Ton.07 死んだ人の数だけ天秤に乗る金貨の数は

 エントランスの奥には柱廊がある。等間隔に並ぶ柱の間には一本の通路が伸びていた。通路の両脇にはオークの樹で作られた長椅子が整列している。奥にあるのは、法典を置く教壇だ。

 ホーラの館の造りは街中にある聖堂とほとんど大差ない。違うのは、通路の途中にある翼廊部分に独立した隣の建造物に繋がる扉があるかどうかだ。

 アルフィナは少し奥まで進むと、柱の陰に隠れるように身を潜め、こう言ってきた。


「どういうつもり?」


 いきなりの詰問口調である。


「なんか財布落として無一文らしい。とりあえず紛失届出させるために連れてきた」

「青少年保護法違反でしょっぴくわよ」

「はあ?」

「いいこと? 彼女に下世話なことをしたが最後、明日の朝、あなたの首と胴体が分断されてると思いなさい」

「あのな、誰が一緒の部屋で寝るっつったんだよ。つーか、俺はケダモノか」

「そうよ」


 言い切ったアルフィナは親の仇でも見るような目つきで睨んできた。


「五年前、あなたが私にしたことを忘れたとは言わせないわよ」

「五年前って……、ああ、あれか。そんなこと、よく覚えてるな。オマエ」

「そんなこと……ですって?」


 アルフィナが凄絶な殺気をまとう。ざわりと音もなく空気が震えた気がした。


「よくも言えたもんですね。あんなことをしておきながら!」

「別にたかがキス一つだろ。ぎゃーぎゃーうるせえな」


 五年前の話である。

 法典の内容を頭の中で反芻するために目を閉じているアルフィナの姿を見たリュシアンはその唇にキスを見舞った。なぜなら、その姿がキスして欲しそうに見えたからだ。

 その頃、まだ思春期真っ盛りの健全な男子だったリュシアンの弁はこうだ。

 当時の自分は、十三街区とは名ばかりの王都グラ・ソノルの貧民街で師匠であるヴェルジリオに拾われ、修行漬けの日々を送ること数年。一般的な女性に対する適切な接し方など微塵も知らなかった――もちろん半分ぐらい嘘だが。


「あの姿はどう見てもそうだろ。今じゃ、やんねぇが」

「そう見えるのはあなただけよ」

「大体オマエは潔癖症なんだよ。事あるごとに人のこと破廉恥だのなんだの。大体、先生だって同じ男だってのに、どうして俺だけこんなに責められにゃならん」

「同じ男でも中身が違えば態度は違くなるでしょう!?」


 控えめに、だが声高にアルフィナが叫ぶ。

 どうやら説得は不可能なようなので――するつもりはさらさらなかったが――今は、ティアに関しては否定しておいた。


「ティアには純粋に興味があっただけだ。本当に何しようっていうわけじゃねぇって」

「……あなたの口からそんな台詞が出るなんて珍しいわね。あの子、なんなわけ?」

「うーん、知り合いのお世話になったらしい子……かな?」

「知り合いって誰よ。聖火隊に所属している人物?」

「いや違う。オマエも先生から聞いたことぐらいあるだろ。〈死の天使〉、ジェシカ・ル・ロアの秘蔵っ子」


 それを聞いて思い当たったらしい。アルフィナの双眸が鋭くなる。


「……まさか、エルス・ハーゼンクレヴァのこと?」

「ああ」

「今すぐ彼女を彼の元に送り返しなさい」


 即座に冷厳な声でアルフィナは命じた。


「おいおい、さすがにそりゃ露骨すぎんだろ」

「古都トレーネの上級法術士の知り合い。理由はそれだけで十分だわ。彼女になにかあったら、とやかく言われるのはこちらなのよ?」

「エルスを知ってる身として言わせてもらうが、ティアに何かあったとしても、アイツは何も言ってこないと思うぜ。アイツ、基本的に他者に過干渉しねぇし」

「彼が言わなくても周囲がそうとは限らないでしょう。あなた古都と王都の関係わかってる? 式典前に無用な問題トラブル持ち込むのはやめてちょうだい」

「トラブルとは大げさだな。ちょっと財布を落とした女の子を保護しただけだろ」

「聖火騎士と古都の法術士が仕事や公の場以外で関わり合いがあるということが問題なのよ」


 その昔、王都、古都、帝都の三か国が大戦を繰り広げていた頃の話だ。

 古都トレーネは骸となって物言わなくなった聖火騎士を死人形ネクロマターと呼ばれるものに作り替えて再利用し、王都グラ・ソノルとの戦いの際、兵士として送り込んだ。

 王都グラ・ソノルは、それが大層お気に召さなかったらしい。こうして未だ悪感情を募らせる禍根ないし、デリケートな問題としてアルフィナが指摘してくるぐらいには、二カ国の関係性はよろしくない。友好和平が結ばれている表面上はともかく。


「そんなお国の事情、俺の知ったことか。っていうか、気にし過ぎだろ」

「あなたが気にしなさすぎなのよ。それより、はいこれ。さっき手に入った治安委員からの新しい情報よ」


 いきなりアルフィナから突きつけられた書類にざっと目を通し、リュシアンは投げやり気味にぼやいた。


「あーあ、ついに十三街区以外――しかも十二街区ここでも目撃情報が出たか」

「厄介なことにね」

「こうなってくると上としては、一刻も早く片付けたいだろうな。式典前までに可及的速やかに」

「ええ。疑わしきは全て罰していいわ。この式典前のお祭り騒ぎに乗じて馬鹿なことをしている輩だろうが、関係がありそうな輩だろうが、首根っこつかんでホーラの館に引っ張ってきてちょうだい。もちろん、容赦は無用よ。抵抗するなら力技でねじ伏せてしまいなさい」


 冷たく言い放つアルフィナ。それを非難するどころか、楽しげにリュシアンは肩をすくめた。


「了解」


 リュシアンは資料をぺらぺらとめくって中身を確認した。途中、声をあげる。


「麻薬? いつの間にか、話がでかくなりすぎてね?」

「その線が一番濃厚っていうだけよ。遺体の血液から薬物反応が出たわけではないわ。詳しいことは科学省の方で調査中よ」

「それはわかったが、結局、治安委員会は、俺らに、どうしろっていうんだ? 俺らは探偵じゃなくて騎士だぞ? こういう情報ちびちび渡されても何の役にも立たない――」

「騎士、だからこそ、でしょう?」


 騎士の部分を強調してきたアルフィナが暗に何を言っているのか。

 それを明確に理解したリュシアンはニヤリと笑った。


「オーケー。だったら、俺たちの出番になるわな」

「ええ。『こういう時こそ、暇してるリュシアンを遠慮なく使う時』よね」


 アルフィナの声には皮肉が大量に含まれていた。

 同時、一体誰がその台詞を言ったのかを即理解し、思い切り呪詛を込めてうめく。


「あっの先生が……。あの人、俺のことを都合よく使える駒か何かと勘違いしてんじゃね?」


 アルフィナはいい気味だわとでも言うようにせせら笑う。


「それはそれは可愛い弟子と思ってるんじゃない? 大事な愛弟子ですもの」

「その愛弟子の中にオマエも含まれてるはずなんだがな。オマエと俺、扱いが違うような気がするんだが……。あ、そうだ。先生に用事があんだけど、どこいるかオマエ知ってる?」

「先生? 私にはちょっとわからないわね。急ぎの用事?」

「いや、急ぎじゃない。知らねえんだったらいいや」


 どうせ人を使って渡された手紙だ。一週間ぐらい手渡すのが遅れても問題ないだろう。

 勝手な判断を下したところで、リュシアンは確認のために聞いた。


「ところで、今回の件、相応の手当てはつくんだろうな?」

「……ええ」


 少しの間を置いてから、アルフィナが渋々といった風にうなずいた。


「それはそれは」


 にんまりと笑うリュシアンを彼女は鋭く遮った。


「言っておくけどその分だけ犠牲者の血が流れているという深刻な事態であることを忘れないように」

「もちろん分かってるさ。ついでに言えば死んだ人間の数だけ天秤に乗る金貨も増えるってこともな。免罪符と同様に」

「リュシアン!」


 声高に怒鳴りつけられても彼は平然とした面持ちだ。

 そこにティアに対して見せた清廉で慎みのある騎士の面持ちは残されていない。あるのは、まるで別人のような冷え冷えとした表情だ。

 アルフィナはいらいらと説教を始めた。


「あのね、リュシアン。私たち――聖火騎士の任務は、法と正義に背き悔い改めない罪人たちを処罰すること。賞金というのはあくまでリスクに見合った功績よ。それと、罪人の危険性をより具体的な数値として表すための基準でもあるの」

「だから、その基準を手っ取り早く金で表してるんだろ? この上なくわかりやすいと俺は思うが?」


 リュシアンが冷ややかに言うと、アルフィナはぐっと何かを堪えるように唇を噛んで、その場から立ち去った。ヒールの硬質な音だけが残される。


「短気な女」


 遠ざかって行くアルフィナの凛とした後ろ姿を見送る。

 ことこの件に関しては――別にこの件だけにも限らないが――全く折り合いのつかない同僚に、リュシアンは肩をすくめてみせた。

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