因果の淵に咲く花の名は (下)

 次に目覚めたのは、白い清潔なベッドの上だった。

 埃も汚れもないこんな真っ白で綺麗なシーツで眠るのは何年振りだろう。

 女の甘ったるい香水か、煙草か薬物か、べったりとした欲望が染み込んだ薄汚い毛布にくるまって寝るのが日常だったのに。


「あ、起きた?」


 窓辺に立っていたのは、ヘーゼル色の長髪を緩く束ねた男――ヴェルジリオだった。


「ここは……」


 言いながら少年は辺りを見渡した。こぢんまりとした石造りの部屋。

 飾り気のない部屋には木のテーブルと、何台か寝台が置かれている。雨はすっかり上がったらしい。差し込む陽光が部屋全体を明るく照らしていた。


「十二街区のオルキス聖堂だよ。さすがにこのままの状態でホーラの館に連れて行くと問題になりそうだからね」


 いつの間にか着替えさせられたのか、少年の服装は白いシャツに黒のズボンにかわっている。服をめくると、やはり白い包帯が幾重にも巻かれている。


「……アンタが聖火騎士って本当なのか?」


 少年のぶしつけな問いに、男は気を悪くした様子もなく笑った。


「疑ってるのかい? 身分証明書なら持ってるけど」

「そういう意味じゃなくて……」


 頭の奥から、ない知識を引っ張り出す。

 聖火騎士――それを束ねる組織、聖火隊は王都グラ・ソノルの治安維持組織だ。

 聖王と法典の名の下、聖火騎士は正義を謳い、悪を断罪する。

 品行方正と名高い彼らは、日々国民の平和と安全を守るため、各地を巡回ししている。時に犯罪者の巣窟へ突入し、命の危険さえ省みずに己の使命を全うする姿は子供にとって憧れの存在であり、同時に国民的英雄でもあった。

 そんな真っ当な組織に、なぜ自分を入れようとするのか。


「なんで、聖火隊に俺なんかを入れようとするんだよ」


 とてもではないが、自分に似合うとは思えない。そんなきらきらと輝いた綺麗なもの。

 十三街区とは名ばかりの貧民街で打ち捨てられた浮浪児を聖火騎士にしようだなんて、この男は何を考えているのだろう。百害あって一利なしだろうに。


「才能あると思うんだけど。どっちも」

「……どっちも?」

「あ、そこに食らいつく?」


 わざとこぼしたとしか思えない彼の発言に食いつけば、ヴェルジリオはあっさりと暴露した。


「最初からそのつもりで連れてきたから白状するけど、聖火隊には福音省と呼ばれるものが存在する。聖火騎士の大半は存在すら知らない。知っているのはお歴々の方々とそこの所属する関係者だけだ」


 話の流れから察するに、その福音省に所属してもらいたいということらしい。


「その福音省は何をするんだ?」


 端的な問いかけに、ヴェルジリオは困ったように苦笑した。


「犯罪者の処刑」


 この上なくシンプルな答えだった。

 数秒、言葉の意味をとらえかねて黙る。


「俺に、裁判の後に行われる死刑執行人になれってわけじゃあ……」

「ないな」


 思っていた通りのヴェルジリオの回答に、少年はお決まりの疑問を一応投げてみる。


「王都グラ・ソノルには法典という唯一無二にして神聖な書物が存在すると思ったんだが?」


 王都グラ・ソノルには法典というものが存在する。

 道徳の基盤であり、法律であり、倫理と正義をつかさどる。彼もしっかりと読んだことはないが、概要ぐらいは知っている。

 そして、法典では殺人は非とされている。

 その正義を司るはずの聖火騎士が、死刑でもなく命を狩るとはどういうことだろうか。法典を擁護し遵守する立場である聖火騎士が人殺しを容認し、容認するどころか実際に手を下している。


「……幻滅した?」


 どこか試すような物言いだった。

 どうやらお上も真っ黒だったらしい。それもそうか、十三街区の存在を許すような政治家ばかりなのだから、とあっさり納得する。


「いや。むしろ、ろくでなしばかりで安心した」


 嘘偽りない本心を告げてやれば、ヴェルジリオは少しだけ慌てたように言い直してきた。


「誤解のないように言っておくけれど、聖火隊の九割八分は何も知らない善良で真っ当な騎士だから。というか所属している残りの二分も正義感あふれる騎士ばかりだから」

「十三街区なんていう境界線を引いた上の奴らはどうだか」


 皮肉気味に言い放つ。

 十三街区。王都においてその名は特別な意味を持つ。都市の無法地帯にして唯一の歓楽街。少年少女がもてなす娼館が連なり、ほかにもフリークスショー、ストリップショー、賭博場など、法典で禁止されている遊びがここでは何でもできる。

 元は戦時下に、傭兵や犯罪者たちを丸ごと閉じ込めた檻のようなものだったわけだが。

 そして、ここからがさらに問題なのだが、公的に十三街区は王都グラ・ソノルの都市として組み込まれていない。そこで例え何があったとしても、誰も知らぬ存ぜぬを貫き通す。要するに打ち捨てられたゴミ捨て場のことなど、どうでもいいのだ。そこに住む人間が死のうが生きようが。

 少年はあっけらかんと言い放った。


「つまり、アンタは俺に人殺しさせるためにあそこから連れ出したってわけか」


 とんだ死神に拾われたものである。それでも、あのゴミ溜めでただ死んでいくのに比べたら、ずっと愉快な人生ではあったが。


「そういう身も蓋もない言い方をされると困るんだけど」

「いくら上辺取り繕っても変わらねぇだろ」


 どうでもよさそうに少年は手を振った。


「ごめんね。でも、君を拾ったのは、それだけじゃあないよ」

「じゃあ、なんでだ?」

「可哀想だから、かな」


 憐みの目を向けて、同情したように。まるで捨てられた子犬を見るように、ヴェルジリオはひどく優しい表情をしていた。


「あのまま、君を放って行ってしまうのはとても簡単なことだ。けど、なんでだろうね。それがとても酷いことに思えたというか……まあ、こうやって連れて来ても、結局は酷いことをしたことには変わりないのだけどね」


 多分、この男は人並みの情も優しさも持ち合わせた人間なのだろう。人の命を狩ることに胸を痛めながら、それでも最大限の誠実さを持って少年に応えようとしている。……まともな感性を持っているかは別にして。

 同情されたことに、不思議といら立ちは募らなかった。


「……なあ、アンタ」


 ふと、呼びかける。


「ヴェルジリオって名乗ったのだから、名前で呼んでもらいたいところだな」

「じゃあ、ヴェルジリオ――」

「まあ、すぐに先生と呼び名を変えてもらうけれど」

「おい」


 煙に撒かれたような気分で、それでも少年は問いかける。


「こんな話をするぐらいだから、アンタも福音省なんだろう?」

「そうだね」

「……なんでアンタは人殺しをするんだ?」


 素朴な疑問だった。

 純粋に誰かを憐れむような目をしながら、「可哀想だから」という理由で少年を助けてしまう。

 もちろん、ヴェルジリオにも理由や目的があるだろう。実際、自分の後継者になって欲しいと彼は言った。

 だが、それだけではないというのは今の彼の瞳で、言葉で、声で、わかってしまった。

 この世の悲しみ全てを憂いているような目をした男は、何を思って人の命を摘むのだろう。


「……可哀想だから、かな」


 悲しげに瞼をそっと伏せながら先ほどと全く同じことを言う。可哀想だからという理由で人を助け、可哀想だからという理由で人を殺す。殺される側からしてみれば、殺される方がよっぽど可哀想だと思うのだが。

 同時、何となく理解する。

 一歩間違えば、自分は出会った時点でヴェルジリオに殺されていた。可哀想だから、というシンプルな理由で。


「じゃあ、なんで俺を生かした?」

「……羨ましかったからかな?」


 まるで、もう手に入らないものを求めるような羨望のまなざし。

 何かを夢見るような、あるいは懐かしむような。一体、この男は自分に何を重ねているのだろう。


「……ごめんね」


 その謝罪が何に対するものなのか、わからなかったが。

 謝りながら、相手に苦しみを与える姿は、昔の記憶の女を彷彿させた。「愛している」と言いながら少年の首を絞めたあの女を。そして翌日には、子供みたいに泣きじゃくりながら、女は謝るのだ。

 多分、この世界に純粋な善意とか愛とか優しさなんてものは残っていないのだろう。愛と狂気が、優しさと残酷さが、善悪がごちゃ混ぜになって、もうどちらがどちらなのかわからない。

 そうやって、生も死も愛も狂気も全て曖昧で矛盾した世界で、それでも生きていくのだろう。

 ヴェルジリオが少年に手を差し出した。


「まあ、色々あるだろうけれど、とりあえず、よろしく」

「ああ」


 そう言って、少年はゆっくりと差し出された手を握り返した。


「ところで、君の名前は?」

「リュシアン」


 一呼吸おいて。


「リュシアン・ヴェルブレシェール」


 そう名乗った。


 ――その後。

 聖火騎士としての任務より、ヴェルジリオの修行の方がよほど地獄だったというのは、ここだけの余談である。

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