「そういえばさ、拓真はいつもああなの?」

 キーを抜き、車から降りる。案内されたのは、診療所といい勝負程度に街から離れ寂れた工場だった。周りは高いトタン板で囲まれており、昼間だというのに雰囲気が薄暗い。たまった雨水だろうか、どこからかぴちゃん、ぴちゃんと水音が響いている。危険区域につき立ち入り禁止と書かれた看板が、風化してしまい読みづらくなってしまっている。

 ここが、一番合戦くんのよく行く場所―――。

 元は何か、鉄製品を扱う場所だったのだろう。乱雑に置かれた材料と思われる資材が、所狭しと工場の奥の方に散らばっていた。正面から入ったら、すぐに居場所がバレてしまうかもしれない。せめて中の様子だけでも…と別の入り口を探すうち、ふと樹が口を開いた。

「ああ、って?」

「翔と一緒にいるとき。さっき、炎に包まれてても平気だったじゃん」

「あー………たぶん、翔が調節してくれてるんだと思う。初めて翔が発火したとき、偶然隣にいてね。足、ちょっと火傷しちゃったんだよ。それを見た翔が大泣きしながら謝ってきて、それ以来俺だけは燃えないし、何か言えばすぐ治めてくれるようになったんだよ。大した傷じゃあなかったんだけど」

「ふぅん……」

 なるほど、そういうことだったのか。ぐちゃぐちゃに溶けた椅子を思い出し、また肝が冷えてきた。何にしろ、調節してもらっていてよかったに違いない。それなりに距離もあったはずの自分が命の危険を感じたほどなのだ、椿木なんて今いなくてもおかしくはない。

 しかし、あんなに火力を出してまで調節できるなんて、よほど仲がいいんだろうなあ。

「ところで、礼侍は何やってんの?」

「え? 中の様子だけでも見られないかなって」

「いいよ、変に小細工すると最悪工場爆発するよ? 正面から俺が行ってくる」

「ちょっえっ」

「いや、確かにいつもここで発火したりしてるけど、引火物はもう引き払われたあとだからだぞ?」

「あのねー」

 呆れたように、出入り口の扉に手をかけたまま樹は振り返った。だぼだぼのパーカーが弾みでずり落ち、肩が半分ほど露わになる。ただ、そこも黒いインナーに覆われており、本来の肌は見えない。まるでそれが肌そのもののように自然光をはね返している。

「あれだけ荒ぶったってことは、激昂したってことでしょ? それで逃げ出してここに来たんだから、もう爆発寸前なんだよ。だから、俺が行かないと駄目なの。まー来てもいいけど、ちゃんと離れててよー?」

「え、え………」

「待ってください、椿木くん。ちょっとこの子の言う通りにしてください」

 追いかけようとした椿木を捕まえ、じっとその目の奥を見る。翔を助けに行きたい。が、樹も心配。そういう目だ。ただ、安心させるように微笑んでみせる。俺だって、今一番合戦くんがどんな状態なのかわからない。でも―――でも。

 樹に任せておけば、任せなければ、いけないから。

 がらがらと、特に何をするでもなく普通に樹は扉を開けた。それほど広くはない工場の中、奥の方で見覚えのある青年が溶鉱炉を覗き込んでいるのが見える。ぽつんとたたずんで、じっとそこだけを見つめて。その背中が寂しくて辛そうで、いたたまれなくて。

 そこに入っていく背の低い少年が―――一人。

「静かでいい場所だね、確かに燃えそうなものもないし」

 ばっと、一番合戦が振り返った。その目に樹と二人の姿を映し、足元が瞬時に燃え上がる。ただ、その炎の色は、悲しげな青色で。泣いていたのだろうか、隈に紛れて目元が赤くなっているのが見えた。

「もしかしてなんだけど、猫さん、ここで死んじゃったの?」

「……………、拓真……………ッ!!」

「翔、悪い。でも、俺だってお前に助かってほしいんだよ!!」

「余計なお世話だっつってんだろ!!!」

「“閉塞”!」

 一瞬だった。爆発のような轟音と光。思わず腕で顔を覆ったが、熱風すらこちらには来ていない。隙間からちらりと見やれば、礼侍と椿木の目の前。つまり、扉からこちら側には一切被害が出ていなかった。何か透明な壁で覆われているかのように、煙や火の粉が食い止められている。

「なんだ…これ……!?」

「椿木くんは下がっててくださいね。俺の助手が本気を出すので」

「は……?」

 壁に近寄り、右手を翳す。くい、と人差し指を持ち上げるような仕草をすれば、人一人通れそうな穴が開いた。呆気に取られている椿木が向こう側にいることを確認し、穴を閉じる。白衣の裾を翻し、睨み合っている二人を見やった。

 依然として燃え続けている一番合戦と、ところどころパーカーを焦がしている樹。

「…あれ? 一番合戦くんの服も若干燃えてない?」

 樹はすでに、自分が中に入ってきたことに気付いている。しかし、何らかの反応を示すはずの一番合戦は無関心。赤く燃え続ける炎の中、影で黒く染まった顔がどこか寂しそうで。そんな彼の服の裾が、ちりちりと焦げ始めていた。おかしいな、診療所で発火したときは無傷だったのに……?

「なんかねー、翔暴走? 混乱? してるっぽいんだよ。動きが大きい割には本能的? みたいな? ただ火力も増してるから、俺でも近付けば燃えるかもねー。俺たちみたいなのが暴走するって、知ってる? 礼侍」

「俺も聞いたことはないかなぁ。ただ、だから服の裾も燃え始めてる、ってことか。……一旦正気に戻した方がいいよね、お願いできる?」

「帰ったらデザート一個追加ね!」

 いや、それとこれとは話が別だからね? こちらの返事を待つ前に、焦げたパーカーを直しながら樹はゆらりと移動する。その動作はあまりにも自然で、自然すぎて、誰も反応することができない。もちろん暴走状態とはいえ翔も同じで、反応が一瞬遅れた。

「”マジカル”」

 たん、と地面を蹴る音。次の瞬間には、翔の目の前にいて。限りなく足を早くすれば、それはもはや瞬間移動と変わらない。理屈はわかるが、実際目の当たりにしてもやはり瞬間移動か何かの類だと思ってしまう。その勢いを殺さず振り上げられた樹の足が、歪な形に変形する。足先に向けて太く、黒く強固な形へと。

「っつ!」

 それが振り下ろされるとほぼ同時に、今まで緩慢な動きだった翔が素早く避ける。大きくめり込んだ樹の足が、そこから発火した。まずい、と小さく呟いた声が聞こえる。一番合戦がゆらりゆらめく。攻撃する意思は無いようだが、攻撃を見ていないわけでもなさそうだ。苦笑しながら樹が足を元に戻すと、炎は消えた。

 発火って言うよりは、火を操っているのかな? どうもその推測は当たっているようで、一番合戦がゆっくりと右足を動かす。その動きに合わせて、縄のように炎が揺らめいた。……いや、待てよ。あの動かし方、なんか既視感がある。いつも見ていたような、どこかで見ていたような…・・。思い出そうとする前に、火縄が樹に掴みかかる。ただ、易々と捕まる樹では無かった。

 当たる前にかわし、さらに距離まで取る。バックステップで避け、体勢を整えるのかと思いきや一気に突っ込んだ。纏う火に当たる直前に手が変形し、黒い何かに覆われる。ただそれでも一番合戦本人には届かないようで、舌を打ちながら樹は再度後ろへ跳んだ。一番合戦との距離は数歩。どちらかが動けば、どちらかがよける。

「一番合戦、いい加減正気に戻りなよ。それ以上燃えたら、俺みたいになるよ?」

 暑いのだろう。額の汗を拭いながら、樹は口を開く。あの状態になった患者なんて見たことが無いのだ、可能性のあることは全て試そうといったところか。気絶でもさせられれば何か変わるのかもしれないが、一番合戦には指一本触れられないのは実証済み。水をかけても、触れる前に蒸発してしまうだろう。

「どうして一番合戦がそんな状態になっちゃったかなんてまだわからないけどさ、猫さんが死んじゃったここでそんなに暴れてもい…………うっわ!!」

 猫、と呟いた瞬間、一番合戦が動いた。今までの緩慢な動作はどこへやら、素早く樹の後ろに回り、火を纏ったままけりを繰り出してくる。樹もまさか動くと葉思っていなかったのだろう、反応が遅れ両手を交差させてガードするだけで精一杯のようだ。当たった部分のパーカーは炭化し、ぼろぼろと崩れ落ちて樹の腕を見せた。ぴったりとしたインナー、ハイネックのそれ。

 ぐじゅぐじゅと蠢く、黒い部分。

「礼侍、これ部位どこ!?」

「えー………足、膝から下! 足首までだったんだけど、今の出一気に膝まで上がってきた!」

「りょー……………、かいっ!!」

 炭を振り払い、追撃として殴りかかって来た腕も寸でかわす。意志が無い分動きが大きくて読みやすいのだろうが、苦戦していることには間違いない。……俺が、もう少しでも近付ければ……! 思わず舌打ちしたのも他所に、樹が低く腰を落とす。まるでクラウチングスタートのような恰好の周りに、ぼんやりと丸く薄い膜が出来上がる。

 なるほど、ごり押しで突っ込もうってわけか…・・! 樹のやらんとしていることがわかったのか、一番合戦も一段と炎を大きくさせた。パチパチと火花が散り、足元の鉄くずが溶けていく。今何度ほどまで上がっているのだろう。近付いたら全身やけど程度では済まないことはわかるが。

 今までよりずっと強く、より確かに。だん、という大きな音と、気が付けば移動していた樹の体。腕を変形させ、まるで大きなハンマーをぶちこもうかとするように。対する一番合戦も防御は万全という風に構え、樹の畳かけにもまるで動じていない。当たれば気絶、最悪相打ち……! そっと、右手の包帯に手をかける。

 これで、うまくいけば―――――!


!!!」


「へ?」

「え?」

 聞こえた叫び声と、目の前で起こった光景。それがどうしても結びつかず、思わず気の抜けた声しか出なかった。瞬きをした隙に樹の腕は元に戻り、タートルネックのインナーは肌に吸い込まれる。一番合戦も同じだった。あんなにごうごうと燃え盛っていた炎は消え去り、目を見開いた彼が樹を見つめ呆然としている。ただ勢いだけは止まらず、樹の腕は大きく空ぶることになる。

 どうして、なんて右手の包帯を解く。けれども、その手も普通の成人男性の腕で。何年かぶりに見た自分の手に驚愕しながらも、これじゃあ何もできない。樹、と口の中で呟いて。

 一番合戦と樹の額がものすごく痛そうな音を立てながらぶつかり、二人で崩れ落ちたのは、それから一秒と経たないうちだった。

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