Ton.10 聖人君子のような詐欺師、天使の姿をした死神
時計の針が時を刻む音が響いていた。
ホーラの館の一室に戻ってきたリュシアンは窓際に身を寄せていた。部屋のベッドの上で、金髪の少女――ティアが寝ている。
既に時刻は夜更けをだいぶ過ぎていた。無音のような静けさが闇に広がっている。
それでも、朝一番で働き出すパン屋の店主が動き出す気配をリュシアンは何となく窓の外から感じていた。鬱屈とした暗い夜が過ぎ、日の出と共に朝がやってくる。
それは夜を蠢く犯罪者たちが光に怯えて息を潜め始める時刻でもあった。
もぞ、とベッドの上でティアが身動きする気配があった。
「……あれ、私……」
ティアがむくりと体を起こした。まだ意識は判然としていないらしい。ぼんやりとした顔で部屋を見渡している。
「目が覚めましたか?」
安心させるようにリュシアンはやわらかく微笑みかけた。
「私……どうして、ここに……」
「あなたが意識を失って、ホーラの館の通路で倒れていると連絡を受けたので、ここまで運んだんです」
「私が意識を失って……倒れて……」
「ええ」
「……私、私が――わたしは――リュシアンさんに意識を失わせられて?」
しっかりとした声でティアが言い直す。
どうやら先程のことははっきりと覚えているらしい。瞳は正気に満ちていて、リュシアンの適当な嘘にごまかされてくれる様子はない。
すっかり覚醒したらしいティアがまっすぐにリュシアンを見つめる。
「私は、リュシアンさんに気絶させられた後、ここに連れてこられたんですよね?」
リュシアンはばつが悪そうな気配を見せてから、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
まだ、聖火騎士リュシアン・ヴェルブレシェールとしての対応は崩さない。
「申し訳ありません。体の方は大丈夫ですか?」
「……平気です」
静かな声でティアが答えてくる。
しばしの沈黙を置いた後、ティアは顔をうつむかせたまま、こんなことを言い出した。その拳はぎゅっと握りしめられている。
「……初めはエルスが何を言ってるのか、本当にわからなかったんです。どう見てもリュシアンさんがエルスの言った通りの人とは思えなくて。でも今ならエルスの言ったことがわかる気がします」
「というと?」
ゆっくりとティアがリュシアンの方を向いた。どこまでも澄んだ翡翠色の瞳がリュシアンを捕えて離さない。
「『聖人君子のような詐欺師、天使の姿をした死神――リュシアン・ヴェルブレシェールとはそういう人間だ』」
エルスの台詞をそのまま繰り返したのだろう。初対面の相手に言えば、ケンカを売っているようにしか思えない発言はティアのものとは思えない。
そのことに腹を立てるでもなく、逆に楽しそうに口の端を釣り上げた。
そこでようやく、リュシアンは気遣うような優しい笑顔を冷笑へ変える。
「詐欺師とはアイツも言ってくれる。ったく、随分な台詞じゃね?」
ついでに口調も変えてやる。
落差に驚いたのだろう。ティアがぽかんと口を半開きにする。
「どうした?」
これしきのことで、と揶揄するように言外に含ませる。
だが、ティアはいかにも納得という風にうなずいてみせた。
「いえ、……なんていうか、こういうのもあれなんですけど、そっちの方が似合ってますよ」
リュシアンは意外そうに眉を上げた。
「へぇ、慈愛の塊みたいな笑顔が似合うと定評な俺なんだけどな。ついでに硝子よりも繊細な心を持っていることでも有名だ」
「エルスはそのへんに生えてる雑草か、南の方の台所に生息してる黒光りして触角がついた節足動物なみにふてぶてしい生命力と精神力を持った生き物だって言ってましたけど」
アイツ、いつか
「まあ、俺への用事を頼まれるってぐらいだから、アイツとは、それなりの信頼関係はあるんだろうなって思ってたが、結構仲良しみたいじゃねぇか。どうやってアレに取り入ったかご教授いただきたいもんだね」
「ちょっとした事件で偶然出会って、その事件が終わるまで一緒に行動したぐらいですよ」
「ふぅん……」
どうにも控えめな表現しかしないティアにリュシアンは挑発を試みた。
「誰もが振り返る清楚可憐な顔で迫ったのか? お綺麗な顔をしながら、やることやってんのな」
ティアがきょとんとする。言葉の意味がわからない、といった風に。
実際にわかっていないらしい。ティアは不思議そうな顔のまま首をひねった。
「……エルスは相手の見た目がどうだからって態度は変えないと思いますけど」
「おーけー。オマエがそっちの方面に疎すぎるってことがわかった」
「そっち?」
「超鈍感天然危険人物と推察されるオマエには当分縁のない話だ」
「どう考えてもそれ、褒めてませんよね」
「おう」
悪びれずにうなずく。
ティアががっくりと肩を落とした。そのままうつむくように、視線を下に逸らしている。脱力したまま、というわけではなく言いたいことがあるのに言えないらしい。
リュシアンは尋ねた。
「どうした」
ティアが静かに、だがはっきりとした通る声で問いかけてくる。
「……どうして、あの人を殺したんですか?」
意外にも非難はなく、代わりに深い海のような悲しみとやるせなさだけが込められていた。
「そりゃあ――」
言いかけて、ふと困る。端的に説明しようと思ったのだが、どうしても話が長くなりそうだ。
「仕事だからだ」
考えた末、口から出てきたのは、ありきたりな言葉だった。
「仕事……? 暗殺とか?」
「意外と物騒な単語知ってるのな。エルスの影響か?」
「でも、聖火隊は街の治安維持のための組織なんでしょう? それで、犯罪者を捕まえたり街でもめ事が起きた時に対応したりとか」
「それも仕事の一つだ。王都にいる犯罪者は捕らえられて裁判にかけられ、罪状に応じて判決が下る。無期懲役から死刑、罰金とか色々な。そして、判決が下った後、イレギュラーが起こることがある」
「イレギュラー?」
「刑務所に入れられた後、逃げられる」
窓の外から見える東の空が、うっすらと光を吸い込んで紺色になり始めるのを眺めながら。
「刑務所からの脱走は極刑に値する。俺らはそんな風にして脱走した奴らを追っかけて、その場で処刑しているわけだ」
「合法の殺人なら許されるっていうんですか」
「そこまでは言ってねぇが……ま、否定はしない」
軽く言い放つも、ティアは硬質な表情を崩さない。
「極端なこと言えば合法の殺人で死体が一個転がるか、非合法の殺人で死体が一個転がるか程度の違いだ。どうせ死体が一体出来上がるんなら、世間様にとって有益な方を選ぶべきだろ」
「どうして犯罪者を殺すか、放っておくかの極端な二択しかないんですか」
「オマエさっきの話聞いてたか? 俺が追いかけてんのは、死刑判決が下ってるやつか、脱走したばっかしに死刑になっちまった奴らだ。もう一回捕まえたところで何の意味がある」
「もしそれが本当なら、私にはわざと逃がしているとしか思えません。……死刑と決められた人はともかくとして」
まさかそこを指摘されるとは思わず、リュシアンが小さく瞠目する。
「聖火隊は……〈十二騎士〉は古都トレーネの〈宮廷法術士〉や帝都カレヴァラの〈盤上の白と黒〉に連なる三大精鋭だって聞いてます。そんな人たちが犯罪者を捕まえて、簡単に取り逃がしてしまうとは思えません」
印象通り、お花畑な脳内と砂糖菓子のような甘い思考で出来てたらよかったのに。リュシアンは面倒くささから舌打ちをかましそうになった。
「そりゃ、こっちにだってミスぐらいあるさ」
けろりと嘘をついてやれば、ティアの翡翠の瞳に真っ直ぐ射抜かれた。
「……オーケイ。小手先の嘘は通じねぇってか」
これはいよいよ厄介な方向に話が向かっているようだ。
リュシアンは覚悟を決めたように、あるいは諦めたように、ふぅ、と息を吐きだした。
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