っ。
百合先輩はというと、そんな僕の姿を見てクスクスと笑みを浮かべていた。
「…………っ」
平常心で言えるようになるには、まだ時間がかかりそうだ。
ここで僕は、意外な事実を知った。それは、彼女の凛としたイメージは、周りの人に合わせるために生まれたことだ。
実際は、生粋の面倒くさがり屋で、本当は家庭科部の部長やクラスの学級委員長をやるつもりは全くなかったらしい。
人は見た目に寄らないとは、まさにこのこと。
「ところで、黒江君はどうしてここへ?」
「あ」
会話に夢中になっている間に、ここへ来た本来の目的をすっかり忘れていた。
「えっとですね、それは…――」
――――――あ。
僕は、説明しようと開けた口をゆっくりと閉じた。
もし、ここで先輩の名前を出したら……いろいろな意味でまずいのでは……。
「そ、それは……えぇーと……」
「?」
「っ……な、なんとなく……ですっ!」
「なんとなく?」
「は、はい……」
なんて、曖昧な答えなんだろう……。これじゃあ、怪しまれて当然――
「………………」
じーーーーーっ。
案の定と言うべきか、百合先輩は、探偵のような鋭い瞳で僕の顔をじっと見ている。
(これに関しては、例え相手が百合先輩だとしても、言うことはできません……っ!)
すると、
「お弁当が入っていると思われる巾着袋……袋の色からして、女の子用の可能性は大いに考えられる状況ね……」
百合先輩は顎に手を指を当てて推理? を始めた。
「うーん……さっぱり、わからないわ。ねぇ、こっそりでいいから教えてくれないかしら? ――…ヒミツにするから」
「…………っ!?」
胸の前で両手を合わせて上目遣いで尋ねてくるその仕草に、僕は思わず……ドキッとしてしまった。
「……っ。ひ、ヒミツなんてそんな……」
どうにか平静を装って話を切り替えようとした。そのとき、窓からの日差しを浴びながら、こっちに向かってくる人影が一つ……。
(――――――…先輩)
先輩は、迷いのない足取りで近付いて来ると――
「………………………………………………………………………………」
…――目を合わせることなく、通り過ぎて行った。
「…………っ」
ゆっくりと振り向くと、背中から刺々しいオーラが発せられていた。
今と家で全く雰囲気が違ったため、物凄いギャップを感じた僕は、その後ろ姿を見つめることしかできなかった……。
「――黒江君?」
「ッ!!? あ……なんですか……?」
「……もしかして、今、見惚れてた?」
「え」
見惚れていたと聞かれると……ある意味、『見惚れていた』と言えるだろう。
「ま、まぁ……」
「ふーん」
このときの百合先輩の表情に、僕はどこか違和感を覚えた。
すると、徐に小さな口を開いた。
「私……彼女と同じクラスなの」
「え? そうなんですか?」
「ええぇ。名前は
人気……? まぁ考えてもみれば、あの明るい性格とルックスなら、不思議ではない。
「と言っても、それは彼女が二年に上がってからの話だけど」
「へっ?」
百合先輩は、胸の前で腕を組むと話を続けた。
「彼女とは去年も同じクラスだったのだけど。そのときとは……まるで別人みたいに変わっていたの」
……別人?
僕が先輩と出会ったのは今年だから、一年のときのことは全く知らない。
「百合先輩、“別人”ってどういう――」
「――東雲さん、ちょっといいかしらー?」
声がした階段の方を見ると、二十代後半らしき女性が先輩のことを呼んでいる。
「はいっ。先生、今行きます。黒江君ごめんね、私行かないと……」
……聞きたいことはあるけど。それはまた今度だ。
「僕は別に構いませんから、行ってきてください」
そう言って百合先輩を見送った後、何気なく後ろを振り向いたが、そこに先輩の姿はなかった――。
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