Pills, Demons & Etc.

下村アンダーソン

Pills, Demons & Etc.

 殺す流れだな、と思った。とすると引き金を引くのは自分の役目だ。


 罪状は持ち逃げだった。財布や時計なら命まで取ろうって話にはならなかったかもしれないが、よりによって冷蔵庫にしまってある薬だったのが拙かった。私たちはそれなりに、リズとドロレスは救いがたいくらいに、あれに依存していた。無しでは三日と生きていられないような有様だった。

「それでさ、どうするんだよ。トーリ」

 リズが片目をしきりに瞬かせながら私に問う。僅かな光量でも眩しくて敵わないのだと、いつか言っていたことがある。普段はろくに見えていないのだろう。あれを打つたびに見える、見える、と喜んでいた。私たちと同じように、なのかは知らない。訊く勇気もなかった。

「どうするって――」

「とにかく私ら、あれが無いとどうにもなんないだろ? 今すぐぶっ殺してやりたいよ」

 片目を押さえて泣いている。むろん悲しいわけではないことを、私もドロレスも承知している。単に涙を抑える機能を損なってしまっているだけで、だからリズは日中に外出すると泣きっぱなしの状態になる。口を開けば痛い、痒い、異物感がある、と連呼する。

「少しぐらい取ってない? とりあえずしっかりしないと、話し合いになんないよ」

 あるわけないだろ、と横からドロレスが口を挟む。痒いのか、体のあちこちを両手で掻き毟っている。これには私も多少覚えがあって、どこが、というのではなく一帯が痒くなるのだ。首の後ろから肩、腕の付け根、肘の内側、横腹、膝から足首にかけて。体の表層が意識をもって蠢いているかのようで、ナイフで刻んだほうがまだしも楽に思えてくる。よくある虫が這っているという幻覚は、少なくとも私は見たことがないが。

 とはいえムーンスペルを使えばなにかしら必ず見る、というのがドロレスの見解で、トーリも例外ではないのだ、としたり顔で語られたことがある。そのうち私も、早朝でも深夜でもお構いなしに悲鳴を上げたりするようになるかもしれない。

「必要なときに必要なだけ出す。出したらその場で打つ。余所にはやらない。最初にそう決めたでしょうが。破った奴は罰則」

 最初、というのはリズとドロレスがこのアパートに転がり込んできた日のことで、当時の約束では三人で三等分だった。のちにフレイが現れたときにも、四等分という話にはならなかった。仕方がないので私のぶんを少し融通していた。世界がこんなにも綺麗だなんて知らなかった、と初めて薬を使ったときフレイは言った。頬を紅潮させて。

「ムーンスペルは駄目でも、白いのならまだあるよ。ひとまずそれで、どうにかならない?」

「なるわけないだろ。純度が違うんだから。トーリも強がるのは止めなよ。ほんとはムーンスペルが欲しくてしょうがないんだろ」

「欲しいは欲しいけど、なければ死んじゃうってほどじゃないよ」

 嘘つけ、とふたりはいっせいに笑った。

「初めて使ったとき、いちばん感動してたくせに」

「そうそう。今だって禁断症状で頭がおかしくなってる」

 私はふたりの言葉に取り合わず、

「とにかく、フレイが行きそうな場所を探そうよ。どこか、心当たりはない?」

 リズとドロレスは顔を見合わせ、お互いにほくそ笑んでから、

「いちばんよく知ってるのはトーリだろ」

「一心同体の仲なんだから。違う?」

 うるさいな、と受け流して、フレイが部屋に残していったものがないかと、私はあたりを手探りはじめた。女四人のだらけ切った同居生活であって、掃除や片づけはろくにやっていない。下着まで平気で脱ぎ散らかして、誰も気にしない。思い返してみれば、フレイが着るものはたいがい私が買い与えていた。大きさが同じくらいだといって交換することも多々あり、どれがどっちの所有物か、私自身にもよく分からなくなっていることに気付いた。

「トーリは私らよりフレイがよかったんでしょ? だから飼いはじめたんだ」

「飼うって――同居でしょ? 条件は一緒だよ。ううん、私たちのほうが不利だった。三分の一のムーンスペルを、私たちは分けて使ってたんだから」

 不利なもんか、とまたふたりが笑った。いい加減に腹が立ちはじめていたが、私は作業する手を止めなかった。あちこちの引き出しを出鱈目に開けるうち、同居生活が始まった頃に撮った写真が、束になって出てきた。私とリズとドロレス。

 昔は、三人とも仲が良かった。そのうちリズとドロレスばかりが一緒にいるようになって、私は自分の部屋だというのに居心地が悪くなったように感じられてきたのだ。だからフレイが来てくれて、私は内心ほっとした。これで二対二だと。しかしリズとドロレスは、フレイが私をおかしくさせたのだと繰り返した――。

 写真を捲っていくうちに、奇妙なことに気付いた。フレイが映っているものが一枚もないのだ。つい最近、どう考えてもフレイが来た後に撮ったとしか思えない写真にさえ、彼女の姿はない。

 ふたりの嫌がらせだろうか。フレイのぶんだけ、こっそり捨てたのだろうか。そういう態度に耐えかねて、フレイは出て行ってしまったのかもしれない。

 なあトーリ、とドロレス。

「薬を盗んだ犯人は、責任を取らなきゃならないよな?」

「もちろん。そのときは私が――責任もって始末するよ。でもさ、まずは見つけなきゃならないでしょ? フレイだって気が迷っただけで、まだ手つかずで持ってるかもしれないし」

「それは無いよ。ムーンスペルはもう無い」

「なんでそう決めつけるの? そもそもフレイが犯人かだって、まだ分からないのに」

 リズとドロレスは互いに顔を見合わせ、それから頷いた。

「ああ、そうだね。フレイは犯人じゃない。犯人はあんただ、トーリ」

 馬鹿なこと――と抗弁しようとした瞬間、ドロレスが飛び出してきて私を組み敷いた。腕力ではまったく敵わない。私はなすすべもなく、ベッドに押さえつけられていた。

「いいか、トーリ。フレイなんていう人間は存在しないんだよ。あんたが作り上げた妄想なんだ」

「なにを言ってるの? 四人で暮らしてたじゃない! 目の悪いリズには見えてなかったかもしれないけど、ドロレスは見てるはずだよ」

「だから、それは幻覚なんだよ。あんたはムーンスペルの三分の一を――いや、今となっては残りぜんぶを、だな。独りで使っちまったんだよ」

 そんなことがあるわけない、と叫び出そうとしたとき、唐突に「あの感覚」が襲ってきた。薬切れの憂鬱。

 現実へと引き戻され、あらゆる苦痛と、罪と、絶望とが鉛球のように心身を圧し潰す感覚。いつもより圧倒的に酷い。だって――フレイはいない。私しか。私ひとり、こっち側に置き去りになって、どうやって生きていけばいい? 私は涙を、リズなんかとは違う本当の意味での悲しみの涙を流しながら、声を振り絞って、

「お願い、ムーンスペルを打って。もう一回、フレイに会わせて」

「それは無理な相談だな、トーリ。盗んだ犯人は、責任をもって始末するんだろ」

 ドロレスのその言葉を合図に、リズがそっと私の手に冷たいものを握らせた。相変わらず目をしょぼしょぼさせて、泣いていた。

 いつもベッドの下に隠してあった拳銃だった。そう、この暮らしが始まった日に約束したのだ。私たちの薬を奪う奴がいたら、誰だって容赦しない。

 私は拳銃を蟀谷に突きつけた。指先が震えていた。フレイによろしくな、という言葉を、遠くで聞いたような気がした。

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