第2話 帝国軍人、柴犬ニナル


 私は、壁一面が透明なガラスでできている窓から、外を眺めていた。

眺めるといっても、見下ろすが正しいかもしれない。とても高い建物タワーマンションの高層階から、地上を走る車を見下ろす。


 かつての私は、南海にて祖国の為に玉砕した英霊がひとり。

司馬 健作しば けんさく中尉だ。事切れる最期に太平の世に生まれたいと願ったが――――……


 窓ガラスに映る黒いもふもふの獣。

 黒ベースのカラーリングに茶だの白だのの毛が混ざり、眉間には白い団子のような模様がふたつついていて、円らな瞳で自分を見つめている。


―———柴犬に転生するとは、思っていなかった。


 そう、この黒いもふもふが今の私だ。


 今は令和という時代で、私が生きてきた時代から大分時間が経過しているらしい。

私はこの人生、いや犬生けんせい3年目なのだが、前世の記憶を取り戻し、人間らしい思考ができるようになったのは、つい先日だ。


 まずは、人間の視点を持って、この世がどういう状態なのか確認せねばならない。

戦争をしてはいないようだが、太平の世とは程遠い世界かもしれない。


 私は、窓辺から離れてソファの上に飛び上がった。

 考え事をするには、ソファの上に限る。


私はそのまま、ソファの上で丸まり目を閉じた。

ひとまず、何から調べるか項目をまとめようか―――――……







―——————ガチャッ


 敵襲か!


 獣の本能なのか、耳がピンっと立ち上がり、私は飛び起きた。家の入口から聞こえる金属音に、私は威嚇射撃代わりに吠え付いた。


 「あー、疲れたー。ただいまー」


 女の気だるそうな声が、同じ方向から響く。同時になにやらガサガサした音も。この匂い、この声、あちらにいらっしゃるのは間違いないあのお方だ!


 私はソファを飛び降りると、玄関に駆けていった。


 「お戻りになられましたか!大将ママ!!」

 

 この方は、大将ママだ。今の私の主でかつ、給仕係でもある。

私は、今日の日報を口頭報告しようとして、気づいた。


 私は、今後に備え、思考を巡らせるはずだった。しかし、眠っていたのである!なんと恐ろしい。犬の身体というのは、こうも一瞬で眠りに落ちるのか。


 「いい子にしてたかな?」


 大将ママは、私を頭をひと撫でする。

しかし、申し訳ありません、大将ママ。私は何の任務も遂行できなかった。猛反省の姿勢を示したいが、


 「こんなにしっぽ降って、寂しかったの?」


―———しっぽが勝手にぶんぶんしてしまう!そして、嬉しさで手足がバタバタしてしまう!


 帝国軍人たるもの、いや、元帝国軍たるもの、冷静を保ってだな。

まずは、上官に非礼を詫び、


 「ほら、歯磨きガムかってきたよ~」

 「なるべく超高速で配給いただきたいです!!大将ママ!!!!」


歯磨きガムは、感激の極み!!!!

―———じゃない!!!違う、こういうことをしたいんじゃなーい!!!


 犬の本能に元軍しての作法がぶち壊されていく。このままでは、ただの犬に成り下がってしまう。


 そんな思考を巡らせていると、自分のくるんと上に向かって丸まった尻尾が目についた。柴犬の象徴たるこの尻尾が忌々しく思えてくる。こうなったら、こう愛らしくくるっとしているのを正してやる。


 私は、自分で自分の尻尾を追いかけ、その場で回転しだしたが、思った以上に私の胴体は長いらしい。


―———くっ、ぜんぜん届かない...しかし、目が回らぬうちは、勝負がついておらん!ちょっと楽しいし!!


 玄関でぐるぐると自分の尻尾を追う黒柴をみて、大将ママは微笑んでいた。





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帝国軍人、柴犬になる 柴野なこ @nakopin

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