助け合い

加湿器

助け合い

 母親が帰ってきた。ごく当たり前の顔をして帰ってきた。


 母親が出ていった原因は不倫。一回り下の男に惚れ、そのまま離婚に踏み切った。不倫のことは何も知らせず、十年間離婚したいと言い続けた母親は、それを理由に離婚をせがんだのだ。


 父親は初め渋った。当然といえば当然だ。長年連れ添った嫁が理由も言わず離婚届を目の前に突き出したのだ。困惑するのが当然だろう。ああ言えばこう言う、そんな押し問答の末、離婚は成立した。それもまた、当然なのだろう。


 父親は常日頃から、母親と離婚したいと言っていた。その原因は母親の金遣いの荒さだ。この母親は致命的なまでに金の管理が出来なかった。まず給与が入ってやることは、パチンコに行くこと。そしてだいたい負けて帰ってくる。勝った時は娘の私にLINEをする。今日は外食に行こう、と。それは五ヶ月に一回程の頻度だった。だから五回に四回は負けてたのだろう。

 そしてその無くなった金の補充先。それが私の学費。母親にとって、私の学費は光熱費だった。


 私は全ての学費を借り入れていた。家に金が無いことは分かっていた。だからこそ、全額借り入れ、両親からは一銭も貰わないように工面してきた。私が全額返すのだから、と。

 その学費を無断で使っていた。口座を一緒に作って貰った時に、暗証番号を覚えたのだろう。それと通帳を使って下ろしていたのだ。

 私がその事実に気づくまでに一年かかった。今でも覚えている。初めて自分で学費を払う緊張感。高校と違って大学は高額だ。金のなかった自分には夢のような金額を動かす、その高揚感。そして、窓口で言われた。


 金額が足りませんね。


 失望感よりも深い闇。ショックよりもさらに重い衝撃。血の気が引くという言葉を、その身をもって思い知らされた。そんなことは無いはずだ、と何の関係も無い窓口係のお姉さんに叫んだ。ならば、とお姉さんは口座の履歴を見せてくれた。そこには六ヶ月間で数回に渡り、何度も金を下ろす見覚えのない履歴がそこにあった。


 私は大学生だから、学費が払えなければ大学に通えない。母親に問い詰めた。

 学費が足りないんだけど。そう言った時、母親は笑いながら答えた。

 そりゃそうよ。使ったんだから。電気が止まりそうだったから借りたの。後で返すから待ってて。助け合うのが家族でしょう?


 そして金は無事に返ってきた。全額とは行かずとも、学費を払えるだけの金額は返ってきた。期限日には間に合わず、学費延納届けを出したその一ヶ月後の話だ。母親は笑っていた。

 間に合って良かった。これで貴方の夢を応援出来る。早く国家資格を取って私に楽をさせてね。今は私が頑張るからね。

 そう言って笑っていた。屈託もなく。


 その数日後、妹が深刻な顔でわたしに頼み込んできた。交通費が足りないのだという。

 何故かと問う私に、妹は母親に今までのバイト代を全額奪われたのだと言った。

 母親は使い込んだ学費の補填を、高校生の妹から毟り取っていた。妹は気前が良い。悪く言えば押しに弱い。だから困っていると一つ涙を零せば、嫌でも貸すのだろう。その金が、一生返って来ないと分かっていても。妹はいつもそれを嘆いていた。今回も、そのせいで。

 その日は高校生として未来ある妹に、私は交通費と弁当代をあげた。泣きながら礼を言う妹が、ただただ不憫だった。


 自分の給与はギャンブル代へ。私の学費を光熱費へ。そしてその学費の補填を妹のバイト代にしていた母親は、家族の食費に常に困っていた。父親はそんな母親の金遣いの荒さを見かねて、自分の金だけは死守をし、母親とは一切会話をしなかった。

 そのため、母親は闇金に手を出した。また己の務めていた会社の同僚から金を借りては辞め、また会社を務めて金を借りては辞めを繰り返していた。


 私は大学三年生になり、自分で口座を作った。母親の手の出しようのない口座だ。通帳はネットから見れるため、紙媒体ではない。これで嘘をついて引き出すことすら出来ない。何故もっと早くに行動に移さなかったのかを悔い、この方法を妹にも教えた。

 母親と名のつく詐欺師から金を守る。これだけで、自分の欲しいものが買える。携帯は止まらない。娯楽品が手に入る。交通費が無くて学校に行けないなんてことは無い。妹と私は手を取り合って喜んだ。


 私が口座を作ったその二ヶ月後、母親は不倫した。愛人と私は仕事仲間だった。派遣で働いていた私は、妹経由で愛人を知った。その愛人が言うには、家族に捨てられたから貴方だけが頼りだ、と言ったらしい。

 金を貸して貰えない。金がなくて困ってる私を、家族は誰も助けてくれない。家族は助け合うものなのに。私は家族に捨てられた、と言ったそうだ。


 学費を無断で引き下ろすこと。妹からバイト代を奪い取ること。それは母親という人間は「助け合い」と呼ぶらしい。それを教えた愛人は苦笑いよりの引きつった笑みを浮かべていた。

 ありがとう。愛人はそう言った。教えてくれてありがとう。彼女のことは、僕がなんとかするから、頑張るよ。彼はそう言っていた。


 離婚が成立。母親が逃げるように家を出て二か月後。母親は愛人と別れたらしい、と風の噂に聞いた。

 原因は愛人からの暴力。どうせ、助け合いと称して金を剥奪していたのだろう。むしろ殴られただけで済んでよかったじゃないか。

 私は、人として有るまじき思いを胸に、無関心を装っていた。関わらない、参加しない。口にしない、関心を持たない。そうやって私は心を守っていた。


 しかし一応離婚の原因は父親に教えた。それだけは父親が不憫だったからだ。父親は怒り狂った。訴えると叫んだ。その怒りは一ヶ月程続き、母親を責め立てる電話を毎日のようにしていた。受話器越しからは母親は泣きながら謝る声が聞こえてきた。泣く演技だけは上手い女だ。すぐにバレる嘘を重ね、自分が被害者に見えるように、必死に取り繕っていた。それが私の母親だった。


 しかしその父親の怒りとて、一ヶ月しか続かなかった。怒鳴り散らしていた声が消えた。次第に楽しげな声に変わった。話を聞くに、愛人と別れた母親は、新天地で昔の同僚に出会い、その縁で新しい施設へ務めることとなったらしい。

 父親は喜んでいた。これで真っ当になると。「助け合い」のために消えた金のことなど、眼中に無い。返済はちゃんと出来るから安心しろ、と言った。

 この二十年間、出来たことなど一度もなかったのに。だから闇金の取り立てが家に来た。ガスが止まった。電気が止まった。電話が止まった。家賃の催促のために大家が来た。水道が止まった。食べるご飯が無かった。


 それでも父親は楽しそうに通話する。相手は「助け合い」が好きな母親だったもの。仕事は出来てるか、楽しいか、相手に迷惑をかけていないか、今生きるための金はあるのか。そんな取り留めもない普通の会話を、している。


 そして昨日、母親が帰ってきた。ごく当たり前の顔をして帰ってきた。

 顔も見たくない私は部屋に帰る。その扉が閉まる途中。母親は言った。


「助けてくれてありがとう」

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