第16話 先輩と本屋

 これから向かう本屋は、家を出て二十分の場所にある。

 教科書や参考書、ファッション雑誌や文庫本など、今まで行った店の中でも豊富な品揃えだ。


「今日は、いい天気ですね~。洗濯物をベランダに干してきて正解でしたっ♪」

「そ、そうですね……。せ、先輩?」

「んん~? なんですか~?」

「い、いえ、なんでも……」


 さっきから、なぜか先輩の機嫌がいい。それは表情だけでなく、そのかろやかな足取りからもうかがえる。


 うーん……さっぱりわからない。


「~~~♪」

「………………」


 僕が横目で見ていることにも気付いていない。

 ……まあ、いいか。先輩が喜んでいる姿を見ていると、なんだかこっちまで嬉しい気持ちになるし。




 それから、何気ない話をしながら歩いていると、目的地の本屋に到着した。

 三階建てという大きな規模に加えて、壁一面がガラス張りというこのセンス。

 小学生の頃に初めて来たときも、周りの建物よりも見た目にインパクトがあったことを覚えている。


「入りましょっか」

「はい……っ!」


 僕たちは、大きなガラスの自動ドアを抜けて中に入った。

 最初に目に入ったのが、テーブルに陳列されている書店員おすすめの文庫本だ。

 テレビで見たことがある作品や初めて見る作品など、約十冊が手書きのポップと一緒に置かれている。

 ちなみに、このポップを書いている人は、元々イラストレーターをしている人で、この町ではちょっとした有名人だ。

 僕が初めてここに来てから少し経った頃に、小さな白い紙にイラストを描いてもらったことがあった。それ以来、僕はその人のファンになった。


(懐かしいな……っ)


 そんな昔のことを思い出していると、隣の先輩が本屋のマップを見ていた。

 マップには、階ごとに分けられた本の種類について書かれてあった。


 一階は、週刊誌、ファッション雑誌、文庫本、芸能人のエッセイ。

 二階は、教材や資格についての教科書。

 三階は、マンガ、ライトノベル、週刊や月刊の雑誌、声優専門の雑誌。

 

 などなど、階ごとにそれぞれの強みを発揮していた。


「料理本のコーナーは、向こうの棚にあるみたいですよ」


 先輩が探していた料理本のコーナーは、どうやら一階に置いてあるようだ。


「あ、本当ですね。行ってみましょうか」


 そして目的の本棚に着くと、先輩は、目をキラキラと輝かせながら、陳列されている本を手に取って読み始めた。


「翔太郎くん、この本は凄いですよっ! 和風に洋風、さらに色々な国の料理のことが載っています!」


 ……ふっ。来た甲斐があった。


「なるほど……これがこうなって……」


 ……あれ?


「先輩……?」

「おぉ……っ!!」


 もしかして……今、先輩の視界に僕は入っていない……?


「あ、あの……」


 本屋の中ということもあって、小声で話しかけてみたのだけど。


「なるほど……っ! そういうことだったんですね……っ」


 ……返事がない。


 どうやら、完全に一人の世界に入ってしまったらしい。


「……先輩、僕はちょっと三階に行ってきます」


 と伝えたが、恐らく聞こえてはいないだろう。




 エスカレーターで三階に上がると、大型連休の初日ということもあって、たくさんの人でごった返していた。

 僕は、なんとかその間を通って新刊が置いてある棚の前まで来ると、きれいに陳列されているマンガを上から順番に見ていく。


(さすがに、“あれ”はないか……って、あっ、ある……ッ!?)


 店の中だということを忘れて、思わず声を上げそうになった。


(や……やったああああああああああーーーーーっ!!!)


 僕が見つけたのは、ちまたで話題のアクション漫画だった。

 最近アニメ化の発表があって、さらにその人気が増している。

 連載が始まったときから読んでいた身として、新刊である十五巻の発売に合わせてのアニメ化の発表は、それはもう嬉しかったものだ。


(うんうん……っ)


 と感傷に浸っていると、ふと漫画の横に目が向いた。


『お一人様、一冊まで』


 と書かれたカードが置かれていたのだ。

 人気作品の宿命しゅくめいか、ネットでの転売が横行おうこうしているのだ。


(少し前までは普通に買えていたのに……)


 と、最近の現状に寂しさを感じつつ、十五巻を“一冊”だけ手に取った。




 あの後。

 他に買おうと思っていた三つの作品のそれぞれ一巻ずつを持って、一階に降りてきたのだけど。


(いない、いない、次の棚も……いない)


 料理本が置かれている棚の前に、先輩の姿がなかったのだ。

 通路を歩きながら棚ごとに見ていくと、


 (……あっ)


 女性ファッション雑誌が置かれた棚の前にその姿があった。


(いたいたっ)


 欲しいものが見つかったのか、その手には、いくつかの本が抱えられている。


「先輩」


「………………」


 近付きながら話しかけるが、先輩からの反応はない。


(……なにを見ているんだ?)


 先輩は、思い詰めた顔で一冊の雑誌の表紙をじっと見つめていた。


「……先輩?」

「……あ、翔太郎くん。どうしたのですか?」


 やっと僕の声に気付き、こっちに顔を向けてくれた。


「えっと、会計を済ませようと思って一階に降りてきたんですけど。先輩は?」

「私の方は……まあ、いろいろと見て回りましたよ……」


 と言って、何事もなかったかのように雑誌から目を逸らした。


(…………ん?)


 チラッと見えた雑誌の表紙には、パッと見で三十代半ばくらいだろうか、大人の色気を感じさせる女性がポーズを決めていた。


「――…あ。しょっ、翔太郎くんは、なにかいい本は見つかったのですか?」

「はい、ありましたよ」


 僕は、手に持っていた漫画を見せた。


「へぇ~。それは、どういった内容なのですか? 興味がありますっ」


 そう言われて僕が漫画を渡すと、裏に書いてあるあらすじを読み始めた。


「なるほど……っ。これは面白そうですね」

「読みたかったら、後で貸しますよ」

「え、いいんですか!」


 僕がコクリと頷くと、表情がパァッと明るいものに変わった。


 好きなものに興味を持ってもらっていることが、とても嬉しい。

 さっきの雑誌の表紙に載っていた女性のことは気になったけど、そのことを忘れるくらいに、今は、とても気分が良かった。


「……?」


 そんな僕を、先輩は不思議な眼で見てくる。


「……行きますよ~」


 と言って、本を買うためにレジに向かって歩き始めたので、先輩は、慌てて付いてきた。




 時間もそろそろお昼時。

 本屋で会計を済ませた僕たちは、近くにある某有名ファーストフード店で昼食を取ることにした。


 空腹で腹ペコだからなのか、レジの列に並びながらメニューを決めていく。


 今日発売したばかりの『スペシャルバーガー』……。


 目を引くタイトルと、何段にも積み重なったその圧倒的なボリュームに、僕はゴクリと唾を飲み込む。


「先輩、決まりましたか?」

「う~ん……あれもいい……でもあっちも……う~ん……」


 隣で先輩は、腕を組んで数々のバーガーと向き合っていた。


 意外と優柔不断なのかな……?


 そんなことを考えていると、レジの順番が回ってきた。


「この、期間限定スペシャルバーガーのセットを一つと…………先輩?」


 僕がレジで注文している間も、隣にいる先輩は、最後の最後まで悩んでいた。


「うぅぅ~ん……これに……いや、それともこっち……」


 結局、決め切れなかった先輩はというと、僕と同じものを注文したのだった。


「やっぱり、あっちに……」

「あははは……」


 ……。

 …………。

 ………………。


 その後。

 整理番号が書かれたレシートをレジで見せて注文した品を受け取り、テーブル席のある二階に上がった。


「空いているところは……」

「先輩、あそこ空いていますよ」


 トレイをテーブルの上に並べて席に着くと、早速、バーガーに手を伸ばした。

 ここで意外だったのが、先輩の食べるスピードがとても早かったことだ。

 僕がバーガーを半分食べ進めた頃には、きれいに食べ終えていた。


(いい食べっぷりだな……)


 それは清々しさを感じさせるほどに、気持ちいいものだった。


 そうか。先輩は、大食いだったのか。新たな一面を知ることができた。


「ふぅぅ~……んん? どうしたのですか?」


 先輩は、お腹を擦りながら息を吐くと、僕が見ていることに気付いてポッと顔を赤く染める。


「? あっ、先輩」


 口の端にソースが付いていたことを伝えると、顔を真っ赤にしながらティッシュで拭いていた。

 そんな、子供のような一面も、先輩の一つの魅力なのだろう。

 おっちょこちょいで、実は大食いという……まさに個性が盛りだくさんだった。


「ふっ」

「わ、笑わないでください……っ! もぉ~……っ」


 そんなこんなでバーガーを食べ終えた僕たちは、買っておきたいものがあるとのことで、帰りにいつものスーパーに寄った。




 スーパーで食材の買い出しを済ませた頃には、外はすっかり夕暮れ時を迎えていた。


「あの……先輩。やっぱり、それ持ちましょうか?」


 僕が、先輩が手に持っているスーパーの袋のことを言うと、


「いえいえ。自分で持てるので大丈夫ですっ」

「で、でも……」


 と、丁寧に断られてしまうことが、このわずかな時間の間に何度もあった。

 一緒に暮らし始めてわかったことだけど。どうやら、先輩は、自分でできることは全部自分でしたい気持ちが強いようだ。


 甘え下手なのかな?


(でも……もっと、頼ってくれていいのに……)


 そんなことを考えていると、突然、先輩の大きな声が聞こえてきた。

「――翔太郎くん……っ!」

「は、はい……ッ!!?」


 一瞬、ビクッとしてから顔を横に向けると、先輩が頬を膨らませてこっちを見ていた。


「な、なんですか?」

「さっきから何度も名前を呼んでいるのに気付いてくれないので」

「すみません……」


 また、自分の世界に入っていたらしい。


「えっと……できれば、もう一度聞かせてもらえないでしょうか……」


 と言うと、先輩は「はぁ……」と息を吐く。


「……今日の夕食、から揚げがメインなんですけど……初めて作るので、味の感想を教えて欲しいと言っていたんです!」

「おっ、いいですねっ! 大好物です!!」


 なるほど、晩ご飯の話をしていたのか。


「……わざとらしいですね」

「あはははは……」


 まずい。思いっ切りバレている……。


「……あ、ところで、どうして今日はから揚げを作ってみようと思ったんですか?」

「本屋で見かけた本にから揚げについての特集が載っていたんです。見たところ、意外と作り方が簡単だったので、今日の夕食にどうかと思いまして。食べて……くれますよね……? ……ね?」

「……ッ!!? ぜっ、是非……っ!」

「ふふっ。翔太郎くんの期待に応えられるように頑張ります」

「た、楽しみに……しています……」


 そんな会話をしながら、僕たちは家へと向かった。




 その日の夜。

 夕食を食べ終えた僕は、部屋のベッドの上で仰向けになりながら、今日買ってきた漫画を読んでいた。


「んん~~~っ!! ああ~面白かった~っ」


 この気持ちを表す言葉は、『大満足』だろう。

 回ごとにワクワクさせる要素がたくさんあって、文句なしだった。

 

(はぁ……。誰かと語り合えたらな……)


 そんな相手……僕には…――


(……あっ、そういえば)


 満足感に包まれていると、ふとあることを思い出した。

 それは、先輩に漫画を貸す約束をしていたことだ。

 僕は、ベッドから起き上がると、手元の新刊と棚に置いてある他の巻をまとめて持ち、部屋を出た。


(おっ……重い……っ)


 先輩の部屋の前に着くと、両手が塞がっていることもあって、肘で扉をノックした。


「先輩……っ、漫画を……持ってきましたよ……っ!」


 すると、中から扉が開けられた。


「翔太郎くん? あっ。もしかして、全部持ってきてくれたのですか?」


 僕は頷くと、持っていた十五冊の漫画を、部屋の真ん中にあるローテーブルの上に置いた。


「ありがとうございますっ。でも、今日買った新刊はいいのですか?」

「いいですよ。さっき読み終えたので」

「わかりましたっ。では、早速、読ませていただきますっ」

「はいっ。冗談抜きで面白いので、きっと先輩もハマると思いますよ」


 ……よしっ! これで、語り合える仲間ができる!!


 先輩の感想が聞けるのを楽しみにしつつ、僕は部屋に戻ったのだった。

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