第22話 先輩とヒミツの贈り物

 ゴールデンウィークも、あっという間に最終日を迎えた。


「はぁー……」

 

 と、リビングソファーに座ってため息をこぼしていると、洗濯物を庭の物干し竿に干している先輩に目が止まった。


「………………」


 ここまで来たら、なんとしてでも聞き出さないと……。


「っ……あ、あの、せんぱ…――」


 声をかけようとしたものの、先輩はソファーの横を颯爽と通りすぎて行った。


「はぁ……」


 さすがに家事の途中で話しかけるのは、向こうからすると邪魔なはずだ。

 とりあえず、終わるまで待つしかない。


(なにかやってないかな……)


 テレビのチャンネルを何度か変えていると、料理の特集をしている番組を見つけた。

 それを何気なく見ていると、料理初心者の女性タレント二人が、一週間でどこまで料理の腕が上達するのかという企画をやっていた。


(ふーん、お題はオムライスか……)


 プロの料理人がお手本を説明しながら作っていたのだけど。


(チキンライスをきれいに包んでいる……ふわとろ卵……っ。美味いに決まっている……っ)


 見ているだけでよだれが出そうだ。

 昼食を食べ終えたばかりなのに、もうお腹が空いてきた。


(――――…これなら、僕でも…………あ)


 そのとき、なにを思ったのか部屋からメモ用紙とペンを持ってくると、急いでレシピを写し始めた。

 そして、殴り書きで書き終えたメモを見直す。


(……これなら……っ)




 それから、三十分後。


「ふぅ……。終わりましたぁ……」


 先輩が家事を終えてリビングに戻って来た。


「先輩、お疲れさまです」


 ソファーの前に座った先輩に、労いも込めて紅茶を淹れた。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます。いただきます……っ」


 紅茶を飲んでリラックスしてもらったところで……。


「あ、あの、先輩っ!」

「は、はい……っ!!」


 急に声をかけられて体がビクッとする先輩。


「大丈夫ですか?」

「っ……だ、大丈夫ですよ……っ!?」


 と言っているときの先輩の顔は、赤く染まっていた。


 ……うん、可愛い。


「なっ、なんですか、翔太郎くん?」

「えっと……実は、いいことを思いついたんです!」

「いいこと……ですか?」

「はいっ」


 僕は、先輩の目を真っ直ぐに見ながら言った。


「先輩! 今日の夕食……僕が作ります!」

「は、はい……?」


 突然の宣言に、先輩はきょとんとした顔で首を傾げた。




 チラッと時計を見ると、もうすぐ午後の五時を回ろうとしていた。


(……よしっ)


 リビングでエプロンを着ていると、ソファーから先輩がひょっこりと顔を出した。


「本当に作るのですか? 夕食なら、私が作りますけど……」


 先輩は、心配そうな顔でこっちを見てくると、キッチンに入ってこようとしたので、慌てて止める。


「先輩は、ソファーで休んでいてくださいっ!」

「で、でも……」

「まあ、まあ」


 と僕が説得すると、渋々ソファーに戻った。


(これでよしっ。えっと……)


 冷蔵庫から、オムライスに使う食材を出していく。


「これと……これと……」


 メモに書いた一通りの食材があることを確認し、早速、夕食作りを開始……その前に、手を洗おう。


 ジャアアアアアーーーーーッ。


 手のひらと手の甲を念入りに洗い、いよいよ調理開始だ。


「まずは……玉ねぎを半分に…………切るッ!!!」

「――ッ!!? はわわわわぁぁぁっ!!」


 すると、突然猛ダッシュでキッチンに入ってきた先輩が、包丁を握っていた右手を抑えてきた。


「あっ、危ないですよ……っ!!」


 危ない? ただ、玉ねぎを切ろうとしていただけなのに?


「どうしたんですか、先輩? 心配しなくても大丈夫ですよ」

「心配しないわけないじゃないですか……ッ!!」

「? よくわかりませんけど、僕に任せて…――」


 ――…すぐ目の前に、先輩の顔が……。


「翔太郎くん、包丁というのは……って、どうしたのですか?」


 お互いの体温が伝わってくる距離だからこそ……髪から香るふんわりとした香りが鼻腔びこうをくすぐる……。

 先輩って、美人だし、家事得意だし、料理に関しては勉強熱心だし……。

 非の打ち所がないって言葉は、先輩のためにあるのかもしれない。


「…………っ」

「? ちょっと、包丁いいですか?」

「――あっ。ど、どうぞ……」


 僕が包丁を渡すと、


「よく見ていてくださいね」


 先輩は、まな板の前に立って説明を始めた。


「まず、最初に右手で包丁をしっかりと握ります」


 どうやら、僕の玉ねぎの切り方が見てられなかったようだ。


(そんなに変だったかな……っ?)


 と心の中で呟いている間に、先輩は、慣れた手付きで半分に切った玉ねぎに横の切り込みを入れていった。


「ここまでできましたら、次に左手を猫の手の形にして玉ねぎを上から押さえます」

「猫の手、ですか?」

「はい、猫ちゃんの手です」


 猫ちゃん……ま、まぁ、いっか。


える方の手を猫ちゃんの手の形にしておけば、間違って包丁の刃で指を切ることを防ぐことができます」


 先輩は、これでもかと言わんばかりに事細かく説明をしてくれた。

 そして、それから数分後。


「これで、玉ねぎのみじん切りの完成です」

「おぉ……っ」


 料理初心者の自分からすると、流れるような手さばきに驚くことしかできなかった。

 先輩は、包丁をまな板の端に置くと、僕をじっと見てくる。


「……やっぱり、私が作りますっ」

「え。いや、でもこれは……」

「翔太郎くんの包丁の使い方を見ていたら、いつ怪我するかわかりませんから!」

「うっ……」


 先輩の方に体を向けると、ゆっくりと頭を下げた。


「よ、よろしく、お願いします……っ」

「ふふっ。私に任せてくださいっ!」




 先輩の気合いの入った一言から数十分。

 テーブルの上には、出来上がった料理が並んだ。


「「いただきます」」


 最初は、もちろんオムライスだ。

 スプーンですくった一口分を口に運ぶ。


「……っ!! 美味い!!」


 作り方は至ってシンプルなのだけど。まさかここまでとは……。

 卵はふわとろで……まさに、作りたかったオムライスだった。


「ふふっ」


 あまりの美味しさに頬張っていると、それを見て先輩が満面の笑みを浮かべた。


「っ……な、なんですか」

「あっ、いえ。自分が頑張って作った料理を誰かに美味しく食べてもらうのって、とても嬉しいことなんだなって……改めて思ったんです」


 と言っているときの先輩の瞳は、どこか遠くを見ているような……そんな気がした。


「料理が上手くなるまで、ひたすら作る練習をしていました。そのたびに試食して、作っては試食してを繰り返していたんです」

「先輩でも、たくさん練習するんですね」


 確かに、この家に住むようになった頃は、料理で苦労しているところを何度か見たことがある。

 でも、まさか誰も見ていないところで、そんなに努力していたなんて……。


「練習を繰り返している内に、美味しい料理が作れるようになったときは、それはもう……嬉しかったんです」


 先輩の表情は、優しさで包まれていた。


「……先輩。料理って、楽しいですね」

「……はい。とっても楽しいです……っ」


 どこか優しい空気がリビングを包み込む。


 すると、今度は真っすぐな瞳で僕の方を見てきた。


「?」


 その表情は、さっきと違って真剣そのものだった。


「翔太郎くん……。どうして今日、料理を作ろうと思ったのですか?」


 それについて聞かれることは、薄々感じていたけど……言うしかない、か。


「……一昨日おとといからずっと、先輩、どこか元気がないと思って……。だから、今日くらいは先輩の代わりに夕食を作ろうと思ったんです……」

「えっ……。では、私のために?」


 僕が頷くと、先輩は雷に打たれたように目を見開いた。


「あははは……っ」


 これを機に、料理の勉強でも始めてみようかな。


「――…実は、私、昨日の夜からずっと気になっていたことがあるんです」

「? 気になっていること、ですか?」

「……はい」


 リビングに不思議な緊張感が走る。


 ドキッ……ドキッ……。


「昨日の夕方、スーパーに買い出しに行ったことは言いましたよね?」

「い、言いましたね……っ」

「………………」

「先輩?」

「っ……そのときに見てしまったんです! 翔太郎くんが……知らない女の子と歩いているところを……っ!!」


 ……ん? ……ああぁ、あのときか。


 僕が綾野さんと一緒に帰っていたときだ。


 あれ? でも、どうしてそのことを先輩が知っているんだ……?


「そのことがずっと気になっていて、でも直接聞くことができなくて……」

「は、はあ……」

「なので……教えてくださいっ! あの女の子が、一体、誰なのかを……っ!!」




 それからというと、僕は先輩にあの日のことを説明することになった。


「――ということなんですけど」

「え、ええぇぇぇ……っ。で、では、その綾野さんという子は、翔太郎くんのクラスメイトで……あの日は“偶然”会ったということなんですね……っ!?」

「まぁ、そういうことになりますね……」

「そ……そうだったんですね……っ。――――…よかった」

「え?」


 後半の部分は声が小さかったこともあって、よく聞こえなかったけど。

 解決したのなら、まあいいか。




 その日の夜。

 部屋の電気を消して布団に横になると、


「あっ、そういえば……」


 ふとあることを思い出して、布団から起き上がった。




「………………………………………………………………………………」




 私の視線の先にあったのは、机の上に置かれた、昨日のティータイムの途中に届いた小包だった。

 最初は、翔太郎くんへのお届け物かと思ったのだけど。差出人の名前を見て、部屋に持ってきたのだ。


「どうして……」


 差出人の欄に書かれていたのは、“一条あかり”。

 私の……『妹』の名前だった。

 恐らく、“あの人”からこの家の住所を聞き出したのだろう。


 ――…妹には甘いから……。


「一体、なにが入って……」


 小包の中が気になる衝動を抑えられず、ゆっくりとガムテープを剥がし、蓋を開けた。

 そこに入っていたのは、


「――――…え」


 中身を確認するなり、私は反射的に蓋を閉めた。


(あ……あ……“あの子”はぁぁぁあああああーーーーーっ!!!!!)


 小包を抱えて、部屋を見渡す。


(とりあえず、どこか……どこかバレないところに隠さないと……っ!! もし、これが翔太郎くんにバレたりでもしたら…………あ)


 部屋を見渡すと、クローゼットに目が止まった。


「…………っ」


 ……。

 …………。

 ………………。


 それから、数分後。


「ふぅ……」


 無事に隠し終えると、クローゼットの扉を閉めた。


(でも……。まさか、あれが送られてくるなんて……)




 新たなモヤモヤを抱えたまま、私は布団に戻ったのだった。

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