第17話 予期せぬ来訪者

 ゴールデンウィーク、二日目の朝。


「んん……っ」


 瞬きをしながら天井をぼーっと見つめていたおかげか、なんとか二度寝をせずに済んだ。


 でも……やっぱり眠い……っ。


 体を起こそうとすると、首と肩に痛みが走った。


(はぁ……またか……)


 恐らく、寝違えたのだろうと自己分析をした後、その箇所を手でほぐしながら、枕元に置いてある時計を見た。


(十時か……)


 先輩にいつも起こされるのが八時だから、この時間に起きるのは久しぶりだ。

 僕は、ベッドから立ち上がると、リビングに向かうために部屋を出た。




 一階に降りてリビングの扉を開けると、キッチンからなにか音が聞こえてきた。


「先輩、おはようございます」


 僕は、先輩が朝食の準備をしていると思って朝の挨拶をしたのだけど。




「おはよぉ~っ、翔太郎~っ♪」




 返ってきたのは、いつもとは違う声だった。


「この声は……か、母さん……っ!?」


 そう。キッチンから出てきたのは、エプロン姿の母さんだった。


「急に、どうしたの!? 家に帰ってくるなんて連絡、一つもなかったけど」


 それもそのはず。母さんは、ファッション雑誌の編集者で、一か月の大半は家に帰って来ないのだから。


「はぁ。そんなことを言う前に、言うことがあるでしょ~?」


 と言ってじっとこっちを見た。


「え?」

「おかえり、でしょ」


 ……あっ、なるほど。


「お、おかえり……っ」

「ただいまっ♪」


 なんともハキハキしない声で言うと、母さんは笑顔で返してくれた。そのとき、リビングの扉が勢いよく開けられた。


「寝坊してしまってすみませんっ!! 翔太郎くんに借りた漫画とても面白くて、ついつい読んでしまって、それで…………え」


 そう言って入ってきたのは、トゲのような寝癖が付いた先輩だった。

 先輩は、僕たちを交互に見ると、目をパチクリして言った。


「久しぶりだね、彩音あやねちゃん」

「――…ッ!? な、奈津子さん……ッ!?」


 一瞬の静寂の後、先輩は朝一番の大きな声を上げた。

 驚きを隠せないのか、金魚のように口をパクパクさせている。

 こんなに驚く先輩は、なんだか新鮮だった。




「「「いただきます」」」


 母さんが作ってくれた卵焼きは、少し甘めの味付けで……なんだか懐かしい気持ちになる。

 先輩が作ってくれる玉子焼きは、出汁だしが効いていて、あっさりとした味付けでとても美味しい。


 ……でも。やっぱり、玉子焼きと言えばこの味だ。


「ほんと、元気そうでよかった」


 僕がご飯を食べえている姿を見て、母さんは頬を緩めた。


「……次からは、帰ってくるときに連絡を……」

「は~いっ♪」


 そう言って母さんは、笑顔で返した。


 ……まあ、いっか。


「でも、なんでまた急に帰って来たの? 仕事の方は?」

「ああぁあああああ~っ!!! 今は、その話しないでぇぇぇ~っ」


 僕が尋ねると、苦い顔で頭を抱えた。

 ねぎらいも兼ねて、後でコーヒーの一杯でもれた方がいいだろう。


「うぅぅぅ~……」

「か、母さん、大丈夫?」

「うぅぅぅ~……」


 どうしよう……この状況……。返事が全部、うめき声なんだけど……。


 助けを求めて、横でご飯を食べている先輩の方をチラッと見ると、さっきまで頭を抱えていた母さんも、なぜか先輩の方を見た。

 ……いたずらっ子のような不敵な笑みを浮かべて……。


「ねえ、彩音ちゃん」


 と呼ばれて、先輩は茶碗から顔を上げた。


「翔太郎との二人暮らしは、どう?♪ 順調?♪」

「…………えっ!?」

「ねっ、ねっ、教えてぇ~♪」

「そ、それは……」

「うんうんっ! それは~?♪」

「えーっと……それは……っ」

「ちょっ、母さんっ! 先輩が困って――」




「――わ、私……失礼します……っ!」




 先輩は、勢いよくイスから立ち上がると、リビングを出て行ってしまった。


「あっちゃ~行っちゃった」

自業じごう自得じとくだよ……」

「むぅ~。じゃあ翔太郎は、どうなの? 彩音ちゃんとの生活♪」


 と言って、僕の目を真っすぐと見てくる母さんの瞳は、決して冗談を言っているようには見えなかった。




 ………………。




「っ……先輩には、頭が上がらないよ……」

「……そっか」


 今の言葉で伝わったのか、母さんはそれ以上聞いてくることはなかった。


 それから少し時間が経って、ふと扉が開いた。

 そこには、恥ずかしそうに顔を赤く染めた先輩がいた。




 朝食を食べ終えてから、二時間が経とうとしていた。


「………………」


 私は、奈津子さんの部屋の前に立っていた。

 どうしても、聞きたいことがあったのだ。


(……休まれているところにお邪魔するのは、少し気がけますが……)


 軽く深呼吸をしてから、私は扉をコンコンとノックした。すると、


『はぁぁぁーいっ』


 中から聴こえてきた、奈津子さんの声。


「っ……な、奈津子さん、私です……っ!」


 ――ガチャリ。


「どうしたの? トイレットペーパーなくなった?」

「そっ、それなら、昨日換えましたけど……」

「そうなんだっ! ありがとっ♪」

「い、いえ……っ」

「? とりあえず、中に入って」

「…………はい」


 奈津子さんに招き入れられ、中に入ると、まず目に飛び込んできたのは、壁一面の大きな棚。そこには、数えきれないほどの本がびっしりと並べられている。


「おぉ……っ」


 ちなみに、本の向きが逆になっていたり、横に積まれていたり……っと、掃除したくなる棚だった。

 机の上には、さっきまで仕事をしていたのか、デスクトップのパソコンと多数の資料が置かれていた。


「じゃあ、聞こうかな」


 そう言って奈津子さんがイスに座ると、私は恐る恐るベッドのふちに腰かけた。


 ………………。


 少しの間を空けてから、私は意を決して口を開けた。




「っ……奈津子さん! 私に…………美味しいロールキャベツの作り方を教えていただけないでしょうか!!」




「え?」


 今の反応は……。


「ダメ……でしょうか……?」


 と言いながら顔を覗くと、微笑んだ表情でこっちを見ていた。


「なぁ~んだっ。そんなことなら、早く言ってくれればよかったのに~」

「えっ……それじゃあ」

「いいよっ♪ 彩音ちゃんに、特別に教えてア・ゲ・ル♡」

「……っ!! あっ、ありがとうございますっ!」


 ベッドから立ち上がり、深く頭を下げた。


「頭上げてよ~」


 しかし、喜びもつかの間、言われた通りに顔を上げると、


「あっ、でも、その代わりに、私のお願いを聞いてくれたらの話だけどねっ♪」

「? お願い……ですか?」

「うんっ、お願い♪」

「………………」


 このとき、なぜか嫌な予感がしたのだが……果たして……。




 それから、数時間後――。


 僕がリビングに来ると、


「――えへへっ。ここをねぇ~……――」

「な、なるほどっ! 勉強になります!」


「……?」


 キッチンから二人の楽しそうな声が聴こえてきた。

 どうやら、料理を作っているようなのだけど。


 なんだろう……?


「今日はロールキャベツなの?」

「あ、翔太郎~。そうだよ~っ」


 と、母さんが頭を揺らしながら答えた。


「ふーん……」


 どうしてそんなにニヤニヤしているのかについて、聞きたいところだけど。


 ……まあ、いっか。


 聞くだけ野暮やぼだ。


「僕も、なにか手伝うことある?」

「そうだなぁ~。じゃあ、ソファーでゆっくりしてて♪」

「え? でも……」

「晩ご飯は私たちに任せて♪」


 と言って母さんは、隣で真剣な表情を浮かべている先輩の両肩にポンッと手を当てた。


「………………」


 ちなみに先輩はというと、声を出さずコクリと頷くだけだった。


「えぇぇーっと……じゃあ……お言葉に甘えて……」


 そのときの先輩からは、なんというか、並々ならぬ気合いを感じたのだった。




 さらに、数時間後――。


 リビングテーブルの上に料理を並べ終えると、夕食が始まった。


「「いただきます」」

「いっただっきまーすっ♪」


 ……ゴクリ。


 まさか、“これ”を食べられるなんて……っ。


 興奮しすぎて、今すぐこの場で飛び跳ねたい気分だ。


 僕は、手に持った箸で……『ロールキャベツ』を食べやすい大きさに切ると、迎え入れるように口に運んだ。


「っ……うん……っ……ふふっ」


 きれいに包んでいるキャベツの甘みと、中の肉の旨味が、コンソメのスープに溶け出して……。


美味うまい……っ。美味すぎる……っ」


 この一言しか、今の僕には思いつかなかった。


 そんな、緩み切った顔で食べ進めている僕を見て、母さんは「えへへっ」と笑みを浮かべた。


「……な、なに?」

「ねえ~翔太郎~っ。そのロールキャベツ、誰が作ったと思う~?」

「えっ? 母さんなんじゃないの?」


 ……ん? 作ったの、母さんじゃないのか?




 ――――…あっ、もしかして。




 僕が結論を口に出す前に、母さんが高らかに言った。




「このロールキャベツを作ったのは、彩音ちゃんで~~~すっ♪」




「……ッ!? やっぱり!」

「…………っ」


 隣では、先輩が目を合わせないように必死に顔を逸らしている。


 その頬が赤くなっているということは、つまり……。


「ほんとに……先輩が作ったんですか?」

「っ……はいっ。奈津子さんに、作り方を教えてもらいながら……作りました……っ」

「彩音ちゃん、説明しただけで美味しく作るんだから、びっくりしちゃった♪」

「いえいえっ、そんな……奈津子さんの教え方が、とてもわかりやすかったおかげです……っ」


 母さんが褒めると、さっきよりも顔を真っ赤に染めていた。


 だから、さっきからずっとニヤニヤしていたんだ。


「それで、どう?♪ 彩音ちゃんが作ったロールキャベツの味は?♪」


 味? そんなの、これしかない。


「とっても美味しいよ」

「…………っ!!」

「だって~。よかったね、彩音ちゃん♪」

「…………はいっ」


 先輩が満面の笑みで頷くと、母さんも嬉しそうに頷いたのだった。




『うふふっ。この後が楽しみ♪』

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