Episode 13

 ── やってしまった……!



「はぁっ……はぁっ……うっ」


 動悸がどこか詰まったような、苦しさ。発情期にこんな症状があるなんて知らなかった。今までは発情期の度に家に独りで籠るばかりで、外に出ることもなかった。だから知らなかったし、知ろうとも思わなかった。幼い頃から発情期の度に閉じこもって生きるよう言われてきた。こんなこと ── してはいけなかったのだから。思い切り走り終わって近くのビルに入ると、苦しさのあまりしゃがみこまざるを得なかった。


「あ……ぐ……」


 思考が落ち着いてくると、これがただの発情期の症状ではないことに気付いた。



 ── これは……発作だ……



 発情期に伴う発作ではない。有が精神的に持っている発作だ。食欲不振の症状が出ている時点で、気付いて冷静になるべきだった。有自身が分かっていなくても、有の心はSOSを送っていたのだ。

 まずい、と思っても家路につく気にはなれなかった。心は落ち着かないまま ── 透に拒絶された ── それだけがぐるぐると有の心を駆け巡る。そしてそれを信じられないまま、追い掛けてきてくれなかったことばかり気にしている。次第におかしくなりそうなほど早くなっていく鼓動と、吸っても吸っても足りない酸素に、パニックを起こしていた。

 しかし現実は映画やドラマのようにはいかない。苦しむ有を助けてくれる人は誰もいないし、助けの連絡も来ない ── 何せ有は財布も携帯も持っていないのだ。緩い部屋着の裾から入ってくる冷たい風が肌を刺す。それはより一層に恐怖を煽り、有は既に過呼吸を起こしていた。


 ── どちらにせよ帰らなければ


 結論に辿りついて立ち上がった矢先のことだった。立ちくらみ ── というレベルのものではない。電撃が走ったかのように、頭がガツンと岩に打ち付けられるような痛みが有を襲う。突然の激しい痛みに、声も出ず崩れ落ちる。その時、やっと理解したのだ。これは命に関わることだったのだ、と。あの時、いくら羞恥を覚えても、絶望を覚えても、絶対にあの部屋から出てはいけなかったのだ。こんなところで死ぬわけにはいかないのに ── こんなところで。

 オメガは身体的にも精神的にも不安定にできている。そんなことは昔から分かっていたのに、自分の思い上がりで大事なことを忘れていたんだ。幸せなこと続きで、自分が生まれながらにしてもった「枷」を忘れていた。その重みを忘れて走り続けることは、それ即ち「死」を意味する。


「……っ」


 声も出ず、助けも呼べない。倒れ込んだ有は、決して目を瞑るものかと必死だった。今自分が目を瞑れば、もしかしたら ──

 そんな意志とは裏腹に、瞼は次第に重くなる。あぁ、駄目だ。僕はもう、僕はもう。

 深い眠りに落ちていくのが分かった。身体がスッと下に降りていくような感覚 ── 今まで感じていた冷たい床がなくなって、下へ下へと落ちていく。何だか身体が温かい。

 するといきなり何か響くような音がして、遠くでこだまするように声が響いた。



「 ──! ──!」



 ── 誰か叫んで……?



「 ── 」



 ── よく聞こえない、でも聞いたことのある声だ。優しくてよく通る声



「……と……る……?」


 同時に、誰かに抱き上げられたような感覚がした。これは夢なのかもしれない ── 大勢の天使が僕をふわりと浮かせて、天国へ誘っているのかも。そんなことを考えていると、ふと眠くなった。正確には「眠い」とは違った感覚なのだが、言葉にするならこれが最も近いであろう感覚だ。

 その眠りにつく前、透の手で撫でられた感覚を思い出した。あの手でもう一度、髪を梳かすように撫でられたい。でもそれは ── 叶わない願いになってしまったんだな。今にも泣き出しそうな気持ちだった。でも、涙は出なかった。好きだよ、透。大好きだった。




    微睡んで、意識が途絶えた。

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