Ton.05 〈蒼の終点〉を冠する少年と、〈光の歌姫〉の名を冠する少女の関連性
少女はリュシアンの正面に座ると、おずおずと切り出してきた。
「実は、財布を落としてしまって」
なんだ、その下手な展開は。
危うく口をついて出そうになった発言を喉の奥に流し込み、リュシアンはいかにも神妙そうに眉尻を下げた。
「それはそれは……災難でしたね」
台詞とは裏腹にリュシアンは内心で「またか」と辟易する。
イベントテロリストによる盗難被害は珍しくもなんともない。リュシアンもエルベ広場にやって来るまでの間、スリだの盗難だのといった騒ぎは何度も目撃していた。
「はい……。ここでご飯を食べた後にそのことに気づいたんです。今日はひとまず、食べた分の代金だけ働いた後、ホーラの館に行ってから考えようと思ったんです」
「お優しい店の方でよかったですね。普通でしたら、通報されて、即刻お縄ですから」
「はい……」
子犬のようにしゅんと肩を落とすティア。
リュシアンは穏やかな表情のまま提案した。
「それなら、ホーラの館にある宿舎をご案内しましょう」
「え、いいんですか?」
「こんな可愛い子を一人野宿なんかさせられませんよ。それに、もともとホーラの館に用事もあったんでしょう?」
「そうですけど、でも、さすがにそこまでお世話になるわけには……」
「皆さんのお困り事を解決するのが私たちの勤めと言ったでしょう? ここであなたを放っておいたら、私の方が職務怠慢で捕まってしまいます」
そう言ってリュシアンはいたずらっぽく笑った。
すると、彼女はきょとんと瞬きした後、顔をほころばせる。小さな花のような微笑み。
「それじゃあ、お願いします」
その後は会話が弾むばかりだった。暇を持て余した女性店員も会話に加わり、話はますます盛り上がっていく。
女性店員の旦那が飲んだくれで帰ってきたとか、少女が世話になった少年が甘党だとか、リュシアンの同僚は小言が多いとか。
そんな他愛もない談笑が一段落し、リュシアンは会計を済ませようと思った時のことである。
「そういえば、ホーラの館に向かうつもりだったと言っていましたが、聖火隊に用事ですか?」
「あ、はい」
「どのような用事があったんですか? よければお聞きしますよ」
「人から手紙を預かっているんです。その手紙を渡したい相手が聖火隊に所属しているので、それならホーラの館に行くのが一番だって城門にいた人が教えてくれて……」
「名前は?」
「リュシアンさんという方です。リュシアン・ヴェルブレシェール」
一瞬聞き違いかと思い、リュシアンは内心で小首をかしげた。
「……リュシアンというのは、私のことですが」
「へ?」
今度はティアが目を丸くする番だった。彼女はリュシアンの頭からつま先までじっと眺める。
「あなたが……?」
そのまま困惑顔でティアがリュシアンを見つめる。
「どうかしましたか?」
「いえ、その……聞いていた話と印象が違ったものですから、ちょっと驚いたというか……」
「興味深いですね。私のことをどんな風に聞いていたんですか?」
「え」
ティアはぎくりと肩を跳ね上がらせた。
「えーと、ちょっと出会って間もない人に対して……というか、誰に対して言うのもはばかられる内容というか……」
ごにょごにょとバツが悪そうにティアが言い淀む。
「あんまり聞かない方がいいというか、できることなら聞かないでいてくれたら嬉しいなぁなんて思ったり思わなかったり……」
どうにも歯切れが悪い。
ならば、と質問を変えてみることにする。
「でしたら、どなたから私のことを聞いたんですか?」
「あ、それなら。エルスっていう男の子です」
リュシアンは今度こそ耳を疑った。
こちらが無反応でいると、彼女は「ああ」と手を打って。
「エルスっていうのは……なんていうんでしょうかね。私がお世話になった人です」
「……エルスって、エルス・ハーゼンクレヴァですか?」
リュシアンが名前を反復すれば、逆にティアの方が呆けたような顔をした。
「え、はい、そうですけど……。あ、手紙忘れないうちに渡しておきますね。といっても、宛名はリュシアンさん宛じゃないんですけどね」
そう言ってティアは腰の鞄から一通の手紙を取り出した。リュシアンに手渡しながら。
「リュシアンさんからヴェルジリオさんという方に渡してもらっていいですか?」
受け取った手紙にはヴェルジリオ・サンクシオン様と書いてあった。裏には差出人の名前としてエルス・ハーゼンクレヴァと確かに書いてある。男にしては綺麗な字体だ。
(……郵便じゃなく、こうして人づてで届けられるってことは、検閲されたらまずいものってことか)
一体、師はエルスとどのようなやり取りをしているのやら。思わずぽつりと漏らす。
「……エルスから先生宛とは珍しいですね」
「先生?」
「ヴェルジリオ先生は私の師匠なんですよ。だからエルスも私に手紙を渡すよう頼んだんでしょう。その方が確実でしょうから」
「確実?」
ティアが細かいところを拾って聞き返してくる。
「いえ、こちらの話です。手紙、確かに受け取りました。後は私にお任せください。それより……」
リュシアンは、ふとティアを見た。観察というほどのものでもない。ただ少女の顔を改めて見直したというだけだ。
愛嬌のある顔立ちの、どこにでもいそうな金髪碧眼の少女である。会話をしていても特に目立った点は見当たらない、ごくごく平凡な少女だ。
「……あなたはエルスとはどういう関係なんですか?」
失礼にならない程度の、ぎりぎりの視線を送りつつ慎重に問いかける。
ティアはあっけらかんと答えてきた。
「ええと、さっきも言いましたけど、前にちょっとお世話になったんです。危ないところを助けてもらったというか、今も困ったことがあると手伝ってもらったりとかしてるんです」
素直そうなティアの目には嘘は見当たらない。
それだけにリュシアンの中に疑いが膨らんでいく。
「……どうかしたんですか?」
ティアが尋ねてくる。
無意識のうちに眉根を寄せていたらしい。眉間をほぐすつもりで、指先を眉の間に持っていく。ついでに、エルスに関する情報を改めて脳内で整理する。
エルス・ハーゼンクレヴァとは。
古都トレーネ認定の上級法術士資格を最年少で取得した
そして彼女。ティアと呼ばれていた。話を信じる限りではエルスの知り合いらしい。
見た目、普通の少女が、仮にもオスティナート大陸トップクラスの法術士と知り合いとはどういうことだろうか。エルスとティアの関係性がまるで思いつかず、リュシアンとしては半信半疑にならざるを得ない。
付け足すなら、エルスは基本的に人間嫌いで人間不信だ。そんな彼が、信頼して先生への手紙を預けるほどの相手。しかも女の子。
……面白そうだ。
珍しいというより、純粋な興味と邪悪な好奇心がむくむくと心の中にわき上がってくる。
リュシアンは会計を済ませると店の外に出た。無銭飲食をした分を働き終わったティアも後ろからついて来る。
と、彼女は今更ながら気づいたように自己紹介をしてきた。
「そういえば、私はティアっていいます。ティア・ロートレック。よろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
そう言って差し出された少女の手をリュシアンは聖人のような微笑みで握り返した。
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