道化師の僕と心の奥底
綿麻きぬ
鏡のそいつ
「なんで何も言わないんだよ」
そう叫んで、僕は目の前の鏡を力いっぱいに叩き割る。鏡に写る自分にはひびが入った。
鏡の中の自分は悲しそうな顔で微笑み、口を動かした。
それは聞こえなかった。けれども聞こえていた。
事の発端は鏡に向かって自問自答していたことだろう。
『お前は何者だ』って。
そして、一週間前に動き出した。鏡の中の自分が。
最初は違和感だった。自分の顔はこんなにも悲しそうな顔をしていたのだろうかと。いつも自分は笑顔の絶えない人間のはずだから。
その悲しそうな顔は今でも忘れられない。全てを受け入れ、全てを諦めたような顔だった。
そして僕が固まっているとそいつはしゃべりだした。
「初めまして、君の分身だ。君が心の奥底に隠してしまった者だよ」
それに僕は恐怖を感じた。それは『鏡の中の自分がしゃべった』ということよりも『隠していた者が出てきてしまった』ということに。
ここで少し僕のことについて語ろう。自分を一言で表すとすると道化師だ。偽りの仮面を被り、時と場合によって仮面を使い分けて皆を楽しませる。
いつの頃からだろうか、こんな生き方を始めていた。きっと他人が勝手に自分のことを肯定してくれることに、自分で自分を肯定せずに済むことに、甘えていたのだろう。
そんな僕は一杯の仮面を持っている。多種多様などんな場面でも応じれるように。だけどその仮面たちを使い分けていたら、どこかでズレが生じてくる。それはボロとなって僕の首をゆっくりゆっくりと締めていく。
そして僕は自分が何者か分からなくなって、鏡に向かって自問自答した。
そんな時にそいつは現れた。
そいつは僕が心の奥底に隠してしまった者だと名乗った。多分それは本当なのだろう。僕の限界が現れてしまったのだろう。
本当の自分というものが埋もれてしまったから、そいつはそれを教えに来たのだろう。周りから認められるだけが全てじゃないと、自分で自分を肯定できるということを。
だけどそれは僕がこれからを生きていくには不都合だった。そいつの一言、一言は僕の仮面を無理やりに剥がそうとする。
そして、なんとか保っていた自分はもう消えていた。
そんな中、今日を迎えた。
道化師の僕は最後の仮面を外した。僕の素顔は初めにみた鏡の顔だった。
その顔を見て、悟った。いつからだろう、こんな顔を奥底に隠し持つようになったのは。きっと僕が成長したからなんだと。
僕は自分が何者なのか、自分を肯定する術をなくした。
それに気づいた僕は叫んだ。そして鏡を割った。
それから鏡の僕はただの鏡に写った僕になった。他の生き方を知らない、いや、他の生き方を選ばずに僕はもう一度仮面を被った。
道化師の僕と心の奥底 綿麻きぬ @wataasa_kinu
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