Ton.16 移りゆく、逢魔が時の狭間で

 現れた予想外の人物にリュシアンは心底ぽかんとした。


「こんなところで、何してるんですか」


 それはこっちの台詞だ、などと内心で返しつつ、リュシアンはひとまず状況を見守ることにした。


「なんだぁ?」


 その場にいたゴロツキ風情が凄味をきかせて、突然現れたティアを睨む。

 だが、ティアは動じもしなければ怯むこともしなかった。愛嬌のある顔立ちに凛としたものを乗せ、告げる。


「たった今、人を呼びました。今すぐその人から離れて、この場から立ち去ってください」


 リュシアンはティアを白けた気分で見ていた。場違いにもほどがある。

 ティアの言葉が効いたわけではないだろうが、男の一人がリュシアンから離れてティアに近づこうとする。

 男はにやにやと笑いながら薄汚い手をティアに伸ばした。


「お、よく見りゃ上玉じゃ――ん?」


 手を伸ばせばティアの顔に指先が届くという距離までやってきたところで、男の動きがぴたりと止まる。一拍遅れて、男は膝をついて倒れた。

 気絶して倒れた男の背後に立っていたのは、リュシアンだった。その手には鞘がついたままの剣が握られている。

 一挙動で間合いをつめ、男の首筋を強打したリュシアンに、ティアは混乱したようだった。昏倒した男とリュシアンを交互に見比べて目を白黒させている。


「え、え、え?」


 リュシアンはほとほと呆れ果てたように、ため息をついた。


「ったく、オマエは本当に何をしてんだか……」

「お、お前っ」


 ようやく事態を認識したらしい男たちが、遅れてリュシアンの方に振り返った。


「まぁいいや。予定とはちと違ったが、一人目は不意を突けたってことでよしとする」


 そう言って、リュシアンは一呼吸で近くにいた男の一人に肉薄すると、剣を持った手を大きくふるった。無骨な男の顔面に剣の柄がめり込む。派手に殴られた男は吹き飛ぶと、近くの壁に叩きつけられた。

 そこで男たちも状況を把握したらしい。本格的に臨戦態勢に入ろうと構える。各々、男たちは懐に手を伸ばすと、そこからゆっくりとナイフを取り出した。

 じりじりと、男たちがリュシアンを取り囲むようにゆっくりと距離を詰めてくる。


 先に動いたのは男たちの方だった。

 リュシアンの斜め後ろにいた男が、息を殺してリュシアンの背後から襲いかかる。

 だが、男のナイフがリュシアンに届くよりも早く、男の下あごにリュシアンの靴底が命中。後ろを見もせず、リュシアンは襲いかかろうとしていた男に綺麗な蹴りを入れた。男から「がっ!」という苦悶の声が上がる。

 それを合図に次々と襲いかかってくるごろつきのような男たちを一人、また一人とすらりとした脚で蹴り飛ばしていく。

 助けに来たはずのティアは呆然とその場に立ち尽くしている。

 リュシアンが背後を振り返りながら右足を振るう。それは、リュシアンの横にいた男のでっぷりとした腹を軽く陥没させたようだった。ぐぎぇと蛙を潰したような妙な音と共に男はあっけなく背中から後ろに倒れた。

 背後で誰かが立ち上がった気配を感じて、リュシアンは半身をひねった。

 よろよろと打ち身や擦り傷を作った男の一人が、それでもこちらにナイフの切っ先を向けてなんとか立っている。

 男は震え声で尋ねてきた。


「き、貴様は一体何者だ!」


 その問いに。


「――聖火騎士だ」


 堂々と答え終えた頃には、リュシアンは男の分厚い横隔膜に鞘のついた剣の先をめり込ませていた。男があっけなく昏倒する。

 いともたやすく十人弱の男たちを転がしたリュシアンは、手のひらの汚れを払うように両手を叩いた。

 足元に転がっている男たちに目もくれず、ティアを見る。


「つか、ティア。なんでオマエがこんなところにいるんだ?」

「なんでって……」


 ティアは路地に倒れている男たちを気にしたように見てから、


「仕事が終わったから、これからホーラの館に戻るところだったんですよ。そしたら、リュシアンさんが変な人たちに連れてかれるのが見えたから……」

「で、気になって追ってきた、と。オマエも大概お節介だなぁ」


 するとティアは言い訳でもするように言葉を募らせる。


「だ、だって、リュシアンさんが危ない目にあったらどうしようって思って」

「その理由はオマエらしいっつっちゃ、オマエらしいが……」


 それにしたところで、昨夜の今日でリュシアンを助けようと思うだろうか。リュシアンがティアの立場だったら、議論の余地もなく絶対に助けない。

 そもそも、リュシアンは訓練を受けた聖火騎士だ。その辺の野盗崩れや荒くれ者に負けるわけがないことはティアもわかっているはず。


「……まあいい。それよりも人を呼んだっていうのは本当か?」


 ティアは嘘がばれた子供のように目を逸らした。


「いえ、あれは、えっと……でまかせです」

「は?」

「そう言ったら、さっきの人たち引き下がってくれるかなーって思って」

「おいおい……」


 真っ直ぐで素直なのが取り柄な少女と思ったら、こういう搦め手のようなこともするのか。


「でも、その前にリュシアンさんがあの人たちを倒しちゃったので、あんまり意味なかったですけど。っていうか、リュシアンさんこそこんなところで何してるんですか」

「仕事だよ仕事。囮調査してたんだ。嘘なら、ちょうどいい。仕事の続きするか」


 そう言ってリュシアンは落ちていた適当なナイフを拾い上げると、寝転がっている男に向けて振り上げた。そのまま振り下ろす。

 痛みか、それとも耳をナイフで突き刺されたことへの衝撃か。どちらとも判別のつかないショックで目覚めた男が悲鳴じみた声をあげる。


「ぎゃああああああ!」

「リュシアンさん!?」


 悲鳴のようなティアの声をからっきし無視してリュシアンは続ける。


「さて、尋問の時間だ。おっと、耳を切り落とされたくなかったら動くなよ。あと悲鳴もあげるな。騒がしくするってんなら、先に喉を切り裂いてやってもいいが?」


 それを聞いた男の顔から、さぁと音を立てて血の気が引いていく。

 血液が逆流したように青くなった男は馬鹿みたいにがくがくとうなずいた。


「あと、動くなっていうのは、オマエも一緒だからな、ティア」

「……それは一体どういう意味ですか」

「コイツのことを思うんだったら、そこから一歩たりとも動くなっていう話。オマエが動いてもコイツの耳は切り落とすからな」

「な……っ」


 愕然と目を見開いたティアが反射的に動こうとするのを見て、リュシアンは牽制するように強烈な一瞥をくれてやった。ティアの動きが制止する。

 立ち止まったティアが小さくぼやいた。


「……なんていうか、エルスがリュシアンさんのことを詐欺師って言うのもわかる気がします」

「そこ、本音が盛大に声に出てんぞ」


 指摘してやる。ティアは非難とも諦めとも取れる口調で言ってきた。


「だって、傍目からみたらどっちが悪人かわかんないですよ、これ」

「あのな、俺だって鬼でもなければ悪魔でもない。協力的な相手には誠意ある態度で臨むぜ? もちろん、非協力的な奴には相応の対処も辞さねぇけどな」


 語り口は優しげだが、リュシアンの目は全く笑っていない。

 耳にナイフを突き立てられた男がうめくような声をあげた。


「お、お前は……一体……」

「何者かっていう質問なら、さっきも答えたが聖火騎士だ」

「騎士……? お前みたいなのが……? 世も末だな」

「世界なんてはるか昔から世紀末だとは思うけどな。さて、質問その一」


 リュシアンは石畳から一枚のラベルを拾い上げる。男の横に立ち、その目の前にラベルを突きつけた。


「この薬物は一体なんだ? 見たところ絵はハーブにもよく似てるが……」


 そう言いながら視線で先を促す。

 男は口を真横に結んだまましゃべろうとしない。

 リュシアンは男の腹の上に足を乗せて体重をかけた。


「ぐっ……て、定期的に摂取を続けることで、神経が麻痺していく薬だ。そして、やがて死に至る。少なくとも今まで服用した奴は、そうだったらしい……。中には幻覚を見たり凶暴になったりするような奴もいたらしいが」

「なるほど。じゃあ、次の質問だ。オマエらはこの薬をどうするつもりだ。今まで謎の変死体が出ていたのは十三街区のみ。それは、麻薬を流してたのも十三街区に限定していたからだだな? それは、この薬があくまで試験的な段階だったからと推測するが。今が試験的な段階なら、完成した際には、こいつをどうするつもりだ」

「……売るんだよ」


 端的な答えにリュシアンの中に疑問が浮かぶ。


「そりゃいいが、死人が出たらすぐに事件になるぜ。……って、んなこと言われなくてもわかってるか」


 思い直し、質問を続ける。


「なら、どこの誰に売るんだ?」

「……アドニス病院の患者たちにだ」

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