Ton.06 ただ俺は、あいつを一度殺してみたいんだ

 遡ること、今から一年半近く前。

 王都グラ・ソノルの十三街区を一つの事件が騒がせていた。

 謎の二人組の法術士が夜な夜な酒場を破壊して回っているという話だ。

 その話は王都グラ・ソノルの治安維持機関である聖火隊にも伝わり、つまるところ聖火騎士であるリュシアンも関与することとなった。


「……まさか、その法術士ってエルスじゃあ」


 リュシアンの隣を歩いていたティアが不安げな声を発する。


「いいえ、エルスではありませんよ。もっとも、無関係ではありませんし、彼も王都に来ていましたが」

「やっぱり」


 どこか諦めたようにティアがうなだれる。


「二人組の法術士というのは、エルスのお兄様とお姉様だったんですよ」

「アレクセイさんとカタリーナさんが? というか、そもそもエルスはどうして王都へ……?」

「なんでもエルスのお姉様が〈アヤソフィアの学び舎〉の宝物庫に保管されている先人の遺産を、ゴミと間違えて捨てたことがきっかけだとか」

「はい?」


 ティアから素っ頓狂な声が返される。


「えーと、それってとってもまずいんじゃあ……」

「オルドヌング族の遺産ですからね」


 このオスティナート大陸をかつて支配していた先人――オルドヌング族。

 魔法の力によって人々に栄光をもたらしたオルドヌング族の遺産は、法術国家と謳われる古都トレーネおよび関連した機関に保管されている。

 うっかり誤って、しかもゴミと間違えて捨てることが許される代物ではない。


「どういうわけか、その遺産が紆余曲折した末に王都に流れ着いたらしいんですよ」

「ということは、エルスたちが王都にきたのは、その遺産を回収するためってことですか」

「そういうことです」


 すると、ティアは「なるほど」と納得してから、ふと怪訝そうに首をひねる。


「でもなんで破壊活動なんか……」

「ああ、ちなみに破壊していたのはエルスではなく、もっぱらお姉様だったようですよ」

「カタリーナさんが? でも、どうして?」

「さあ」


 そらっとリュシアンはとぼけた。

 酒場で娼婦に間違われたエルスの姉が怒り狂って法術を乱発し、酒場ごと相手を吹き飛ばしたというのが真実なのだが、ティアに教えてやる義理もない。


「私がエルスと出会った頃には、彼のお兄様とお姉様は既に〈アヤソフィアの学び舎〉に帰った後でしたから」


 正確には、帰ったではなく、お尋ね者になる前に撤退したのだろうが。

 その後、エルスは夜間の調査には同行しなかったため(兄が断固として許さなかったと聞いている)一人難を逃れたらしい。

 と。


「……へえ、そうだったんですね」


 ティアから意外そうな声が上がる。

 くすりとリュシアンは笑みを漏らした。


「エルスが破壊活動しないなんて珍しい、とか思っていそうな顔ですね」


 図星をつかれたらしい。ティアの頬の筋肉が不随意にひきつる。


「え! いや! そんなことは――う……。……あるかもしれません」


 慌てた後、ティアは観念したようにうなずいた。


「素直に言ってくださっていいですよ。私も同じ意見ですから」

「リュシアンさんも?」


 驚いたように聞き返してくるティアに、リュシアンは心からうなずいた。


「ええ」

「リュシアンさんは、エルスと仲良しなんですか?」


 それを聞いたリュシアンは声を立てて笑った。


「え、今の何かおかしかったですか?」

「いいえ、中々愉快な表現だと思いまして」

「愉快?」


 まさかエルスとの関係において仲良しという愉快な言葉が出て来るとは思わなかった。純粋な少女らしい発想だが、リュシアンとしては面白おかしくて仕方ない。

 リュシアンは目的の建物の前までやって来ると、立ち止まり、振り返った。自動四輪車オートモービルがティアの背後で通り過ぎるタイミングに合わせて、口を開く。


「――ただ俺は、あいつを一度殺してみたいんだ」

「え?」


 案の定、その台詞はティアの耳には届かなかったらしい。リュシアンの声は自動四輪車オートモービルの派手なエンジン音よってかき消されてしまう。

 やがて自動四輪車オートモービルが角を曲がり、音が遠ざかったところでティアは尋ねてきた。


「あ、あの……ごめんなさい、今なんて言ったんですか? 車の音が大きくて聞こえなくて……」

「ここがホーラの館カリディア支部ですよ、と言ったんです」


 そう言ったリュシアンの背後には、細長い槍を繋げたような鉄柵で四角く囲われた広大な敷地があった。

 柵の奥にあるのは灰色の石を切り出した聖堂とよく似た建造物だ。

 奥へ伸びているらしいその建物の左右には、鉄柵に沿うような形で集合住宅に似た建造物が敷地内を囲うように張り巡らされていた。

 美麗な格子扉をくぐり、扉を開いた先には部屋のような小さな内玄関。エントランスとも呼べるそこに、ホテルの受付のような四角いカウンターがあった。

 カウンターの内側には、皺一つ、ホコリ一つ、ついていない漆黒の騎士服を着た女性が一人、立っている。

 否、もう一人。


「アルフィナ……?」


 滝のように美しく長い黒髪を真っ直ぐに伸ばした女性。その見慣れた後ろ姿にリュシアンは声を上げた。

 何やら受付の女性騎士と話しこんでいるらしい。彼女は振り返ると怜悧な顔に涼しげな声を乗せて挨拶をしてくる。


「法の加護があったようで何よりです、リュシアン……と?」


 が、隣にいるティアの存在を見た瞬間、アルフィナの聖火騎士の顔が崩れた。リュシアンが悪態をついたときによく見る厳しい顔つきだ。

 が、それも一瞬のこと。誰にも気づかれないうちに騎士の顔に戻ったアルフィナは静かに微笑んで見せた。


「初めまして。私はアルフィナといいます」

「は、はじめまして。ティアっていいます」


 緊張したようなティアの態度にアルフィナが小さく笑いをもらす。それから、


「……リュシアン、ちょっと」


 ちょいちょいと。にっこり笑顔でアルフィナがリュシアンを手招きする。

 その笑顔に妙な迫力を感じ取ったリュシアンは大人しく彼女に従うことにした。普段、滅多なことがない限り満面の笑みにならないアルフィナが仮面をかぶったような笑顔になった時、リュシアンは基本的に逆らわないことにしている。


「すみません、ティア。ここで少しの間待っていてもらえますか?」

「はい、わかりました」


 素直にうなずく彼女に手を振り、リュシアンはアルフィナに連れられて奥の扉をくぐるのだった。

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