釣り好きな少年が他の遊びを覚えるまで

marudai

釣り好きな少年が他の遊びを覚えるまで

少年の記憶は三歳まで遡る。初めて魚を知った記憶は別れた遺伝子上本当の父が

クーラーボックスの中に沢山の魚が入っている事で魚を知る事になる


その次は住んでいた家の前にあった小川にザリガニがいて捕まえていた記憶



その次は別れた父と一緒に釣りに行った記憶。釣り竿を振り回した事だけは覚えている。魚を釣ったかまでは覚えていない



それからは母の実家の近くにあった神社にあった池から流れ込んでいた小川で小さなフナや鯉を捕まえて沢山持ち帰り祖母達に叱られていた。生きる物が死ぬ事を知らなかった幼稚園児の頃



小学生に上がる頃、新しい父と弟が出来て釣りをしない事が多かった



小学二年生で初めての転校で父に正式に海釣りを教わる。そして一人で海釣りに行き始める



小学三年生の時、学校のテスト用紙の名前欄に釣り〇チ〇平と書いて出して母親を呼ばれる事になり何故と思う。そして同級生と引き潮の時に灯台まで渡り釣りをする。釣りをしていたらモリ突きの人が大きなスズキを抱えていてルアーで釣りたいと考えだす。また父の祖母の実家の側にある川で鯉釣りを覚える。自分では鯉は釣れないでいた。周りに田んぼが多くトノサマガエルやアマガエルをよく見かけ田んぼの中にはカブトエビやオタマジャクシがいて捕まえたりしていた。その頃にカエル釣りを覚えて食用カエルは三本イカリに赤い布を付けて目の前に吊るすと食いついて来た。それを集めて売る人がいて渡していた。また、猫じゃらし(エノコロクサ)の先端だけのこしてそれをトノサマガエルやアマガエル前に虫が飛んでいるように見せかけていると飛びついてきて釣り上げていた。



小学四年生の時に台風が来ている海に一人で釣りに行き両親に沢山怒られた。そしてガ〇プラが流行りだして並んで買うが釣りよりは面白くなく程々で飽きる。学校近くの団地にある池や防火水槽に住んでいる鯉を釣る。この頃は漫画でルアーを知るが売っている場所が無く本を見ながら上級生とプラグ(魚の形をしたルアー)を作り

磯竿で防火水槽に偶然いたナマズを釣り上げる事ができた。後、珍事があり海でチヌを釣っていたら何故か雷魚が海を泳いでいたので道具箱にあった三本イカリで引っ掛けて釣り上げ当時住んでいた家の裏にあった農業高校の池に放した。また、近所の農家の方が副業?で錦鯉の養殖をしており大雨で氾濫すると田んぼや小川に錦鯉の稚魚が逃げておりそれを捕まえて水槽に飼ったりした。



小学五年生、二度目の転校で河口から近い場所に住むことになるが遠浅で海では釣りが殆ど出来ず河口近くの川でチヌやセイゴ、ウナギ等を釣るようになる。又、父が遠くの海に連れて行ってくれクロやアジ、アナゴ、コチを釣る事が出来た。そして初めてお店でルアーとベイトリールを購入してスプーンで雷魚を釣り上げ家に持ち帰り壊れた洗濯機に入れていたら母に怒られて家の近くにあった一級河川に逃がしに行った。



小学六年生、三度目の転校。東北に引っ越し近くの池にブラックバスがいると聞いて釣りに行ったが釣れずゴミあさりをしていた(笑)一度だけ海に行ったが釣れなかった。初めてホヤを食べた。そして四度目の転校で孤島に引っ越して本格的な磯釣りを覚える。太平洋の真ん中にある島でオナガクロを中心にムロアジ、タカベ、ヒラマサ、カンパチの子供等を釣り楽しむ。太平洋の真ん中なので回遊魚が季節ごとに来てロウニンアジやギンガメアジ、カツオ、スマガツオ、ソウダカツオ、ヤリイカ等色々な魚を釣る事が出来た。もう一つ重大な事はその島にはブラックバスが住む池があり始めてルアーでブラックバスを釣る事が出来た。手のひらサイズだったがどんな魚を釣った時より嬉しかった(本の中でしか見た事のない魚であったので)


とある日の午後に磯釣りをしていると海一面にヒラマサとカンパチの群れが現れてクロ釣りの道具だったので掛かりはしたがもの凄い勢いで魚が走り道糸が切れる。大きな道具を取りに帰る途中にいた畑仕事をしていた人に話すとその人は漁師で子供の私の話しを聞いて船を出し何本もヒラマサやカンパチを釣り上げたらしく後日、沢山釣れたから何匹か渡そうと思ったが磯に船を着けられなかったからと言われ残念な気持ちになる。他にも大きなウミガメがプカプカと海面を漂っている姿を見たりネコサメと言う体長2Mオーバーのサメを目の前で見たりと貴重な体験をした一年だった



中学一年生五度目の転校。父は仕事が忙しくなり釣りに連れて行ってくれる事が無くなった。目の前に大きな一級河川がありそこで初めて天然の鮎を見る。その川には鮎簗があり初めて見た天然の鮎は落ち鮎と言われる産卵を終え下流に流されてきて魚体は赤身を帯びた色をしていた事を思い出す。そして本格的にブラックバスのルアー釣りにハマり始め夕刊の新聞配達を行い、その給料でルアーや道具を購入していた。その年の正月にお年玉でABUのベイトリールを購入して釣りに行くたびにバラシてメンテをするを繰り返し部品を無くしたりしたが当時のABUには5年保証だったと思いますが付いており何度かその保証で部品を購入したりする(現在も所有しています)そして当時35㎝のブラックバスを釣り、それを持ち帰り母に揚げ物にして料理してもらった(味は覚えていません)この頃、週刊雑誌に連載されていたバイクマンガにハマり自転車屋さんの若旦那さんにバイクの事を色々教えてもらい修理を朝から晩まで見るなんて事もしており閉鎖された自動車学校のコースで同級生とレースごっこをしたり新聞配達の際、耐久レースの真似事でピットインをする真似をして自転車ごと壁にぶつかり自転車のスタンドを上げたらダッシュで新聞を配りまた駆け足で自転車に戻り次にいくなんて事をして自転車のフロントフォークが曲がり自転車屋さんの若旦那に「どんな乗り方したらこんなになるの?」と言われた事があった


中学二年生六度目の転校。よりブラックバスが近くにいる環境に住むことになり一段とバス釣りにハマる。転校先でも新聞配達を行い道具もより良い物を購入しており近くで買えない物は通信販売で購入してバス釣りにハマる。近くの池にはブラックバスが違法放流されており注意はされるがお構いなしで釣りをしてとある日、学校に通報が行き校長室に呼び出される事になる。この時の問題はビニールボートを池に浮かべてバス釣りをした事が最大の原因であった。又、バス釣り雑誌に載っていたトラックのタイヤチューブを購入してフローターを作り一段とのめり込む。怒られない場所と言う事で自転車で3時間近くかけてダム湖までバス釣りに行く。池と違い広くポイントが絞り込めないと沢山歩き回りヘトヘトになるまで釣りをしていた。この頃釣ったブラックバスの最高は45㎝でダム湖で釣れたのでは無く高校の裏にあったやはり農業用のため池で釣り上げたのが最高だった。環境が変わったと同時に友達との付き合い方にも変化があり釣りには友達と行く事が少なくなりファミコンで遊んだりゲームセンターに行きだしたのもこの頃だった。まだ釣りを楽しくしていた時期でもあった



高校生になり部活動が始まり釣りに行く回数が減っていく。部活動は空手部に所属していたが拳を鍛える為に藁突きをしたりや大学生の先輩がいて部活動に馴染めていなかった。学校の帰りに駄菓子屋ゲーセンに寄るのが楽しみでお菓子を食べながら時間一杯ゲームをして週末はゲームの上手い人達が集まるゲームセンターに行き上手い人のプレーを観たりして過ごすようになる。しかしバス釣りは時間があれば行っており特に家の裏に一級河川がありそこにブラックバスが住みついていて岩や流れ込みがあり海に近い事もあって潮の満ち引きに左右される釣り場でもあった。夏休みに滋賀県に釣り旅行に行き琵琶湖や西湖に行き宿泊したホテルの側を流れる川(琵琶湖に繋がっている)で一週間朝から晩までバス釣りをしたが念願の50㎝オーバーのバスは釣れず最高は西湖の桟橋で釣り上げた47㎝が最高でその桟橋には鉄製の網目になったゴミ箱が沈められていてその中に50㎝オーバーのバスが入っていたが一緒に入れると自分の釣ったバスが本当に小さく見えた事を今でも覚えている



それから一段落したのかバス釣りに行く回数が減って来て代わりにゲームセンターに行く回数が増え夜遊びも多くなって来る。そうして学校を卒業する頃には釣りには全く行かなくなっていた・・・・・



そうして釣り好きな少年は青年へと変わっていった



_____________________________________



                  完

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