二月に勝った時の話


「懐かしいな」

「年寄りみたいなこと言わんでよぉ」

 ウォーターサーバーから二人分の飲み水をグラスに入れて、土曜日の夜のテレビ前に並ぶ。

 テレビが見たいわけではない。ただ、何か話をしてからその次に進みたいだけだ。初音は今日、朝から夜までのシフトで、さっきご飯を食べてお風呂に入ったばかり。ぼうっとつけたテレビは子役がたくさん出てくるドラマをやっていた。初音が懐かしいなんて珍しい。

「なになに?」

「苦痛を思い出しとったんよ。あんたはさして苦労もしてなさそうじゃけえ」

「言ってくれるね。でも私、これでも本命落ちよ。それで広島まで通わんといかんかった。電車通学、ボッケえキツかった」

「あたしも似たようなもんじゃわ。呉からは遠かったな」

「やたら動物とぶつかってダイヤ乱れるじゃろ」

「それよ」

「快速って言いながらほぼ各停の」

「本数もねえのな」

 忘れがちだが、私と初音は中学の同級生だった。受検をしなければ入れない学校で、三年間だけ同じ校舎に通った。私は内部進学で高校へ、初音は外部受験で地元の高校へ。それ以来消息がつかめてなかったのに、就職してすぐに広島で再会したのだ。陳腐な言い方だがこれはもう運命というか、自分たちの意思だけではない何か大きな力のようなものを感じる。そう簡単に人との縁は切れないというか、私が長いこと吹っ切れなかったのにも理由があるのだろうと思うことだ。

「別の学校受けたんか」

「そう。県内のもっと近いとこ。今は中等教育学校じゃ、って地元もまあまああるんじゃけど、私の頃は田舎の私立しかのうて。それも関西の方から練習で受けにくるけえ、本命で受けても落ちるんよ」

「試験日程がな」

「そう。二月に受けられるところ、うちの学校しかなかった」

「こういうのした?」

「したした。質問、いつ行ってもおる子とか、弁当一緒に食べるグループとか、懐かしいねぇ」

「昔から女に嫌われとったんやねえの」

「うるっさいな。当時はお弁当一緒に食べる友達くらいおったが。まあ、その子らは本命に受かって、私は受からんかったけん、その後は知らんけど」

「ふーん」

「そういう初音は? まともに塾通い出来たん?」

「出来んかったけ、親父の知り合いに家庭教師で来てもろうたんよ」

「期待裏切らんねえ」

「でも一瞬、通塾もしとった。でもあそこ受けたい言うたら、面倒見きれんて言われた」

 水を飲み干した初音の喉が動く。普通に、アウトサイダーでいた時代が長い女はそういうことを言う。中学受験といえば最も多いのは女子校だ。私は初音がまかり間違って、広島のどこかの、名門女子校に通っている姿を想像した。笑えるくらい不似合いだ。塾で机を並べて勉強する初音の姿はいつまでも想像できない。同じセーラー服を着て、同じ校舎に机を並べたことすら、今となっては奇跡のように思える。

「結局あたしは大学受けんかったけえ、これでよかった。フラフラしとったらあんたとこうなったし」

「嫌そうに言うし」

「別に嫌やねえけん、こうしとるんじゃろ?」

 ぐっと距離が詰まる。無垢な子供たちが画面の中で切磋琢磨して、大人になった自分たちが思い出話に花を咲かせていただけなのに、何かのスイッチが入って急に別のことを考える羽目になる。私は初音の薄い色の目をじっと覗き込んだ。元々の色なのに、あの時は変なコンタクトでも入れてるのかなって思った。不良でドロップアウト組の同級生、私の初恋の人。今は私の生涯の恋人。一歩間違えば出会わなかったかもしれない人。

「テレビ消さん?」

「気が散るか」

「やなくて〜〜〜寝室ちゃんと行こ」

「優等生は堅苦しいなあ」

「思ってもねえこと言うじゃろ」

 すでに飲み干している初音と違って私はまだまだたっぷり残量を残しているグラスを持った。優等生、なんて久々に言われるし、その時代の私で印象が止まっている初音と私の過去が、適度に美化されていることを悟った。離れ離れの七年間のことは、言った方がいいのか。それとも言わなくていいのか。少しだけ迷いながら、リビングの電気を消した。

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