ハルジオン ~追想の愛~

 ――私は今でも、あの春を思い出す。


「はぁ、進路どうしよう……」


 私――千佳ちかは、何とも中学3年生らしい悩みを抱えていた。


「お母さんは『いい大学に行くためにも進学校にしておけ』って言うけど、正直、まだ大学のことまでわからないし……」


 夕日に向かって歩きながら、深くため息をこぼす。


「でも、お父さんに聞けば『やりたいことをやれ』って言うだけだしなぁ」


 もう、高校より先の進路を決めているクラスメイトも少しずつ出始めている。なんだか、私だけが取り残されている気がして、内心焦りに包まれていた。


「うーん、やりたいこと……やりたいこと……?」


 すぐに思いつくものは、ある。

 それは、小学校の頃から『将来の夢』として書かされてきたもの。それでも、どうも実感がわかないというか、なれている自分を想像できない。それに何より、その夢を目指すだけの自信がない。


「はぁ、どうしようかなぁ……」


 ため息をつくと幸せが逃げる、と聞いたことがある。

 なら、私はきっとここ数年分の幸せを逃してしまっているのだろう。


「はぁぁぁ……」


 そう思うと、また重苦しい息を吐いてしまう自分がいた。


 でも、ずっと悩んでもいられない。

 気を取り直して、帰ってからの計画を思い浮かべていると、正面に目を疑うものが現れた。


「……ん? んんっ!?」


 ボロボロの段ボール。雑な『ひろってください』の文字。中で膝を抱える少女。


(す、捨てネコ……いや、捨て少女!? え、え!?)


 もう、頭の処理が追いつかない。あまりに非日常の光景過ぎて、無視して通り去ることすら忘れ、立ち尽くすことしかできなかった。


「――ん? キミ、地元の子かな?」


 マズい。目が合ってしまった。

 逃げないと、と思うも、驚きすぎて動けない。


 しかし、そんなことお構いなしで、段ボール少女は目が合ったこちらへと徐々に近づいてくる。そして、私の顔を覗き込むと、ニヤリと不敵に笑って堂々私に宣言した。


「うん、今日のボクのエスコート役は、キミに任せようかな!」


「…………へ?」


 誰ともわからない同年代くらいの女の子。彼女から告げられた唐突なお誘いに、私の脳は動きを止めた。


   ◆


「いやぁ~、ここはいい町だね~。なんていうか……そう、家がいっぱいあって!」


「……それ、ホントに褒めてる?」


 正体不明の少女と話しながらあてもなく歩き続けること、約一時間。

 今までの話でわかったことと言えば、彼女の名前が『ケイ』だということ。同い年で、今が家族旅行中だということぐらいだろうか。


 ふと、私は頭の隅に引っかかっていたことを尋ねてみた。


「そういえば、どうしてあんな捨て猫状態だったの?」


「うーん、恥ずかしいことに親とはぐれてしまってね」


「はぐれる?」


 落ち着いた話し方から受ける大人びた印象とかけ離れた言葉に、目を丸くする。

 すると、ケイは道端に生えている雑草を指さした。


「こういう草や花には、目がなくてね」


「草や花って、それ、どこでもある雑草じゃないの?」


 指が示す先には、ごく小さな白い花が咲いているものの、正直こんな花はどこにでもある。別に、特別綺麗なわけでもない。

 だが、ケイは「違う」と大げさに首を横に振る。


「この子たちだって、れっきとした花さ。それも、とびきり美しく強い、ね?」


「は、はぁ」


 いまいち、よくわからない。

 でも……――。


(たぶん、すごくその花が好きなんだろうなぁ)


 熱心にコンクリートの隅に咲く花を見つめるケイ。その熱量を持った視線が、少し羨ましく思えた。


   ◆


「おお、これはすごい……っ!」


 私の住む町には、海がある。

 他に特別誇れるところはないが、水平線に落ちる夕日を眺められることは、この町唯一の自慢だった。


 だから、ケイが素直に驚いてくれて、鼻が高い。


「ね、私もここから見る夕日が一番好きなんだぁ。なんか、嫌なことも忘れられる気がしてさ」


 鮮やかなオレンジに染まる一面の海を見ていると、不思議と笑顔になる。


「ふふっ、ようやく笑ったね、キミ」


「へ?」


 あまりに突然の言葉に、目を見て思わず聞き返してしまう。

 しかし、ケイは目を逸らすことなく、まっすぐと私を捉えてもう一度言った。


「ようやく、キミの笑顔が見れたなって。ボクをエスコートしている間も、ずっと辛気臭い表情のままだったからね?」


「い、いや、そんなこと――」


 思い返してみれば、笑っていた覚えがない。『辛気臭い』かはわからないが、少なくとも浮かない顔はしていたのだろう。


 受験のこと、将来のこと……。

 色々と悩みの種が多すぎて、いつの間にか笑う余裕をなくしていたのかもしれない。


「はぁ……」


 悩みを思い出して、またため息が出てくる。

 思い出さなければよかった。そう思っていると、ケイが優しく問いかけてきた。


「――嫌なこと、忘れるために来たんじゃないのかい?」


 その言葉で、私の中でせき止めていたものが溢れ出した。


「……聞いて、くれる?」


「気の利いたセリフを言えるかは、わからないけどね?」


 彼女の少しだけふざけた言い回しに後押しされ、私はゆっくりと口を開く。


「私さ、受験とか将来とかで親に色々言われててさ。それで、なんかよくわかんなくなっちゃって……」


 ケイは、何も言わずに聞いていてくれる。

 それがまた心地よくて、私の口は徐々にすらすらと言葉を吐き出してゆく。


「『いい高校に行け』とか『やりたいことをやれ』とか、何を言われても正直、実感がなくてさ」


 そこで初めて、ケイが口を開く。


「夢とかはないのかい?」


「あるにはあるけど……」


「どんな夢?」


「それは――」


 彼女に問われて、小学校の頃を思い出す。


 きっかけは単純で、この綺麗な空のことをもっと知りたいと思ったことだったと思う。どこまでも続く青空も、世界を彩る夕日も、その先にある星空も、すべてが知りたかった。


 だから、私は『将来の夢』にこう書いた。


「――私は、天文学者になりたい」


 それをしっかりと聞き届け、ケイはいとも簡単に答えを言ってのけた。


「なら、それを目指せばいいのさ」


 微かに笑って、さらに続ける。


「一旦、夢に向かって懸命に努力して……。それで無理だったら、またそのときに悩めばいい。どうせ、今の自分に将来なんてわかるはずないんだからね」


 彼女の答えに、言葉を失った。

 ああ、そんな簡単なことだったんだ、と。


「……それ、行き当たりばったりってやつじゃない?」


「賢い生き方だと、言ってくれたまえ?」


 そこで初めて理解した。花を見るケイの横顔が、羨ましく思えた理由を。


(私も、好きなことに夢中になりたかったんだ……)


   ◆


 しばらく経ち、すでにオレンジの空は黒みがかっている。


「さあ、そろそろ帰ろうか」


 そう切り出してきたのは、ケイの方からだった。


「そうだね。そろそろ暗くなってくるし――」


 短く返しながら、私はひとつ引っかかったことを口にする。


「あれ? 帰るって、どこに……?」


 確か、ケイは『旅行中、道端に咲いていた花を追っていたら、家族とはぐれてしまった』と言っていたはず。帰るも何も、滞在している宿の場所もわからないのでは……。


 そこまで考えた瞬間、私はある答えに辿り着いた。


「も、もしかして、今まで言ったこと全部……うそ……?」


 震える私の問いかけに、ケイはただ黙って微笑むのみ。

 だが、私はその沈黙だけで完全に理解してしまった。


「ああ~……なんでよぉ~……」


「ふふふっ」


 頭を抱えてうずくまる私の頭上から、ケイの抑えた笑い声が聞こえてくる。

 そして、ひとしきり笑った後、彼女は私に向けてこう尋ねた。


「理由、知りたいかい?」


「そりゃ、こっちは悩みまで打ち明けたのに、それが全部ウソだって言われたら理由のひとつぐらい知りたくも――」


 ――不意に、言葉が遮られる。


 必死に抗議していた私の口を止めたのは、ケイの唇。重ねられた唇から伝わる体温を感じながら、私は何度も瞬きすることしかできなかった。


 何秒、唇を重ねていただろうか。

 時間の感覚すらも忘れ去られてしまった中で、彼女はゆっくりと顔を離し、自分の唇を舌でなぞってみせた。


「さあ、これもウソだと思うかい?」


 不敵な笑みを残し、ケイは去ってゆく。


 あまりに衝撃的な不意打ち。私はその場にへたり込み、しばらく口をポカンと開けて放心してしまっていた。


   ◆


 あれから、約5年。私は大学生になった。

 天文学を専攻し、ひたすらに好きなことへと邁進する日々は充実している。


 調べてみると、あの道端の白い花は『ハルジオン』というらしい。やはりあの花は、町中のどこにでもある雑草扱いされる花のようだ。


 だからといって、調べた後、あの花を特別好きになったわけではない。

 それでも私は、今日も道端にハルジオンの花を探している。


 ――きっかけはきっと、あの春だった。

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季華 ~オリジナル百合短編集~ 蒼井華音 @aoi_kanon

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