共寝のよる
彼女が寝ぼけて抱き着いてくるとき、弄るような手つきがあたしの鎖骨を掠め、肋骨を摩り、最終的に起伏の少ない胸に落ち着く。ありもしない膨らみを宥めるように、そっと丘陵を盛り立てるように、丹念にネイルを施した指先がTシャツ越しに往来する。寝るときに下着は付けない。反応しないと言えばうそになるが、相手の意識がないので馬鹿みたいに感じてはいられない。黙ってやんわりとその手を退ける。
手を拒まれたのが不快だったのか、そのまますりすりと頭を寄せてきた。洗いたての髪、乾きたての髪は艶っぽい女の香りがする。シャンプーと言うのは上手く作られているのだ。官能のスイッチを入れ、なんでもない人間をその気にさせる、お手軽な媚薬。……まあ、シャンプーを使ってすぐの人間とそういう距離にいる時点で、ある程度は了承済なのかもしれない。どうなるかということが、どうしたらいいのかということが。
男のように逞しくはないが、並みの女よりは肩幅があった。こういう時の自分はやはり中途半端だ、と思う。男にしては華奢で、女にしては骨張っている。嫋やかさと逞しさの狭間で、あやすように女を抱いている。あたしに抱かれる彼女は何処を切っても瑞々しい女そのもので、全身が女という属性を生々しく物語っている。彼女を見て男かと問う人はいない。ただの女、そしてとびきりの女。あたしにとっては。
胸の膨らみがなくても、声が高くても、それ以上でもそれ以下でもない。多喜はいつだったかうっとりとあたしの眼を見ながらそんなことを言った。あたしが覚えてすらいない遥か昔からあたしに惚れこみ、あたしを追っ掛け、あたしが高校に上がらず別の学校へ進学すると言った時も、彼女は泣いて、笑って、ぐちゃぐちゃの心を何も繕わずに見送ってくれた。優しい女だった。でもあの時は愛しいと思わなかった。女を愛しいと思うことを、あのときのあたしは知らなかった。
優しい、と人を評することと、愛しい、と人を想うことは似ている。人の優しさに気付けるのは、自分がその人に興味を抱くところから始まる。興味のない人間がいくら善行を積もうと自分には関係がない。
だから、多喜のことを優しい女だと思った時点で、あたしの負けだった。多喜の優しさが無上の深さに注がれるのは世界中であたしだけなのだから。
好きだ、惚れている、愛しているといくら言葉を並べるよりも、枕を並べる方がいくらか雄弁だ。花の香りが鼻腔を支配し、柔らかな髪が胸に広がり、嫋やかな手が無意識にあたしを弄り、縋りついてくる夜に、どんな愛情でもってこの愛を否定することが出来るだろう。
何を根拠に、何を理由に、この無防備な想いを拒めるだろう。
あたしは多喜に堕とされた。女同士で睦み合い、愛し合う地獄へと、この日本で生きていくにはあまりに辛いところへ手を取られ、脚を断たれた。いつまで続くかもわからない、幸せかどうかも定かでない世界へ。だがそれを後悔したことも、悩んだこともない。ただあたしが想うのは、この女の優しさがいつまであたしに向けられるかと言うことで、いつまであたしを欲しがってくれるかと言うことで、それはまるで経験のない男が恐る恐る年上の女を愛する所作に近い。米湊先輩は以前、あたしを自分に似ていると言った。本当にそうだ。愛する女の前ではみんな誰しもこんなものだろう。彼女を愛する。女を自分の手で女に変えるとき、永遠に断ち切ることのできない迷いがそれだ。
多喜はあたしに対してそう思うのだろうか。眠る横顔の無防備さに、あたしはどうにも居た堪れなくなって食べるように頬に口づけた。柔らかで、温かで、ふわりと居心地の良さが具現化したような味がした。
愛しいあたしの彼女。こうして縋りついてくる夜を、いつまでもあたしの五感が覚えている限り、どんな未来が待っていても構わない。
人を愛しく思う。それだけで涙が出る。愛することは、つらく、苦しく、それでいて味わったことのない甘さがある。甘い涙の味を、教えてくれたのは彼女だった。
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