「要するに一番合戦くんが調節してたんじゃなくて、椿木くんが燃えなかったんですよ」

「ってことは、俺にも翔みたいな病気があるってことですか?」

「そういうことですね。色んな種類がありますからね、例えば最初の一番合戦くんの爆発から僕たちを守ってくれたのも、病気の一種ですよ」

「へー………」

 見たところ強く頭を打ち合っただけで、二人とも異常はない。一番合戦は正気に戻ったようだし、万事解決といえば解決なのだが……。目を回しながら気絶している樹の首に触れる。十代ほどに見える細い首は、ただの人間の皮膚だった。

 一時的だろうけど、まさか、この痕が消える日が来るなんて。

 言ってしまえば、それは自分も同じなのだが。でも、それより樹だ。焦げたパーカーの穴からも、全身に纏っていたあの黒は見当たらない。……さっき、樹が変形させていた腕も、全てが元に戻っていた。つまり今は、生身の人間。普通に生きて、普通に死ねる人間。

「………先生?」

 指が皮膚を押していた。はっとして、手を離す。

「椿木くんの病気は、多分周囲の人の病気を抑える病気だと思います。詳細は樹しかわかりませんが、わかるようになるには治療を施さないといけませんから……。ただ、もしかするとですが、その病気が出るのは「言葉」かもしれない」

「言葉?」

「椿木くんが叫ぶまで、一番合戦くんは発火していたし、樹は腕が変形したりしていたでしょう? でも、ただ話していただけだと僕たちは何も変わらなかった。だから、落ち着けとかやめろとか、そういった言葉で左右されるのかもしれませんね」

 それに、効果も短いようだ。ゆっくりと色が変わっていく自分の腕に、思わず溜め息を吐く。早く包帯を巻き直しておかないと、形がわからなくなってしまう。なるべく早く、せっかく巻きやすい形にまで戻ってくれたんだから…。雑に巻き直していると、樹がうめき声を上げた。

「あ、起きた? おはよう樹」

「………、何が、起きたの……………」

「樹、椿木くんも感染してるって言ってたじゃない。それが、十中八九コレを抑える系だったんじゃないかって」

「………………翔は………………」

「まだ起きてないよ。最近眠れてなかったみたいだし、丁度良かったんじゃない?」

 ぼろぼろのパーカーはもう脱いでしまった方がいいと判断したらしい。雑に脱ぎ捨てた樹に、白衣を被せ回収する。自分で言うのも難だが、妙な白衣にしろ着ていないよりはマシだ。左手だけぶかぶかのそれを捲りながら、樹は一番合戦の額に手を当てる。そこには樹同様、大きなたんこぶが出来上がっていたのだが。

「………よく眠れないってことは、猫さんのこと、夢に見てるのかな」

「え?」

「あー……たぶんそうかも。ごめん、とかよく寝言で呟いてるから」

 何かを思いついたように、樹はじっと一番合戦を見つめている。椿木と顔を合わせてみても、首を傾げるばかり。どうしたんだろう? いや、今日病気のことを知ったばかりの俺に聞かれても。ですよねー。

 ふいに、シャツの裾を掴まれた。もう少し近くに寄れと言わんばかりに引っ張ってくるので、腰を浮かせ樹に近付く。すると一番合戦の額に触れていた手を離し、椿木の腕も掴んだようだ。……一体、何をするつもりなんだろう?

 樹を見つめること三秒。ふわりと飛んだような、ジェットコースターが一気に降りたような―――そんな感覚を伴って、礼侍は意識を落とした。




「ん………?」

 起きるとそこは、先ほどまでいた工場で。ただ、礼侍は外にいた。その周りにはじっと向こうを見つめている樹と、倒れたままの椿木。あれ、さっきまで確か、中にいたはずなのに……?

 とりあえず、何の怪我も負っていないはずの椿木は起こしておいた方がいいかもしれない。揺すり起こし、服についたであろう砂埃を払ってやろうとして違和感に気づく。あれ、少しも汚れていない……? 慌てて地面を見ても、結構な具合で細かい砂が散っていて。………ここは、どこだ。

「樹……?」

「おはよう、礼侍。ここは一番合戦の夢の中だよ。昨日の女の子の“言霊”なんだけど、名付けるとすれば“夢融病”じゃない?」

「夢融病………」

 夢を見せることができ、他人の夢を見ることができる病気。確かに夢の中にまで入ることができるとは言っていたけど、ここが…。思ったより現実的な場所だ、まあ過去を追体験する悪夢なんてそんなものか。辺りを見回してみたところで、立ち上がった椿木が一歩踏み出した。

「翔の夢の中って………じゃあもしかして、」

「あ、ちょっと!」

 言い終える前に椿木は走り出す。目指す先は工場の中のようで、その扉の向こうへと消えてしまった。何か心当たりでもあるのだろうか? 追いかけようとして、樹に腕を掴まれた。何、なんて振り向いたとき、誰かが自分たちをすり抜ける。

 まるで礼侍たちに、実体が無いかのように。

「そりゃ人の夢の中だもん、俺たちに実体はないよ。そして、主が来たみたい」

 シャツにジーンズといった典型的な大学生ファッションに、嬉しそうな表情。抱えているものは牛乳瓶だろうか? 小さめなお皿も持って、浮足立っているのが誰が見てもわかるくらいに。隈もやつれた頬も何もない一番合戦が―――工場の、中へ。

 …そういえば、ここで猫が死んだのかもしれないなんてことを、樹が言っていたっけ。となると、これから起こることは………。想像して、ゆっくりと首を振る。これは過去の追体験。自分たちに、できることは。それでも追いかけようと歩き出すと、その後ろを樹がついてきた。

 工場内も変わらず、少し寂れたような雰囲気が漂っている。それでもあの悲壮感に満ちた空気は、まだ無くて。ただ、奥の方から男性数人の声と、椿木の怒声が響いてきた。次いで瓶が割れたような音が聞こえ、慌ててそちらへ向かう。

「な…………っ」

 自分たちが訪れた時とは違う。中学生くらいの男子に囲まれた溶鉱炉が動いており、開いた扉の中から赤々とした火花が飛び散っていて。資材からもわかるように、元々は鉄を溶かして何かに加工する工場だったのだろう。その温度たるや、きっと人間でも死んでしまうレベル。

 その中に、小さな猫がいた。

「な、なに、何してんだお前ら!!」

 割れた瓶や皿には目もくれず、一番合戦が走り出す。溶鉱炉を面白そうに見ていた男子たちは、彼を見るとすぐに逃げ出した。そんな彼らに構わず、一番合戦も溶鉱炉を覗き込む。みーみーと小さく鳴いている猫は、必死に逃げ出そうともがいていて。先に行っていた椿木はすでに手を突っ込んでいる。ただ、触れられない。いくら手を伸ばそうとも体に触れようとも、その手はすり抜けてしまう。

 一番合戦も手を伸ばしかけた。そう、同じ夢の中の一番合戦なら、手が届く。でも、伸ばせない。わかっているのだろう。こんな温度の中に手なんて入れれば、自分はただじゃすまないと。もう二度とペンを握れなくなるかもしれない。普通の生活ができなくなるかもしれない。

 鳴き続ける子猫は、段々と炎に包まれていく。

「何してんだ翔!! 早く、早く助けろよ!!」

「…………っ、…………………!」

 悔しそうに顔を歪めながら、一番合戦はただただ立ち尽くす。その表情はどこか怯えていて、苦しそうで。怖いのは、礼侍にも痛いほど理解できる。誰だって自分の身が可愛い。命を投げ出す覚悟なんて即決でできないし、手が無くなったときの恐怖なんて考えてみただけで恐ろしい。それを、何の変哲もない日常で迫られたのだ。何もできないのは当たり前。

 彼は、ずっと、このことを悔いていたのか。

 何もできなかった自分を―――覚悟も決められなかった自分を、責めて。ずっと責めて、責めていくうちに―――――自分も同じ目に遭ってしまえばいいと。炎に呑まれて苦しんでしまえばいいと。

 自分を炎の中に、閉じ込めたのか。

「礼侍、昨日俺が説明したこと、覚えてる?」

 ふと隣に来ていた樹が、にっこりと笑いながら自分の顔を覗き込んだ。……“夢融病”でできること。確か相手の夢を見たり、相手の夢を見せられたり、使い勝手さえわかっていれば―――。はっとしたところで、満足そうに樹は頷く。

「だから、礼侍を連れて来たの。礼侍、翔と拓真を助けてあげてよ。俺みたいにさ」

 嬉しそうに微笑む彼に、どんな顔をすればいいのかわからない。きっと昔彼に言われたように、今自分は悲しそうに笑っているのだろう。役に立てるし、助けられるというのに、喜べない。喜べるわけがない。


「助けてあげられないよ。一番合戦くんたちも、樹も」


 ゆっくりと、一番合戦たちに近付いていく。どんどん炎に呑まれていく子猫はすでに鳴くのを止めており、彼も泣きながら血が滲むほど唇を噛むだけ。椿木も叫び過ぎたのか、時折咳き込みながら必死に手を伸ばしている。何かしてあげたいのに、何もできない。全員が諦めざるを得なくて、悪夢そのもののような展開。

 歩いていく。右手の包帯を解いていく。しゅるしゅると、何かを開放するように。礼侍に気付いたのだろう、椿木が顔を上げた。その姿を、右腕の肘から下を見て―――諦めまいと強く意思を宿していた目が、大きく見開かれる。

 異形。

 礼侍のおおよそ身長ほどの黒い手が、包帯の下から顕現した。

「……椿木くん、下がっててくれますか。今から夢を、引っぺがすので」

 最近、あまり派手なことはしてこなかった。できるだろうか―――いや、やる。やってみせる。握ったり広げたりを繰り返しながら感触を確かめ、溶鉱炉の前に立つ。言われるがままに呆然としたまま椿木は離れ、立ち尽くす一番合戦ともはや姿の見えなくなった子猫だけが取り残される。でも、それでも。限界まで右手を後ろに回し、溜める。できれば、一気に、全てを――――!

「――――“引っぺがし”!!」

 思い切り下から振り上げた黒い手は、溶鉱炉をすり抜ける。ただし、その手に握られているのは燃え盛る炎で。熱くは無い。熱くは無いが、夢を引っぺがすなんて芸当初めてした。それに、今もなお手の中でごうごうと燃え続けているし……。左手で上腕を押さえてなんとか保っている、早くどこかに捨てないと礼侍も燃えるだろう。それはさすがにいただけない。

 辺りを見回し、一番被害の少なそうな所へ炎を投げ捨てる。ただその衝撃で、びしびしと黒い部分が左手で押さえている範囲まで広がった。

 あ、まずい。

「ナイス礼侍!」

 まあ、こんな無茶を繰り返していればいつかなっていたことだろう。うん。仕方ないとまた蠢きだした右手の感触を確かめていると、そんな礼侍の傍に樹が駆け寄ってきた。うっとりと腕を眺めたのち、ちょいちょいと服の裾を引っ張ってくる。見れば、突然炎が無くなったことに驚きつつも、恐る恐る一番合戦は子猫を助け出していた。思わず樹を見て、今度は礼侍が鳴きそうになる。一番合戦くんが、子猫を、助けた……!

「翔!! やったな、猫助かったな!!」

「おう、……………………お、う」

 一番合戦の手の中で、すっぽりと収まってしまうほど小さな子猫。すやすやと寝息を立てているその姿は、先ほどまで溶鉱炉の中にいたとは思えない。……あー、「炎」だけじゃなく、「炎による傷」も引っぺがしたのか。なるほど、それなら確かに広がるほどの無茶だっただろう。一人納得する礼侍を他所に、ぽとりと小さな命に何かが落ちた。

「よがった…………本当に、よがっだ」

 嗚咽交じりの声に、もらい泣きしてしまいそうになる。隣の椿木も、温かい笑みを浮かべながら一番合戦の肩を叩いていて。樹も微笑んでいて、ただただ暖かい空間だった。小さな命を、助けられた。一番合戦の悪夢は醒めたのだ。

 もうこれ以上―――炎に包まれずに、済む。

「あ……………」

 涙を零し続ける一番合戦の手から、光が漏れた。子猫が粒子となり、消えていく。それに呼応するように、夢も崩れ始めた。少しずつ向こうの方から光になって、一番合戦も足元から消え始める。ただ、ずっと、ずっと彼は泣いていた。ごめん、と、呟きながら。

「遅くなってごめん。やっと、やっと助けられた……」

 やがて一番合戦も消え、残った真っ白い世界に三人だけが取り残される。目配せすると、樹が頷く。来た時と同じ、礼侍を引き寄せ、椿木の腕を掴んで。行くよー、と気の抜けた合図とともに、礼侍たちは姿を消す。

 残った夢の世界に、子猫の鳴き声だけがどこからか響いていた。

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