Ton.15 虚ろなる命の残骸

 そして時刻は夕刻になった。

 十二街区にいくつか点在する古い木造の建物。宿のような建物の入り口には、傾いた木の板が貼り付けてある。


 ――『閉鎖』。


 無人宿になってから十年は経過しているだろう。

 壁からは塗料が剥げ落ち、屋根の一部は地面までずり落ちている。窓という窓は割れ、折れ曲がった窓枠には雑草が絡みついていた。

 まさしく廃屋と呼べる建物を、野太い男の怒声が震わせる。


「ああ? ノイクラーを探ってる奴がいるって?」


 もたらされた報告に、ラキオはテーブルを殴りつけた。卓板と足が悲鳴をあげる。


「ひ、ひゃいっ」


 それは告げた者も同じだった。貧しい身なりの小男――潜伏していた情報屋の一人である。彼はラキオに手に入れた情報を知らせにきたのだが、怒りを買っただけだった。

 もう夕刻であるため、廃屋の中は薄暗い。といっても、集まった大勢の男たちのシルエットが目視できるほどの薄暗さだが。


「ど、どこからかぎつけたのか、十二街区の薬局をかたっぱしから聞き込みをしているようです」

「ここまでたどり着ける様子とは到底思えないが、放置しておくには、少々考えものだな」

「野郎、しくじりやがったな」

「っざけんな!」


 ラキオは激昂のまま腰の剣を抜いた。気にせず鈍色の刃を振り下ろす。


「ひぎぃっ!」


 蛙を潰したような声が響き、しかし血しぶきはない。鈍色の刃は、小男の隣にあったテーブルに振り下ろされた。テーブルが無残にも両断される。


「どんだけ手間かけて慎重にことを進めてきたと思ってやがる。あいつらのクソ細かい指示にまでイチイチ従って、ぐだぐだ続けた苦労と成果が、こんなところで漏れたらシャレになんねぇぞ。やっと取り付けた取引をおじゃんにするつもりか!」

「お、落ち着いてください、ラキオ様!」


 周りの者たちが制止しようとするが、まるで届かない。ラキオの振るう剣は棚や椅子を端から切り刻む。止めようと伸ばされた腕までも、だ。


「ひぃっ!」


 ラキオの剣で腕を斬られた男が血しぶきの走る腕を押さえながら一歩後退した。

 後退した男と入れ違いになる形で別の一人が前に歩み出る。


「お、お願いですから、お気を鎮めてくだせぇ!」

「やかましい! 元をたどれば、ぜんぶテメエらのせいだろうが! へべれけの奴に渡しちまって! そいつさえあれば今頃はそいつの中身を解析してだなぁ!」

「落ち着け」


 凶行をみかねて諌めたのはガルシォークだった。彼は音もなくラキオの背後にたつと、振り上げられた剣を持つ手首をつかむ。


「問題はこれからどうするかだ。そうじゃないのか」


 冷水でもぶっかけられたようにラキオの動きが止まる。見た目からではわからないが、ガルシォークの手には相当な力がこめられているらしい。その証拠に彼の手の甲に青筋が浮かび上がっている。


「けっ、んなこたぁ、わかってんよ」


 悪態を返しながら、ラキオは剣から力を抜いた。がらんと音がして、剣が床を滑る。そのまま彼は苛立ちを隠しもせず、乱暴に座り込む。

 恐ろしく静かな声でガルシォークは小男に聞いた。


「それで、その嗅ぎ回ってるネズミはどんなやつだ」


「は、はい。二十歳ぐらいの線の細い男です。どこか上流階級の子息かもしれません。自分にはそう見えました」

「ふぅむ、ぼんぼんのお坊ちゃんが好奇心でヤクに手を出したってところかね」


 そう言ってラキオは立ち上がった。


「おい、どうするつもりだ」

「あ? どうするかなんて決まってんだろうが。嗅ぎ回ってるやつをとっ捕まえんだよ」

「まだ、昨夜の人物から情報が流出したという証拠もないぞ」

「んなもん調べなくても。テメエだって、そう思ってんだろ、ガルシォーク」

「否定はしない。だが、調べているやつが囮という可能性も否定できないだろう」

「こいつが言うには、薄幸の美青年だそうじゃんか。そんなやつに、んな真似できっかよ。なぁに、ちょっと痛めつけりゃ口を割るってもんだ」


 まっとうな考えも、冷静な意見も、ラキオはすべてを切り捨てた。怒りに猛る赤い瞳には報復の想いしか宿っていない。


「お前はまだるっこしく考えすぎなんだ。お前らも上の奴らも。なぁに、嗅ぎ回ってるのはそいつ一人だけなんだろ。なら、速攻で片付けりゃいいじゃねぇか、おい」

「は、はい?」

「ネズミは今どこにいる? それぐらい調べてあんだろ?」

「え、ええ。今は十二街区のオルジェ通りにある薬局を調べているとか」

「そんだけわかってりゃ十分だ。行くぞ」


 ぞろぞろと子分たちを引き連れ、ラキオは小屋を出た。

 ガルシォークもやれやれといった風に後に従う。

 十一街区にやってきた彼らは、もう一人の情報屋の小男と合流した。

 小男は、薬局に入ったまま外に出てこない青年を待ち構えているらしい。ガルシォークらは、なるべく無関係を装って広場のオベリスクの周りにいる人々の間に紛れ込む。そこから薬局はよく見える位置にあった。

 すると、薬局から一人の青年が出てきた。


「あ、あいつです。あいつが例のやつです」


 小声で小男がラキオに耳打ちする。

 まだ若い美青年だった。ほっそりとした見た目は、虫も殺せなさそうな、という表現が似合いそうである。

 青年は地図を広げてなにやら考え込むようにあごの下に手を当てている。それから、広場から離れるように右に歩き出した。このあたりの薬局はすでに調べ終わったのかもしれない。


「どうします?」

「……まずは追跡だ。隙を見て接触するべきだろう」

「んな待ってられっかよ」


 ガルシォークの慎重な提案を無視して駆け出したのはラキオだった。急ぎ足で青年に近づくと馴れ馴れしくその肩を抱く。一拍の不自然な間を置いて、青年の肩がびくりと震えた。


「よう、兄ちゃん」

「い、いきなりなんですか?」


 ラキオのあとに続くようにガルシォークや他の男たちも追いかける。すでにこの状況が私刑を思わせる構図だ。知らぬは本人ばかりだろうが。


「なにやらこそこそと探し回ってるみてえだが、もしかして、探してんのはこいつか?」


 そう言ってラキオは懐から一枚のラベルを取り出した。ラベルには細かい蕾がたくさんついた植物が描かれている。

 ラキオの揺さぶりに青年はあっさりうなずいた。


「ええ。まさに、それを探していたところなんです」

「こいつが欲しいか?」

「はい、喉から手が出るほど」

「いいぜ。ただし。こっちの質問に二つ三つ答えてくれたらだけどな」

「いいですよ。それぐらいなら」

「素直でいいことだ。ちょっと場所を移すぜ」


 ぞろぞろと男たちは移動を開始した。

 そうして彼らがやってきたのは、十三街区に近い場所にある路地裏だった。

 逃げ場のない路地にやってきた途端、これ見よがしに、青年が、はぁと、息を吐く。どうやら呆れているようだ。先ほどまでの大人しそうな態度とは打って変わって、人を小馬鹿にしたような俗悪的な雰囲気を醸し出す。

 急に彼はこんなことを言いだした。


「嗅ぎ回ってたらのこのこ親玉っぽいのが出てくるんじゃないかとは思ってたが、こんなに早くお出ましとはなぁ」

「は? なに言ってやがる、てめえ」


 もとよりいらだちを募らせていたせいもあっただろう。青年の挑発的な台詞にラキオは、怒りのまま青年の胸ぐらをつかんだ。

 そこへ。


「待ってください!」


 割って入ったのは甲高い少女の声だった。

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