Ton.11 スターバト・マーテル 悲しみの聖母

「この国では、ある一定基準以上の犯罪を重ねたり、犯した奴らには即死刑が適用される」

「裁判もなく?」

「ああ。諜報員によって調べられた後、そいつは処刑リストに載る」


 その処刑リストに載った対象を確定対象と呼び、リュシアンたち福音省に所属する聖火騎士が処刑を担う。


「どうして、捕まえないんですか」

「刑務所が足りないから」


 間髪入れずに返す。


「この国は、オルドヌング族との戦争の後に起きた三強国による大戦の時、そのへんの傭兵崩れや野盗とかを丸ごと吸収して兵士にした」


 四百十年前、オスティナート大陸を統治していたオルドヌング族と人間種族の間で一つの戦争があった。

 戦争は、オルドヌング族が地上から跡形もなく消えることで終結した。

 すなわち〈極夜の灯〉。大陸全土を照らした謎の光の柱。オルドヌング族が消滅するきっかけ。

 そして、戦争が終結して間もなく、統治者を失った人間種族同士が争いを始めた。

 リュシアンが言っているのはその時の大戦の話だ。


「大戦後、事後処理が大変でな。倫理も道徳もない奴らばっか一時的に国民にしちまったもんだから、戦後この国は無法地帯となった」


 改めて考えてみれば虫のいい話だ。しゃべりながら冷静にそう思う。


「王都は、傭兵たちを国の治安が低下するからという理由で十三街区に追い込み、他の区と完全に分断した。――知ってるか? 公式的に王都の都市とされている部分は十二街区までだってことを」

「え……?」

。もちろん、例外はあるし、何かの事情で最下層に追い込まれた奴であっても上の方で暮らせる奴もいる。どっちにしても、墓所である〈死満ちる箱庭〉に収容すらされないまま下の方へ追いやられた奴らは、公的に存在しないことになっている。要するに、死んでも生きていても問題がないんだ」

「そんなのって……」

「だからといって皆殺しにするのは流石に問題だし、別に積極的にこちらから手を出す理由もない。十三街区でこちら側に迷惑をかけない範囲で好きに暮らす分には別に構わないからな」


 あっけらかんとした口調はどこまでも軽い。軽薄と取れるほどに。


「だから、十三街区を抜け出したり騒ぎ起こしたりしてる犯罪者のみ、即処刑する方向へ法律がシフトした」

「じゃあ、刑務所から脱走したら死刑にされるっていうのは……」

「実際には捕えられても刑務所から脱走してもいない、ただ一定以上の犯罪を重ねたばかりに処刑されることが確定した奴らを始末するための表向きの理由」

「……!」


 犯罪者のリストを管理してるの、福音省だし。

 声には出さずにリュシアンは内心でつぶやいた。


「野放しにして他の国で事件起こされたら国際問題だからな。後手ではあるが、問題の芽は早く摘む方がいい。国としては上々な判断だよ」

「でも!」

「むきになるなよ。実際問題どうしようもないだろ。殺人を犯すような犯罪者にいたっては、見逃したところでどっかで新しい犠牲者出してとんでもないことになるだけだ。まぁ、その分追っかけ代の賞金は増えるわけだが。犠牲者の数だけ金貨が天秤に乗っけられるっていうのも皮肉な話だよな」


 ティアが思い切り眉を吊り上げた。


「さっきも言ったがむきになるな。オマエがどうこう言っても変わんねえよ」


 一通り話を終えたころには、東の空は天青石を溶かしたような美しい淡青色の光が差し込んでいた。


「……あなたは、どう思ってるんですか?」

「ん? 何が?」

「犯罪者を殺すことに対して。仕方がないと、放置すると新たな犠牲者を出すからと、そう思ってるんですか」

「違うね」


 すかさず返せば、ティアは不思議そうに小首を傾げて見せた。


「……じゃあ、何のためにこんなことを?」

「俺のため――うーん、金のため?」

「……は?」


 ものすごく意外だったのだろう。ティアは口を半開きにして、間抜け面をさらしている。

 リュシアンは世間話でもするかのようにべらべらとしゃべりだした。


「なんつーか、聖火騎士って金回りがいいんだよな。犯罪者の経歴に応じて労働報酬が増えるし、それなりの危険手当もつくし。もてあました戦闘技術を持った俺にはいー感じの就職先だ。ついでに何かむしゃくしゃしたときに、犯罪者を殺しても罪に問われるどころか賞金をもらえてしまうという」

「ちょ――ちょっと待ってください!」


 焦ったようにティアが割り込んできた。


「何だ?」

「あなたは、それだけのために人殺しをしているんですか!」


 非難というよりむしろ驚愕だろう。素っ頓狂な声で、彼女は目を丸くしている。


「ああ。金のため――というより、俺のため? どっちでもいいや。似たようなもんだ。金が全てとまでは言わないが、俺にとっての現時点での最優先事項には変わりない。俺が聖火騎士として犯罪者を殺すのは、人の為でも正義の為でも、ましてや聖王の為でもない。究極的に言えば俺の生活費のためだ」

「な――」


 絶句するティアをよそに、リュシアンはとどめの一言を放った。


「日々生活するには糧が要る。じゃあ、その糧とは何か。答えはいたってシンプルだろ」


 一層のこと清々しいほどに断言して見せれば、少女は面食らったように口をパクパクさせている。衝撃で言葉を失っているらしい。

 だが、彼女はなんとか声を絞り出してくる。


「……違う」

「違う? ああ、金と命を天秤にかけるなって言いたいのか? あるいは、金で命は取り戻せないとかそういう感じの?」

「ちが……いえ、そうだけどそうじゃなくて!」

「だが命の値段は変動制相場だ。身代金で助かる命もあるしな。そして価値観と同様、その国、その地域、その人が持つ思想、考え方で白にも黒にも、ゼロにも一億にもなる」

「それでも!」


 ティアが急に声を荒らげた。その後、今にも消え入りそうな声で。


「二度と、失われた命は返ってこないんです……。何をしても、絶対に」

「確かにそれも事実だが、そこは俺が考えるべき領分じゃない」


 ぎり、とティアが歯を食いしばる音が聞こえた。

 そんな彼女を見ながら、リュシアンは毛ほどにも満たない落胆があるのを感じていた。


 しょせん、この程度か、と。


 エルスが傍にいることを許した人間がどのようなものかと思ったが、結局は年頃特有の正義感をこじらせて反発することしかできない子供だ。

 彼女に対する興味が急激に失せていくのを感じながら、リュシアンは頭に手をやった。


「オマエ、あれだな。どうにもならないことを割り切ることもできず、そこにある悲劇から目を逸らすこともできず、何もできずいることが悔しい奴」


 図星を指摘されたように、ティアが息を飲むのがわかった。


「そうした何もできない自分を認めたくなくて、罪悪感を薄めるために走り回って、それで何か一つでもできたら、そりゃ満足だろうな。ただし、そいつは、自分の自尊心を保つための、偽善にも似た自己満足に過ぎねぇけど」


 リュシアンは口の両端を嘲笑うようにつり上げた。


「といっても、人間、そういう偽善を愛にリパッケージすることも大事だと思うぜ? そうした役にも立たない満足感ややりがい、しいては利他的な自分に陶酔することができれば、例えどれだけ結果が悲惨だとしても、過程に言い訳を作れるからな」

「あなたは――っ!」


 魂を震わせるような激しい叫び声とともに、白く細い手がリュシアンの目の前を閃いた。


「他人を侮辱することしかできないんですか!?」


 ティアの平手打ちをリュシアンは首を横に向ける程度の小さな動作でかわす。そのまま振りぬかれたティアの細い手首をつかんで自身の方へ引き寄せた。

 きっと、ティアがリュシアンを睨みつける。翡翠色の瞳が美しいと思った。

 次の瞬間、怒りでかっと頬を紅潮させたティアが反対の手を振り上げる。

 それを、もう片方の手で受け止め、正面から足払いを仕掛ければ、バランスを崩したティアが背後のベッドに背中から倒れる。ベッドに沈んだ細い身体に伸し掛かるようにしてベッドに上がり、両手首を片方でまとめあげて顎をつかむ。


「ずいぶんとお転婆なもんだ」

「離っしてください!」

「オマエは人に殴りかかることの危険性をまるでわかっていないらしいな。特に男相手にこんな真似してみろ。普通だったらただじゃすまねえぞ」

「殴りかかったら、殴り返されるぐらいの覚悟はありますよ!」


 火を噴いたように叫び返してくるティア。

 リュシアンは一気に白けたように半眼になる。


「そういう意味じゃねぇんだが……。まあいい」


 飽きたように手を放してティアを解放する。


「とにかくそういうことだ。こればかりはオマエがいくらぎゃんぎゃん騒ごうが変わんねえよ。諦めるこったな」

「……それでも、人が人の命を奪うということは、その人の未来を全て奪うということです。その人が手に入れられたかもしれない幸せや喜びも全て奪うなんていうのは、」

「それは殺された被害者にも適用される言葉だな」

「……っ」


 ティアが悲痛とも悔しさともつかない様子で瞳を歪め、ぎゅっと拳を握りしめる。


「だから、俺たちは犯罪者を狩るんだ。被害者をこれ以上増やさないためにな。それとも、オマエは犯罪者を野放しにしろっていうのか?」

「そんなこと言ってません! そもそも、リュシアンさんたちが処刑する犯罪者はそこまでして処刑しなければならない危険な人たちなんですか?」


 リュシアンはにやっと笑った。挑発的な笑み。


「半分ぐらいの犯罪者はそこまでする必要はねぇだろうな」


 ぐっと拳を握ったティアが立ち上がる。

 リュシアンは彼女を鋭く一瞥した。冷たい視線にティアが一瞬息を飲む。


「だったら、殺さずに捕らえて云々言うんだろうが、さっきも言っただろ。刑務所が足りないってな。そんでもって、たとえ刑務所の数があったとしても、王都グラ・ソノルの側に犯罪者を捕えるつもりがなければ無意味だ。いいか、これ以上はやめだ。平行線でしかねえからな」


 それを聞いたティアは震える拳をゆっくりと解いた。それから靴を履いてベッドから離れようとする。

 リュシアンは彼女を呼び止めた。


「おい、どこへ行くのもオマエの勝手だが、今日はこの部屋に泊まれ」

「泊まれって、私の部屋はここじゃないですよ? それに、一緒の部屋にいたら、いけないんじゃあ――」

「さっきの処刑騒ぎで、押し寄せてきた他の聖火騎士にオマエの部屋は別の奴に使われてんだよ」


 最初にティアをホーラの館カリディア支部に連れてきた責任として、事件に巻き込まれたティアの面倒をリュシアンが見る。そういう理由で、アルフィナを無理やり納得させ、リュシアンは彼女と同じ部屋にいることを許されている。

 アルフィナは事後処理のため、既にここホーラの館カリディア支部から離れている。


「それに、ここでオマエを真夜中の危ない夜道に放り出したら、俺はアルフィナに真面目に上半身と下半身を切断される」


 冗談めかすように、少しだけおどけたように言う。

 だが、ティアはベッドから離れるように足を踏み出した。


「おい?」


 やっぱり、出ていくつもりか、とリュシアンは思った。

 しかし、ティアは首を振って否定してきた。


「別に出ていきませんよ。ただ、ソファで寝ようと思っただけです。これでも一応、厄介になってる身ですし」


 それは意地というより、お人好しの彼女が生来持つ自然な配慮なのだろう。なんとなくそんなことを思った。


「年下に気を遣われるほど落ちぶれちゃいねえよ。いいからベッドで寝ろ」


 そう言うとティアは反論してこなかった。ゆっくりとした足取りでベッドに戻ると、こちらに背を向けて毛布をかぶる。

 やがてティアの方から規則正しい寝息が聞こえてきたところで、リュシアンもソファに腰かけると目を閉じた。すぐに眠気が襲ってきて、彼の意識を黒く塗りつぶしていく。

 すでに夜が明け、東の空から太陽が昇ろうとしていた。

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