第26話 交換条件とハプニング
結局。あの後、お弁当を渡すことなく放課後を迎えてしまった。
「はぁ……」
昇降口に向かう階段を下りながら、頭の中は百合先輩が言っていた言葉で埋め尽くされていた。
(“別人”、か……)
二年生の人たちなら知っているはずだが、百合先輩以外に顔見知りの人がいないから、知ることもできない。
一つ屋根の下で一緒に暮らしているのに、そういった話を聞かないということは、あまり話したくないことなのかもしれない。
それなら、僕が首を突っ込むのは止めておいた方がいいだろう。
いくら一緒に過ごす時間が長いからと言って、僕と先輩は赤の他人。お互いに、相手のことを詮索しすぎないように気を付けているつもりだ。
(それなのに……)
――…どうして、こんなにも気になるんだろう。
そんなことを考えながら昇降口まで来ると、奥の方に見慣れた人影があった。
(あ――――…先輩)
噂をすれば、とはよく言ったものだが……これは予想外だった。
このまま棒立ちで立っていたら向こうにバレるかもしれないと思った、そのとき。
(…………誰だ?)
見知らぬ男子生徒が、後ろの方から先輩に声をかけた瞬間、僕は反射的に下駄箱の棚の影に隠れた。
………………。
それから二人の様子をこっそり
「………………………………………………………………………………」
先輩が他の男と話している光景を見ていると、なんだか……胸がザラザラする。
(なにを話しているんだ……?)
自分の中でイライラが溜まっていることがわかるほどに、神経を尖らせていた。
すると、二人は揃ってどこかに行ってしまったので、慌ててその後を追った。
……。
…………。
………………。
そして辿り着いたのは、校舎裏に木の下だった。
(っ……なにを話すつもりなんだ……?)
近くの物陰に身を潜めながら、頭の中で……色々な想像……。
「…………っ」
まず、こんな場所で男女がすること……と言えば“二つ”しかない。
一つは、漫画でもよくある……『告白』と、そして、もう一つは…………いや。まさか、あの先輩に限ってそんなこと……。
考え過ぎるあまりなぜかショックを受けていると、
「お姉ちゃんマズいよ……」
校舎の方から急に声が聞こえてきたので、慌てて顔を引っ込めた。
その声の主である二人の女子生徒は、先輩と男子生徒を発見するなり近くの茂みに隠れた。
「大丈夫だって! ここに隠れていればバレやしないから」
「で、でも……」
……こっちからはバレバレなんだけど。
話を聞く限りだと、どうやら二人は姉妹のようだ。
バレないかビクビクしている方が妹で、先輩たちを食い入るように見ている方が姉なのだろう。
「うぅ……どうして私が……っ」
妹の方は、姉に無理矢理に連れて来られたんだな。
(うーん……向こうも気になるし……なぜかこっちも気になる……っ)
このまま、姉妹の様子を見ているのも面白そうだが、今はそれどころではない。
僕は、姉妹から先輩の方に視線を向けると、じっとしたまま様子を窺った。すると、
「なっ―滲む―――」
突然、男子生徒が先輩に向かって頭を下げると、その口を大きく開けた。
(――――…
頭の中の思考回路が一瞬で凍り付きそうになったが、何とか踏み止まる。
少し距離があるため、話がギリギリ聞き取れない。
(……これが……青春ってことなのか……)
………………。
すると、先輩はなにかを呟いてからゆっくりと頭を下げた。
その呟きを聞いた男子生徒はというと、肩を落として校舎の方に行ってしまった。
「っ……はああぁぁぁぁぁ……」
ゆっくりと地面に座り込むと、長いため息がこぼれた。
言葉は聞き取れなくても、今の反応を見ればわかる。
先輩が……告白を断ったのだと……。
(…………よかった)
と心の中で安堵したと同時に、ふと思った。
――どうして、今……ホッとしたんだろう……っと。
自分の中で、新たな謎が生まれた。
「――ほんと、“別人”みたいよねー」
……ん?
「一年のときとは大違いよ」
……んん? 一年のとき……?
「え、そうなの?」
そういえば、百合先輩も言っていたっけ…――
「えぇそうよ。だって――…―――…――…―――――」
なにかを言っていたが、その一番気になる部分が小声だったこともあって、うまく聞き取ることができなかった。
「へ、へぇ……そうなんだ……っ」
姉の話を聞いた妹は驚いた表情を浮かべると、先輩の方を何度かチラ見していた。
(どういう意味なんだ? 今の先輩が“別人”って……)
そんなことを考えていると、茂みから出た二人が音を立てずに校舎の方に去っていった。
(うーん……)
――ポンッポンッ。
突然、肩を叩かれて顔を上げると、
「…………あ」
「翔太郎くん、ここで……なにをしているのですか?」
そう言って、“先輩”は……しゃがんだ僕を見下ろす。
(……って、せ…――――先輩……ッッッ!!!???)
頭の中で言葉を考えていくが、この状況で適した言葉はすぐに出てこなかった。
まさか、さっきの姉妹の話に気を取られていたせいで、先輩が近付いていることに気付かないなんて……。
……というか、先輩に告白した人はどこへ?
木の下を見渡しても、人の姿はどこにもなかった。
「どうしたのですか?」
「!? い、いや……。えぇーと……いつから気付いていたん……ですか……?」
「昇降口のときからです」
「あぁ……」
最初からバレていたんだ……。
と心の中で思っている間も、先輩は目を逸らさずじーっとこっちを見ていた。
「あのですね……先輩…――」
「一緒に――」
「へっ?」
「っ…………一緒に、帰りませんか?」
先輩の口から発せられた言葉は、これまた意外なものだった。
てっきり、怒られるのかと思っていたけど。どうやら違ったようだ。
「僕は……別に構いませんけど……」
「……わかりました。では……帰りましょうか」
そう言って、先輩は校舎の方に体を向けると、止まることなく行ってしまった。
放課後から時間も経ち、黒江家の食卓ではいつも通りの夕食が始まった……のだけど……。
「………………」
「………………」
リビングでは、“無”とも言える時間が続いていた。
正面にいる先輩は、なにも言わずカレイの煮付けをパクパクと口に運んでいる。
「っ……あ、あの……先輩……っ」
無言の空気に耐えられず、思い切って話しかけた。しかし、
「………………」
先輩は、チラッとこっちを見ると、すぐさま茶碗に視線を下した。
僕が箸を茶碗の上に置いてじっと見つめたが、一向に目を合わせようとしない。
すると、先輩は目線を合わせないまま味噌汁を啜った。そして、
「――――…どうして」
「え」
「……翔太郎くんは、休み時間のときに……あそこにいたのですか?」
その声は、今にも消え入りそうなほど小さかった。
「そ、それは……先輩にお弁当を渡そうと思って……」
ちなみに、そのお弁当は家に帰って来てから先輩があっという間に平らげていた。
話は聞けなかったが、どうやら昼食なしで授業を乗り切ったようだ。
……でも、どうしてそのことが気になるんだろう。僕としては、そっちよりも放課後のことの方が気になるのだけど……。
「……まさか翔太郎くんがいると思わなくて、ビックリしました」
「あはははは……。前もって連絡しておけばよかったですね……」
「……もしかして、忘れていたのですか?」
「えっと……はい、すっかり忘れてました。先輩のことで、頭がいっぱいだったので……って、先輩?」
「っ……あ、あのとき、翔太郎くんと一緒にいたのは、
「そうですけど」
「も、もしかして……知り合い……なのですか?」
「百合先輩ですか? 先輩なら――」
「“百合先輩”……っ!? しかも、
一度目を見開くと、今度は落ち込んだ表情に変わった。
「? 大丈夫ですか?」
「は、はい……。それより、話の続きを……」
「えっと、僕のクラスに“百合”先輩の弟さんがいて……それで――」
「――い、今も、下の名前で呼びましたね……っ!?」
「えっ? ああぁ、これは休み時間のときに“百合”先輩が、こう呼んでいいって言ったんです」
「へ、へぇ……そうなのですか……」
「はい。……?」
どうしてそんなに気になるんだろう?
謎は深まるばかりだ。
「先輩は、百合先輩のことを知っているんですか?」
「一年生のときに同じクラスだったので……」
「あ、そうだったんですね」
「……彼女には、一年生のときに……とてもお世話になりましたから……」
先輩は、どこか遠くを見るような表情で呟くと、「はぁ……」と小さなため息を吐く。
その様子から察するに、過去になにかあったのはまず間違いない。
(……気にはなるけど)
僕には、それよりも聞きたいことがある。
「僕からも……質問いいですか?」
「え?」
「今、僕は百合先輩との関係について説明しました。なら次は、僕が先輩に聞く番です」
先輩は、ポカーンとした顔でこっちを見てくる。
「……所謂、交換条件……ということですね?」
「はい」
「…………っ」
じーーーーーっ。
「!? な、なんですか……!?」
僕がジト目で見ていたことに気付くと、慌てたように声を上げた。
(やっと目を合わせてくれた。よしっ、もう一息……)
じーーーーーっ。
「っ……ああもうっ! わかりました! 話します! 話しますから!」
どうやら、作戦が上手くいったようだ。
……よしっ。
「…………っ」
先輩は観念したのか、さっきの勢いが嘘のように静かになった。その顔は、さっきと変わらず真っ赤なままだ。
そんな先輩は、一度深呼吸をすると、たどたどしい声で言った。
「私に……なにを……聞きたいのですか……?」
「……放課後の“あれ”について、教えてくれませんか?」
「………………」
この感情が嫉妬からきているものなのか、それとも別のところからきているものなのか、その答えは……自分でもわからない。
でも、一つだけ言えるとしたら…――――面白くないのだ。
先輩が……他の男と一緒にいることが……。
「…………実は」
先輩は、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「――という……ことなんです……」
「な、なるほど……」
今聞いた話をまとめると、こうだ。
放課後。先輩は、昇降口で突然声をかけてきた見知らぬ一年の男子から、大事な話があると言われて、告白の現場となる校舎裏に向かったとのことだ。
ちなみに、その男子生徒からの告白には驚いたらしいが、すぐに断ったらしい。
「話しましたけど……これでいいですか……?」
先輩は一通りの説明を終えると、コップの中のお茶を一気に飲み干した。
いいかと聞かれると……『十分です』としか言えないのだけど。
(それにしても……帰り際の上級生を呼び止めて告白するって、よく考えたら凄いな……)
一体、どこの誰だよ……全く。
「
「そんなことはありませんよ……っ」
「――どうして告白を断ったんですか?」
「……え」
「どうして、断ったんですか?」
「………………」
尋ねた瞬間、徐に顔を
「んん? …――――あ」
どうやら無意識のうちに、絶対に聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。
(し、しまった……)
今の一言で、黒江家の食卓は一瞬にして凍り付いてしまった。
「あ、あの、えっと……今のは勢いで聞いてしまったと言いますか……」
「………………」
「っ……す、すみません……っ!」
震えた声で謝罪をすると、
「……ふふっ。それを翔太郎くんが聞きますか?」
「……え?」
先輩は、楽しそうな顔で見つめてくると、頬に人差し指を当てた。
「そうですね~……告白を断ったのはー……」
焦らすような言い方に、ゴクリと唾を飲み込む。
「んん~……ナイショです」
「え、ええ~? そんな誤魔化し方をされたら、余計に気になるじゃないですか」
「ふふっ、ダメですっ♪」
「そ……そんなー……」
気が抜けてどっと疲れが出たのか、イスの背もたれに深くもたれかかったのだった。
夕食を終えて、私はお風呂に入るために脱衣所へと向かっていた。
今日は、ゆっくりと湯船に浸かっていたいと思い、いつもより少し早い時間に入ることにしたのだ。
そんな私は脱衣所へと入ると、
「んん……しょっと」
着ていたTシャツを脱いだ。すると、たわわに実った胸を窮屈そうに包んでいるブラに目が止まった。
(また……大きくなったのですね……“この子”は……)
同世代の中では大きいサイズのブラのホックを外すと、大きな胸が露わになる。
「…………はぁ」
口から長いため息がこぼれた。
私にとって“これ”は、昔からのコンプレックスだった。
肩は凝るし、走るたびに揺れるし、着られる服が制限される。さらに、サイズが合う可愛いブラがお店に置いていないことがよくある。そして、なによりも……通り過ぎて行く人たちの視線が怖い。
これらの影響で、外にはなるべく厚着で出るようになった。
デニムパンツとショーツを脱いだ私は、浴室に入ると、いつも通り髪と身体を洗ってから湯船に身を浸からせる。
「………………」
髪から落ちた水滴が水面を揺らす様子を見つめながら考えていたことは……今日の放課後でのこと。
(……まさか、あんなところを見られていたなんて……っ)
思い出しただけで、急に恥ずかしくなってくる。
「はぁ……」
こんな私に告白する人がいたなんて思ってもみなかった。
(物好きな人も…――)
そのとき、ふと頭の中で映像が流れた。今すぐにでも消去したい映像が――。
(……いえ、今は止めておきましょう)
過去は過去、今は今なのだから。
私は頭を横に振ってその映像を打ち消すと、湯船の中で膝を抱えた。
……。
…………。
………………。
そして、そんな時間が三十分近く経った頃。
私が浴室を出て脱衣所の棚に置いてあるバスタオルを取ろうとした、そのとき。
「あ――あ……ああっ……い、いやあああああああああああああああーーーッ!!!!!」
驚きのあまり、盛大に尻餅をついてしまった。すると、
「――どうしたんですか、先輩……ッ!!?」
私の悲鳴に駆けつけた翔太郎くんが脱衣所に入ってきた。
「しょ……翔太郎くん……っ」
「先輩、一体なにが……って」
「……? どうして顔を逸らすのですか……?」
頭の上にはてなマークを浮かべながら、ゆっくりと視線を下ろす。
(…………あ)
そこには、生まれたままの姿で尻餅をつく自分がいた。
湯上りの年上女性の色気と……一瞬とはいえ、豊満な『それ』を目撃してしまえば、そうしてしまうのも頷ける。
「……って、そんなことは後ですっ!」
「いやいや、隠してくださいよっ!」
私は起き上がると、棚に置いてあったバスタオルで濡れた体を包んだ。
「……見ましたよね?」
顔を最高潮に赤く染めながら尋ねると、
「……ご、ごめんなさいッ! 見てしまいました……ッ!!!」
翔太郎くんは、光の速さに匹敵するほどのスピードで土下座をした。
「は、速い……じゃなくて、翔太郎くん! いたんですよ、あれが……ッ!!!」
「……? 『あれ』って?」
「あれですよ、あれ!」
翔太郎くんは、私が指さした方を見た。
「んん? ……ああぁ」
そこには、あの『黒いやつ』が、壁を縦横無尽に動き回っていたのだった。
「ひぃぃぃ……ッッッ!!!??? ……き、気持ち悪い……っ」
「……先輩。僕に任せてください」
「へっ?」
翔太郎くんは脱衣所を出てキッチンから小さなビニール袋を持ってくると、壁にゆっくりと近付いていく。
「翔太郎くん、気をつけて――」
と言った瞬間、
――ガシッ。
「え」
翔太郎くんが黒いやつを素手で掴んだ。
「……えぇ」
私が呆然としながら見ていると、翔太郎くんはビニール袋に『それ』を入れた。
「これでもう安心ですよ」
「は……はい……」
その後、翔太郎くんはその袋を持って外に出ると、近くにある公園の木の下で中に『あれ』を放したのだった。
「ふぅ。終わりましたよ、先輩」
「す……凄いですよ、翔太郎くんっ! よく素手で捕まえられましたね!」
「あはは……。まぁ、前にも出てきたことがあったんですけど。母さんたちが『男なら素手で捕まえてこい!』って言ってきて……。それ以来、素手で触ることに抵抗がなくなったんですよね……」
「へぇ~そうだったのですね」
「はい……あ」
翔太郎くんは、視線をどこに向けたらいいのかわからず、目を右往左往していた。
それもそのはず、私はまだバスタオル一枚だけの格好だったのだから。
「…………っ」
タオル越しでもわかる豊満な『それ』に、顔が赤くなるのを抑えられないようだ。
……ふふっ。
私は、翔太郎くんの顔を覗き込むと、
「……えっち♡」
艶のある声でそっと囁いた。
「…………ッ!?」
目を見開いているその様子が……なんだか、かわいい。
「……かっこよかったですよ、翔太郎くん」
「っ……そ、そうですか?」
「はい、とっても♪」
――その笑顔はあまりにも可愛くて……そして、なによりも
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