藍色の表紙の本『天宮』 -1-
お客様が入る店の入り口とは別に、店にはまた別の口があった。通用口と私が称しているその口は、表の口と同じようにいろいろな世界、時代へと通じていた。私は店が開くよりも大分前にその口を開け外に出た。裏庭には店に飾る植物が所狭しと並び、青々とした葉を広げ、花々は陽の光を浴び咲き誇っていた。
私を見て。私を愛して。
そうまるで訴えているかのような草花を私は毎日選び、店の中へと運ぶのだ。
「イルー・ライラ、おはよう」
ふわりと小さな蛍火のような光が私の周りをまわる。フォワウ・リリィという名前をもつ妖精だった。百合の花という意味をもつ。それに遅れてオレンジ色の光が近寄ってきて眼前で止まる。これはフォワウ・ポピー。オレンジ色のポピーの妖精だった。
「おはようございます」
マスクを着けたままの私の声は少しだけこもった音を届ける。
「今日はスイセンが美しいわ。スズランもかわいく咲いている。二人ともシャイだからアピールしないけれど」
「お店に飾るのはいかがかしら。もちろん、私をたくさん花籠に入れて飾ってくれてもいいけれども。みな平等にイルー・ライラに見初めてもらえたほうが嬉しいわ」
きらきらと透明な羽ばたきで光を振りまきながら妖精たちは私の周りを飛ぶ。
イルー・ライラとは私の妖精たちが呼ぶ名だった。
「そうですね。今日は」
しばし考えて私は小さな池の前にしゃがみ込む。
「いらっしゃるお客様はきっと白い花がすきそうですね。開く扉の先は暑さがあるから、きっと涼し気でよいでしょうね」
花の影に隠れていた妖精たちが嬉しそうにほころぶ。
私へと与えられた能力の一つに、どのようなお客様がどの世界からいらっしゃってどのような本をお望みなのか、真なる望みをお持ちなのかがわかるというものがあった。今瞼のの裏に浮かぶのは熱砂の国の青い空と白い砂であった。暑く火照った体に涼し気な空気と雰囲気は喜ばれるだろう。
「甘い蜜を氷で固めてお出しするのも良いですね。あとは水菓子」
「まあまあ、素敵だわ。果物だったらお庭の外の小道を右に曲がったところの梨が大きく実っているわよ」
「左側にはブドウがたわわに実っていてジュースもおいしいわ」
「桃をシロップ漬けにするのもおいしいと思うの」
「イルー・ライラは何が好き?」
おしゃべり好きな妖精はあれこれと私の手伝いをしようと、小鳥のさえずりのように話しかけてくる。
「そうですね。ローイゲーオなんて良いですね」
私はお客様に出すメニューをあれこれと考え小さく笑んだ。
*************
”俺”はアーリ・イブファハド・ファイサルという。ファイサルという国の王の立場にあり、ファハドの息子だ。ファイサルという国は砂漠のオアシスを囲むように作られた国で、砂漠を縦断する旅商人の行き来で潤っていた。
水で固めて陽で干した日干しの建物が多く建て並び、時折輩出される赤や緑の宝石を壁に埋め込んだそれらは、それはそれはきらきらと輝き、富んだ国の象徴となっていた。
星々がきらめく夜は絶えることのない火を掲げ、旅人が砂漠で迷わぬよう道しるべの役目をしていた。
「王、お待ちください、これを決裁いただかなくては」
大臣どもが決裁の巻物を両手に抱え、俺の後ろを追いかけながら列を作っていた。この小さな国でも民はおり、商業も盛んだ。国の宝である水の管理、治水の工事についても決めねばならなかった。
俺は常々、砂漠の小さな国を大きく版図を広げたいと思っていたのだ。俺の代で無理でもその先の未来で実を結ぶために種を植えねばならない。
「王、本日はハーレムに入れる娘達がはるばる遠路から来ております。ひとときお顔を見せてくださいませぬか」
「アレーサム将軍の第四息女もお越しになっております」
ハーレムの管理を任せている文官どもも列に加わる。
ピーチクパーチクと騒がしいことと言ったらない。
「ええい、騒がしいわ。新月の日の午後は休みにすると、伝えてあっただろうが」
「しかし、急ぎのものがいくつも」
「ある程度のことはすでに決めたであろうが。俺に回すでない」
「王でなければ決められぬこともございますれば、一度お目を通していただき」
ばたばたとこの国に舞い散る砂を巻き上げながら大臣は必死の形相でついてくる。
目が回るような忙しさは俺が国を運営するにあたって始めた事業なども影響する。だから誰のせいでもなく自分のせいなのだが、もうすでに一か月休みなく決裁決裁決裁、夜には有力者どもが開く夜会に出て囀る美しい娘たちを愛で、時折その娘を懐に入れては朝を迎えと休む暇がない。
俺を補佐する兄弟や親戚などがいれば任を与えることも出来ようが、それはできない相談であった。
女どもは有力者や他国へと渡り姻戚関係を結んでいた。
俺の父ファハドの息子は俺の他には体の弱い弟が一人いるだけで、涼しい奥の殿から出てこれない体であった。権力闘争に負けた叔父達は命を助けたがゆえに、恥知らずにもあわよくば俺にとって代わろうと企んでおり、容易に権力を渡すわけにはいかなった。
「俺の机の上に書類は置いておけ。娘たちは夜の食事をハーレムでとると伝え準備をさせておけ」
俺は指示をだし、王宮の奥の扉、世の理の書物の部屋の扉に手をかける。
「今から陽が地平に沈むまでは俺はここから出てこんからな」
俺は己の頭に巻いてあった豪奢なターバンをほどき、床に投げ捨てると扉を潜った。
チリン。
とどこかで澄んだ音がした。
世の理の書物の部屋はこの国のデザインとかけ離れている場所であった。
どちらかと言えば他国の緑豊かな土地の内装に似ているかもしれない。
なぜ我が国にそのようなものがあるのだと思わないこともないが、それは誰に問うても答えられないことでもあった。
何せこの扉は王の中でもごくわずかなものしか潜れなかったからだ。
そして不思議なことはまたほかにもある。
俺を迎えてくれる何年も姿変わらない部屋の主だ。
若くもなくそれでいて老いを感じる年齢でもなく、三十代にも四十代にもみえるそのあたりの、つまりは年齢不詳な男は俺が出会ってからいままで年を取る気配がなかった。
常に顔の下半分を女のように布で隠しているのもあって実年齢はいかがなのだろうかと不明であった。
肌はファイサルの国民の褐色とは違い、旅商人が持ち寄る絹の白い布地のように白かった。白い顔にかかる淡い茶色い髪は日を浴びれば金糸のように光る。どうにもファイサルの国の民ではなかった。
その者が城の最たる場所にいる。
ただ不思議と誰何する気にもならず、俺はかのものを受け入れていた。
言葉なく、俺に意見することがないのも大きな要因であっただろう。休息の時間に小言など屑籠に入れてポイ、だ。
俺は常のように足早に部屋の中央、家具を脇に寄せ開けられたその場所に進み、敷かれた幾重もの絨毯の上へと腰を下ろした。横になり綿のつまったクッションに身を預ける。
俺の視界に映るように、水が湛えられた鉢が床に置かれ、白い花が凛と咲いていた。その横には鈴のような白い花をつけた花がこれは黒土に植えられていたが、飾り付けられていた。この国で花を見るのは珍しく、俺はしばし見惚れていた。そしてまた、清涼のある花の香りはどの香にも勝りみずみずしく、たっぷりと吸い込むと体の中の熱が抜けていくようだった。
しばらくすると部屋の主がハーブを入れた冷えた水の入った瑠璃の杯と、果物を一口大に切ったものを盛った器を運んできた。目の前に置かれるとすぐさま俺は右手を伸ばし、乳白色の果物を一つつまみ口に含んだ。歯を立てるとシャクシャクと口内で歌うその果物は、砂漠にわく湧き水よりもはるかに冷たい塩辛い水に浸されていた。塩っけは果物の甘さを引き立て、また汗のかいた体に染みる。
うまい、と声に出せないのが残念だった。
でも俺の表情をみた主は「ようございました」と言っているかのように満足げに笑んだ。
乾いた喉を潤すため、瑠璃の杯に口をつけ一気に干す。
俺はこの部屋にきて、冷たいという言葉の意味を知った。火照る体が冷え、まるで砂漠の夜のような体温に落ち着く様に感動したものだった。
空になった杯を主に渡し、おかわりを催促した。
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