Ton.08 弔いの鐘が響く夜

「部屋が、一つしか空いてない?」


 エントランスに戻ってきたリュシアンは、女性職員に宿舎の空きを確認し、そのように聞き返した。


「ええ、今、ちょうどリュシアン様に続いて大勢の騎士がこちらの支部にやってきまして……」


 例の麻薬調査か。リュシアンはそうあたりをつけた。

 タイミングが悪かったとはいえ、先に部屋を手配しなかったのはリュシアンの落ち度だ。

 今から他の支部に移動するという考えが浮かび、すぐさま却下された。

 既に日は暮れつつあり、何かあった場合、ティアを抱えながら王都をさまよう無数の犯罪者たちと大立ち周りしなければならない。それはどう考えても危険だ。


「それでは、どなたか宿舎に泊まっている女性騎士はいませんか?」

「それが、申し訳ないのですが今回、宿舎に泊まられる女性騎士様はいないんです」


 眉尻を下げて申し訳なさそうに告げる職員。もともと女性の騎士は、絶対数は少ないため仕方がない。


「では、アルフィナは?」

「アルフィナ様でしたら、十二街区のダフネ市の方で追っていた犯人の目撃情報が届いたとかで先ほど出て行かれましたが」


 こんなことなら、アルフィナがいる時にティアの寝場所について話しておくんだった。後悔しても遅いが。


「わかりました。それじゃあ、私がどなたかの部屋のソファで寝られるよう手配していただけませんか。それで、残りの一部屋を彼女に」

「え、そんなことしなくても、私リュシアンさんと一緒の部屋でいいですよ?」

「え?」

「え?」


 受付の女性職員と一緒にリュシアンは声を上げる。


「……え?」


 だが、肝心のティアは疑問の声があがった理由がわからなかったらしい。きょとんと目を瞬かせた後、少し遅れて疑問の声をあげた。


「えっと、誰かと誰かが同じ部屋に泊まらなきゃいけないんなら、リュシアンさんが別の人の部屋に行かなくても、私とリュシアンさんが一緒の部屋になって、私がソファで寝ればいいんじゃないかなぁって思ったんですけど」


 受付の女性職員とリュシアンの目が合う。双方思ったことは同じらしい。

 ひとまず、リュシアンは聖火騎士らしくたしなめることにした。


「ティア、そういうことはむやみやたらと言ってはいけませんよ」

「え、そうなんですか? ごめんなさい」


 不思議そうな顔をした後、ティアがしゅんと肩を縮こまらせて謝罪してくる。

 だが、理由を理解しているようには見えない。一体どのような育ち方をしたらこんな箱入りになるのか。

 女性職員もリュシアンと似たような心境だったのだろう。彼女は、失礼にならない程度の視線をティアに向けた後、こほんと咳払いをして柔和な笑顔を見せた。


「では、一〇七号室の鍵をそちらの方にお渡しします。リュシアン様は、その手前にある一〇六号室をお使いください。同室の騎士には私のほうから伝えます」

「では、おやすみなさい。法の加護を」

「はい、法の加護を」


 聖火騎士があいさつの代わりに使う文句を口にして、エントランスを後にする。

 二人は無音の聖堂を抜けると、翼廊から一回渡り廊下へと出た後、別の建物へ入った。

 清潔に保たれた通路を歩いている途中。談話のためのソファと小さなテーブルが置かれた休憩スペースで、別の騎士たちが、法の加護を、と言い合い、別れるのが見えた。

 それを何気なく見ていたらしい。ティアがふと声をあげた。前を歩くリュシアンに呼びかけるように、身を軽く乗り出したような格好で。


「……みなさん、あいさつのように『法の加護を』って言うんですね」

「ご存知かもしれませんが、この国には道徳を学ぶための書物として法典と呼ばれる書物があるんです」

「法典?」

「はい。法律の書でもあるそれは、私たち聖火隊の基本的な行動指針となっています。その法典にちなんで、『法の加護を』と挨拶として言い合っています。そして――」


 通路を更に進み、別の渡り廊下を抜けた先にある宿舎に入る。

 ガス灯と扉が左右の壁に等間隔に並べられた通路を進みながら。


「罪人に対してはこのように使います。――『法に背く者には法の裁きを』と」

「裁き……ですか」


 やがて、一番奥にたどり着く。突き当りの扉には一〇七号室と番号が書かれていた。


「こちらになります。どうぞ」


 そう言って、リュシアンは持っていた古びた鍵をティアに手渡した。


「今日はもうお疲れでしょう。ゆっくり休んでください。夕食は私が部屋に持って来ますので」

「そ、そこまでしてもらうわけには……! 私自分で何か買って来て食べますっ」

「――夜は福音と弔いの鐘が鳴り響く」

「え?」

「もう日が暮れますし、夜に外に出るのは危険だということです。あなたに何かあっては、エルスに何を言われるやら……」

「たぶんでもなく自業自得って言われると思います」


 悟ったようにティアが即返してくる。

 どうやら、素っ気なくされる程度には親しい間柄らしい。そう考えて、あの少年は誰に対しても素っ気なかったか、と思い直す。


「そうであっても、私や他の聖火騎士は見過ごせませんよ。とにかく、こちらのことは気にしないで大丈夫ですから」

「……わかりました。色々とありがとうございます」

「それでは、また後で」


 軽い笑顔であいさつを、リュシアンはティアと別れた。





 氷のようにとがった沈黙が落ちていた。

 ふいに、肌を針で刺されるようなぴりっとした痛みを感じ、リュシアンは目を開いた。意識の覚醒は速やかだった。

 ティアとの夕食後、ゆっくり眠りに落ちた矢先の出来事に、リュシアンは気だるげに頭をかいた。

 室内を見渡すも、異常はない。石造りの部屋には火のついていない暖炉と、簡素なベッド、使い古された机と椅子があるだけだ。

 リュシアンが眠っていたソファの向かいにあるベッドで、別の聖火騎士がうるさいいびきを立てながら眠っている。窓の外はすっかり暗く、ガス灯の淡い明かりだけが街を照らしていた。

 リュシアンは聖火騎士の証である黒い上着に袖を通すと、音を立てずに部屋の外に出た。そのまま、表の廊下を進む。

 通路の途中にある休憩スペースで幾人の聖火騎士が険しい表情で立ち話をしているのが見えた。


「どうしたんですか?」


 声をかけると、リュシアンと似たような背格好の青年が振り返る。


「おやすみのところをお騒がせしたようで申し訳ありません。なんでも、アルフィナ様が追っている犯罪者がこの辺りを逃亡中ということで、その対処に回っていたところです」

「アルフィナが追っている?」

「はい」


 リュシアンと同じく、福音省所属のアルフィナが直々に追っている犯罪者ということはだ。

 となれば、下手な聖火騎士に任せるよりリュシアンが動いた方が確実である。


「わかりました。では、私も手伝いましょう」


 しかし、青年はリュシアンの胸元を見ると、懸念するように軽く眉根を寄せた。

 リュシアンが着る上着には、草木が絡みついた剣の紋章が――都市や地方を巡回し、人々に法典の内容を説くことを主な任務とした、巡回騎士の紋章が描かれている。

 一般的に巡回騎士は、王都に配属されている聖火騎士より戦闘訓練を受けていないケースが多い。


「しかし、巡回騎士であるあなたのお手を煩わせるわけには……」

「そのお心遣い、ありがたく思います。ですが、実はアルフィナは私と同期でして……。今でこそ私は巡回騎士ですが、戦闘訓練を彼女とさせていただいているんです。足手まといにはならないと思います」

「しかし……」


 なおも渋る騎士にリュシアンはとどめのように言い放った。


「それに、〈十二騎士〉のアルフィナが追っているとなれば、相手は凶悪犯罪者。急ぎ対処した方がいいのでは?」

「……ありがとうございます」


 軽い逡巡の後、青年の騎士は、なおも不安が残るような、それでも安心したような複雑な色合いを顔に浮かべながら小さく頭を下げた。


「それでは、法の加護を」

「法の加護を」


 聖火騎士の決まり文句を互いにかわし、リュシアンは薄らと笑った。

 それは聖火騎士として模範的な優しげな笑みでありながら、ひどく冷たいものだった。

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