「あのまま置いてきてよかったのー?」

「翔は責任もって俺が持って帰るって椿木くんに言われたし、一番合戦くんの”言霊”はもうだいぶ奥まで浸食しちゃってたからね。あんなの引っぺがしたら、下半身不随で二度と動けなくなっちゃうよ」

「ちょっと楽しみだったのに……」

「デザートいらないの?」

「じょーだんじょーだん! いっただっきまーす!!」

 元気よく声を上げる樹に、はいはいと返事する。スプーンを操る礼侍の包帯は、肘を超えて上腕の半分辺りまで覆われていた。

 夢の世界から離脱しても、一番合戦は泣きながら眠っていた。やっと肩の荷が下りて、安心したのだろう。過去は変わらないし、失った命は戻らない。けれども、いつまでもそれに縛られる必要はないのだ。どこか心の隅を突くような痛みとともに、前を向き生き続けなければいけない。それが残った者の使命であり、弔いなのだから。

 引っぺがすには部位が大きくなりすぎたし、第一椿木の“言霊”が一番合戦の特効薬になる。家まで送ろうか? とも言ったものの、彼を背負った椿木が遠慮した。責任もって連れ帰って、こいつの話を聞いてやる予定だからと。医師としても同じ者としても、礼侍はそれに賛成だった。

 そうして帰ってきて、約束通り簡易的ながらもデザートを作って。いつも通りの、夕食がてらの報告会である。

「一番合戦くんと樹が戦ってる途中で気付いたんだけどね? 彼、多分発火とか火を操れるとかそういうんじゃなくて、体ごと火に変形できるんだよ」

「礼侍の腕みたいに?

「そうそう。だから引っぺがすとしたら、本当に足ごとになるんじゃないかな? それこそ脳くらいの大惨事だよ」

 そこまで大きな皿なんて無く、ボウルいっぱいに詰め込まれたフルーツ缶を掬いながらふぅんと樹は相槌を打つ。礼侍とてまだまだ若い方だが、正直その量の甘いものを食べろと言われたら絶対に無理だ。甘ったるい匂いがもはや胃に染み始めており、ちょっとこの場を離れたいくらいである。

「椿木くんは、たぶん言葉。引っぺがすとしたら声帯だね。どのあたりが範囲なのかはわからないけど、落ち着け、とかやめて、とか、制止系の言葉で“言霊”を一時的に鎮めることができる」

「あ、だから俺と翔の攻撃が一斉に止んだんだ」

「俺も引っぺがしが使えなくなってたからねー。敵味方関係なく、聞こえた人間なら誰にでもってことじゃない? それに効いてる時間もそれほどなかったし」

「ただ、コントロールできない翔の発火を最小限に抑えるには、抜群に効果的だったってことだね」

「椿木くん自身にも後悔があったんじゃないかな? 一番合戦くんにどんな言葉もかけてあげられなかった、みたいな。きっと一回目に火傷して謝られて、それから“言霊”が生まれたんだよ。だから、次からは火が効かなくなった」

「てことは、自分にだけは常に自動的に効いてるのかもね。よかったー、拓真の“言霊”がそういうので」

 ある意味不幸中の幸いだったと言えよう。“言霊”が生まれなかったら、椿木は火傷程度では済まなかったはず。そして、もっと一番合戦は自分を追い詰めていただろう。いい友達を持ったなあと、礼侍はハンカチで口元を覆う。ちょっと早くこの場から離れよう、さすがに匂いが甘すぎる。

「あの二人、これからどうするんだろうねえ」

「さあ? 翔の“言霊”は椿木が抑えられるし、また変わらず二人で生きてくんじゃない? 俺と礼侍みたいに」

「……そうかもね」

「わからないこれからより、よかった今までに安心した方がいいんじゃない? よかった、夢の中だとしても、子猫を助けられて。翔を助けることができて―――って、さ」

「……………俺は誰も助けられないよ。一番合戦くんも、樹もね」

 ずず、と麦茶を啜る。一番合戦だって落ち着けば、何ら支障のない日常生活を送れるだろう。礼侍とは違い、足なら年中長いものを履いていても怪しまれない。銭湯やプールには行きづらくなるだろうが、それくらいの不自由だ。何より、椿木がいる。友達のためにあれだけ必死になれる人が傍にいるのなら、それだけで安心だろう。

 樹にとっては、自分がそういう人なのだろうか。じっと見つめると、口回りをべたべたにしながら食べる? と聞いてきた。ごめん無理、と返して、二人で小さく笑った。




 言霊。

 古より伝わる、もっとも身近な想い。

 強すぎる想いは、時に力を持つという。それが言霊だ。ただ今から五年前、その言霊を物質化させ、さらには普通の人間でも発症できる研究―――通称”言霊”と呼ばれる病気が発明されてしまった。

 その研究チームを先導していたリーダー、新渡戸礼侍。

 研究所内で最年少ながらも活躍し、人望もあった彼が力を注いだのは、“言霊”の簡単な発症および憑依の研究だった。誰もが平等に力を持つことができれば、人類に平穏がもたらされる。それをただ信じて、礼侍は研究を続けた。

 その過程で出来上がった人間が、樹である。

 最初の成功例であり、最後の成功例。研究当初は三歳ほどの見た目だったにも関わらず、“言霊”の力であっという間に十歳程度まで急成長してしまった。研究チームや政府は樹を評価し、作り上げた礼侍を称賛した。これでまた一歩、人類が平和に近づく。

 そう思った矢先だった。事故が起きたのは。

 成功例が暴走、研究所に保管してある“言霊”を片っ端から喰らい尽くしている―――。報告を受けたのは、奇しくも礼侍が久しぶりに自宅へ帰っているときだった。彼が研究所に駆け付けたときには、メンバーや警備員などはすでに食われたあとで。白い壁一面に赤いものが付着した光景は、礼侍を絶望に叩き落とすには充分だった。

 樹は、物質化した「“言霊”」と「“言霊”を作り出せる人間」との区別が、つけなかったのだ。

 それだけに飽き足らず、保管されていた研究中の“言霊”も、全てを破壊して食った。ただその中に、まだ開発段階であったウィルスが混じっていた。それが、“言霊”を作り出す元になる病気―――感染者が強い想いや言葉を発したとき、それが自動的に“言霊”となり、憑依するウィルスだった。言うなれば、“言霊”製造ウィルスである。

 そんなものがばらまかれているとはつゆ知らず、防護服も何もつけないで研究所に帰ってきた礼侍は、当然ウィルスに感染した。その状態で絶望に叩き落とされた結果、礼侍も”言霊”を発症することになる。それが礼侍の真っ黒に染まった右手―――“引っぺがし”である。

 もし樹から自分が完成させた“言霊”を「引っぺがせ」たら、どんなにいいだろうと。

 こんな現実、記憶から「引っぺがせ」たら、どんなにいいだろうと。

 研究所内を探索していくうち、生き残っているのは樹だけ、自分はウィルスに感染し引っぺがしを発症してしまった。それらを理解した礼侍は、呑み込まれるのを覚悟で「歴史」から「研究所」を引っぺがした。要するに、研究所を歴史の闇に葬ったのである。

 その結果、礼侍の右手は形も保てないほどに浸食され、指先だけであった憑依も右腕の半ばまで差し掛かってしまった。それがただただ恐ろしくて、包帯で隠した。でも、そこで思い至る。

 なら、樹は?

 樹はどんなに、恐ろしかっただろう?

 永久発電システムや地下水くみ上げ機、生活必需品を運び出し逃げ出そうとしていたとき、ふとそんなことがよぎった。勝手に人体実験され、暴走した結果恐れられ、唯一彼の言霊を引っぺがせる俺に逃げられた樹は? あの子は一体どうなるのだろう。待つ未来なんて、わかりきっている。大量殺人を行った化け物として、解剖されてひっそりと無残に死ぬのだ。

 それがわかっていて、俺は、樹を見捨てるの?

 お腹がいっぱいになり、眠っていた樹を担ぎ込む。研究所から逃げるように去り、車で何時間も彷徨ったあと、目に入ったのが立地のおかしな診療所だった。畑仕事をしていた農家に聞けば、なんでも数年前、ここには医者がいたのだとか。どうやら経営破綻してしまい、夜逃げしたらしい。ここだ、と思った。生活に必要なものは積み込んだし、食料なども言霊で作り出せる。何よりその力を、樹が持っている。

 礼侍はそこで、小さな診療所を開いた。

 表向きは、奇病や精神系の病院。裏向きは、礼侍がかつて歴史から引っぺがした、あのウィルス感染患者の治療である。ウィルスは広範囲に広がり、かなり研究所からも離れたはずの診療所の近くでさえ感染患者を発見したこともある。そういうときは、言葉巧みに診療所に誘い込み、患者から言霊を引っぺがす。それが唯一の、ウィルスに対抗できる治療法だった。

 引っぺがした言霊は、体のほぼ全部を呑まれた樹のご飯となった。もちろん普通の食材でも栄養は摂取できるが、樹としては言霊の方がよほど栄養は多い。当たり前だ、今や樹自身が言霊と言っても過言ではないくらい、呑まれてしまっている。

 そんな状態の樹から成功例の言霊―――喰った言霊を意のまま好きなように操れる“喰い意地”を引っぺがしてしまえば、樹には何も残らないわけで。

 ただ、礼侍の長年の治療やウィルスがそんなに感染を引き起こさなかったこと、口コミで伝わる診療所の噂。そんなものが積もり積もって、段々患者が減ってきた。比例して、樹のご飯も減ってきた。

 樹が老衰するのが先か、礼侍の心が折れるのが先か、言霊がこの世から無くなるのが先か。

 患者が来て、礼侍は言霊を引っぺがす。助けてあげてよと笑う樹に、泣きそうな顔で微笑みかける。




 「俺は誰も、樹も助けることができないよ」、と。




填海に夜が降る 【自暴自棄】  Fin

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填海に夜が降る 【自暴自棄】 意舞 由那 @Yoshina_Imai

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