懐かしい煙

僕はもう一生恋愛なんてしない。

そう思ってからもう三年が経った。

さすような太陽の光を遮るように空を仰ぐと、

濃い青色に映える雲が漂っていた。

近くのコンビニの袋と花屋で買った花の入った袋を

をぶら下げながら人通りのないアスファルトの坂を上る。

頬から汗が伝い、乾いたアスファルトに落ちる。

目的の場所まではあと少し。

視界の端で木々が開け、ふもとの街並みがのぞく。

駅前は栄えているが、こちらに近づくにつれ家屋が減っていき、

緑のじゅうたんが並んでいる。

一度も秋に来たことがないから、わからないが、

きっといい眺めなのだろう。

そんなこの道も、もう四度目だ。

しばらくして、東屋のような建物が見えてきた。

中のベンチに腰掛けてコンビニの袋から飲み物を取り出しのどを潤す。

太陽の光もさえぎられて、風も通り、とても涼しい。

坂道を登りながら見ていた景色が見える。

並ぶ山々の中から雲が垣間見える。

のどかな景色に体が飲み込まれるような感覚に浸る。

彼女が僕の手に触れて、同じ感覚、同じ景色、同じ時間を共有する。

何度見ても、そこには彼女はいない。

雄大な景色から視線をそらし、そばに置いてある、水桶とバケツを取りに行く。

バケツに水を汲み、澪の墓石に向かう。

周りの落ち葉を片付け、墓石を洗う。

しおれた花を抜き、買ってきた花を供える。

オレンジ色の花はキンセンカというらしい。店員の方から聞いた。

線香に火をつけ、供え、手を合わせる。

「倉持さん、お久しぶりです。茜です。高校に進学しました。

 澪、久しぶり、高校で変わった子と友達になったんだ。

 澪にもまた紹介するよ。楽しい奴だからさ。」

線香の香りが鼻腔をくすぐる。

「じゃあ、また会いに来るよ。またな、澪。」

軽くなった手荷物に手持ちぶさたを感じながら、来た道をたどっていく。


俺と澪は家族がらみの付き合いで幼馴染だった。

澪のご両親は二人とも、いつも笑顔で和やかで優しかった。

俺の親は二人とも働いていて、家にいないことがよくあった。

そんな俺の世話をよく焼いてくれた。

夕食は両親よりも、彼女の家族と一緒に食べていた回数のほうが多かった。

澪は二人を愛していて、二人も、彼女を愛していた。

その中に取り残されたような俺はさびしさを覚えることが多々あった。

そのたびに澪が一緒にいて心にあいた風穴にそっと

やさしく包んでふたをしてくれた。

俺は自然と澪のことを気になっていった。

小学校高学年になると、下の名前で呼び合う俺たちを冷やかす奴らが

出てきて、俺は澪のことを避けてしまった。

だんだん彼女の家に行くことも少なくなり、

両親に頼んで夕食代を置いて行ってもらった。

両親はどうしてか聞かなかった。

今の俺はその両親の行動に感謝を覚えることができるが、

昔の俺のふたを失ったすさんだ心に塩を塗った。

そんな俺のことを澪はずっと気にかけてくれていた。

学校でも、どんなにからかわれてもいつも笑顔で、

「茜、最近、元気ないけど大丈夫?」

「最近やつれてるけど、ごはんちゃんと食べてる?」

俺がどんなに無視しても、彼女は根気強く俺に寄り添ってくれた。

小学校を卒業してからも彼女はずっとそばにいてくれていた。

けれど俺は、彼女を見て痛む、彼女からにじみ出る幸せに痛む、

そんな心から彼女に強く当たってしまった。

「もう、話しかけないでくれ。俺はお前のことが嫌いだ。」

うつむいた俺から漏れた言葉に彼女ははっと、息をのんで何も言わず

俺のそばから離れていった。

その次の日から澪は俺に話しかけなくなった。

俺の乾燥した心に優しい布で包んでも引っかかって痛んでしまう。

そのはずだったのに、澪が話しかけなくなってから

痛んだ心はさらにずきずきと存在感が大きくなっていた。


次第に学校に行かなくなった。

生活リズムが崩れ、外にも出ないようになり引きこもりがちになった。

両親はそんな俺を咎めようとしなかった。

学校から欠席していることの連絡が来た日、

母親は仕事を途中で抜けてわざわざ家に帰って

俺の容態を聞いた。

「茜、熱でもあるの?」

仮病を使おうか迷ったけど、結局ほんとうのことを言うことにした。

「いや、ない。学校には行きたくない。」

そんな幼稚なわがままを聞いて、母親は膝から崩れ落ちた。

「なんだ、熱ないのね。まったく、脅かさないでよ。」

そういうと、「はぁ、疲れた疲れた。」とだけ言って

台所のほうに降りて行った。


学校を休んで三日たった時、昼夜逆転が起こっていて、

深夜に目が覚めた。飲み物を取りに台所へ向かう途中、

リビングに明かりがついているのに気が付いた。

そっとのぞき込むと、

いつもは自分の書斎で仕事をしているはずの父がリビングで仕事していた。

なぜか足を忍ばして入っていくと、

茜、と父に呼び止められた。

上がった肩を下げるようにゆっくりと父のもとへ向かった。

父の前に座ると、父が仕事を中座して、俺のことを見つめた。

とっさに顔をそらしてしまった。

いつも寡黙で仕事熱心な父と最後に話した記憶が思い出せない。

家族のはずなのに妙に緊張して、うつむくと、ズボンを握りしめる手が見えた

「澪ちゃんとケンカしたのかい?」

えっ、と声が漏れたが、冷静になって考えてみれば、

澪のお母さんから母親が聞いたんだろう。

俺が返事をする前に、父親は俺の目の奥を見つめてゆっくりと言った。

「ごめんな、茜。」

思いがけない父の謝罪に下げた頭を上げた。

「俺は、お前に何も父親らしいことをしてやれていない。

 それどころか、澪ちゃんのご両親にお前の面倒を見てもらって。

 今も、お前が何に悩んでいるのかわかってもやれない。」

いつもの寡黙な父がこんなことを思っているなんて、

思いもよらず、息をのむ。

「だけど、」

一息ついてから、続ける。

「女の子は泣かせてはいけないよ。

 これまで何もしてこなかったくせにおやじぶって、と思うかもしれないけど。」

「けど、もしも、澪ちゃんを泣かせてしまったのなら、

 しっかり謝りなさい。悩んでいるじぶんの想いをそのまま伝えなさい。」

父の言葉が二人しかいないリビングに響いた時、

何かが頬を伝う感触があった。

ぼやけた視界で父がそっと優しく頭をなでてくれたのが見えた。


次の日、朝起きてから、制服に着替えて朝食を食べ、

隣の彼女の家に向かう。

すぐ横の澪の家がどこよりも遠い場所に感じた。

激しく打つ心臓の音に気がめいりそうになったが、

インターフォンを押す。

すると、、澪のお母さんが出てきて

「あら、茜くん。」

小さいころと変わらない様子で声をかけてくれた。

「澪まだなのよ、ちょっと待ってね今呼ぶから。」

そういうと、後ろに向かって

「みおー、茜くん来てるわよー。」

というと、家の中から「いまいくー」という声が小さくこだました。

まったくあの子ったら、と言いながら微笑むお母さんを見ても

痛まない胸に手を当てる。

澪が出てくるまでの間、

会いたくないとか、もう話したくないと言われたらどうしよう、

と不安になったが、飛び出るように現れた澪の様子を見て

そんな不安は一気に払拭された。

笑顔来た澪に向かって、

「澪、ごめん。」

澪は急に小学生以来に名前で呼ばれた上に、

頭を下げた俺に目を丸くしていた。

「傷つけてごめん。そして、ずっと俺のことを気にかけてくれてありがとう。

 急に何様だよって思うかもしれないけど、」

アラームが鳴り響くように激しく弾む心臓を落ち着けるように

深く息を吸って落ち着いてから言った。

「澪、俺はお前が好きだ。」

堰を切ったようにあふれ出た想いをありのまま伝えた。

小学校の頃はからかわれて、一緒にいたくないと思った自分が思い出せないほど

俺は澪に恋をしていた。

澪の顔をうかがうようにのぞき込む。

すると、彼女の頬をしずくが伝い、アスファルトに落ちた。

「おそいよ、茜。あの時、私、茜に嫌われたと思った。

 でも、あきらめきれなかった。」

「寝ようとしても、茜のことばかり考えてしまって寝れない日もあったんだよ。」

「茜の生活がすぐ隣であるなんて考えれなかった。」

「もう、あきらめようとしてたのに、

 なのに、茜の顔見たらやっぱり諦められなかったんだよ。」

「そのぐらい、茜のことが大好きだったんだよ。」

泣いているのに笑っている彼女の顔がとてもいとおしくて、

彼女を抱くのに躊躇いはいらなかった。

震えるか細い背中を強く抱きしめた。

きらめく青い葉が届かぬ青空に手を伸ばしていた。

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泣かないホトトギス じゆ @4ro

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