0.白染まる黒

季節は冬。窓から透かし見る空は暗く、夜を迎えようとする頃合いの温い闇に白い雪の反射が混じる。陰鬱な空模様。外にはもう誰もいない。頬を寄せたガラスには自身の青い目が映る。俺は厚い起毛のカーテンを元のように整えて歩き出す。廊下は長く、暗闇には人の気配がある。俺はカンテラを揺らす。絨毯は厚い。靴音は吸い込まれている。俺が脅かされることはない。俺が害されることはない。雪は降る。冬はやってきて、眠りを受け止めるための室は壁の厚みを増していく。



電話のベルが鳴り響く。それによって俺は擬似的に、心臓が跳ねるような感覚に見舞われる。電話が鳴っている。ベルの音を聞いてカレンは火がついたように暴れ出す。ベッドに飛び込み、髪を引っ張り、口から涎を撒き、うずくまって、普段の尊大な態度からは考えられないような痴態を見せる。

「姉貴」

電話のベルが鳴り続けている。獣じみた獰猛な息づかいは恐怖によるものだ。普段の不機嫌と違って、攻撃に転化しないのはただただ恐怖がそれを上回るためか。コールは六を越え、七、八。

「姉貴、大丈夫だ。俺がいる」

髪を掴んだままカレンは顔を上げる。ベルは鳴っている。向こうに同じく男が縮こまっているのを見て、カレンは枕をひっつかんだ。投げようとしたのを、すんでの所で止める。形にならない咆哮は、何を見ている、と言ったようだった。俺は姉貴の頭を、掴んだクッションで胸へと押しつける。涎がシャツを濡らすが構っていられない。俺は体をさすって、大丈夫だ、と言い続ける。電話が鳴り止むまで、不躾な留守電のメッセージが途切れるまで、ぶるぶると震える体を押さえ込んで、耳を塞いでいてやる。姉貴は声を恐れていた。留守電に吹き込まれゆくメッセージは『俺たちがこれからどうするべきか』を語る。どうするべきか。わかりきったことだ。そしてそれは拒否された。俺は何も聞かなかったような顔をして姉貴の背を撫でてやる。わかりきったことだ。俺は姉貴のためにここにいる。


『子供が欲しいの? そう。だったらあんたが産んだら良いわ』、あのとき、姉貴はそう言った。俺が何かを言うことは無い。姉貴は手順を違えた。わざとそうしたのは分かっている。これで運命は決まったようなものだ。俺たちは最後の、あるいは最初の……一対だ。孕み、地を覆うための最初の種。土と水を由来とするこの体に、姉貴は触れた。尖った肉の部品は濡れたへこみを穿った。稲妻が体を打ち、俺たちの間には不完全な……絆が出来た。おびただしい血が流れ、その中から俺はあの男を掬い上げた。誰より背が高く、人間の言葉を解し、先に生まれた俺より五は年嵩の男を。それは尋常のものではなかった。それはどこまでも、わかりきったことだった。

一番最初、俺に『そう』するよう誘ってきたのは姉貴だ。姉貴は手順を違えた。俺が反対することはない。芽吹いた種は奇形だった。姉貴は責務を果たさない。俺はそれに従っている。屋敷の中には誰もいない。カレンは屋敷を回らない。俺と背を向け合う事を良しとせず、俺たちが反対側で出会うことはない。冬は続く。三十あまりの空き室が埋まることはない。それこそが姉貴の選択だ。領地は空だ。影がうごめく屋敷の外に出てしまえば、そこにはもう誰もいない。



外には何もない。内に残ったのはたったの三。そのうち一つは壊れている。あるいは、他の二つも。俺たちは増えなければならなかった。正しさなどありはしない。領地の泥が何かを生むことはない。機構は既に機能不全を起こしている。責務は手放され、再生が成されることはない。終わりなど無く、故に始まるはずもない。ここにあるのは停滞だ。ろくでなしの俺たちがそうであれと願ったがために。

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狭間にて 佳原雪 @setsu_yosihara

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