きせつのかわりめ
一年を共に過ごしていると、相手の挙動に季節感を感じる。例えば、うちの場合だと朝方に目覚めが悪くなって、あたしの方が先に起きるようになるともう冬だな、と思う。冷たく冷えた足を擦り合わせるように脹脛を蹴ってくる。足の甲で乱雑に蹴り飛ばすのではなく、足の裏でやわやわと、まるでタイ式マッサージのように心地よく蹴る。その蹴ってくる足が女らしく愛らしいサイズで、あたしは蹴られながら足まで可愛い、と阿呆なことを想うのだった。それが冬の萌芽だ。
「それを言うなら。初音が寝ぼけて抱き着いてこなくなったら、もう夏なのねって思うよ」
「いつでもせんよ。みっともねえ」
「うっそ。冬場に人で暖とりょるよ。それが、5月も半ばになったら寝とる間に人のことほかしよん。あたしは湯たんぽやねえて言よるが」
「がーがー言い始めた。あんたほんまに怒ると岡山弁なんじゃねえ」
「放っといて」
からかうと溜息をついて、食器ごとキッチンへ逃げてしまう。恋人は聡明で思慮深く、一方気分屋で短気だ。くるくると猫のように変わっていく、機嫌の一瞬を見極めて口説かなければならない。面倒だが、この面倒さがまた愛らしい。女は気分屋なくらいが愛しいのだ。滅多にはいないと思うが、気分屋な女を甘やかしたがる女も世の中にはいる。あたしのように。
「初音は暑いのが嫌いなんでしょう。すぐ汗かいてる。ライブ中も、あんなの水被りすぎてほぼすっぴんじゃない」
「誰も顔なんぞ見とらんけえ、ええの」
「汗かきだよねえ。大体汗だくだし、汗があたしの方に落ちてくるし」
「不服かね。あんたが寒がりなんじゃろ、冷房つけたらすぐ寒い寒い震えてよ。あんなに動いてようさむがっとれるな」
「下世話よ。朝なのよ」
勢いよく流水音がシンクに叩き付けられる。照れているから、手が動く。これが本当に怒っているときなら、作業する手を止めて目の前のに仁王立ちになるのだ。恋人の生態が掴めるようになるのは楽しい。楽しいが同時に、わかりやすすぎて愛しさが勝つ。どうするんだ、まだ朝なのに。あたしはすっかり冷めてしまったコーヒーを啜って気持ちを落ち着けた。このあときっと、自分で洗えと怒られるマグカップの底を見透かすように眺める。
多喜の肌はひんやりと冷たい。表面が陶器のようで、つるりと指の腹に引っかかるものがなく、窪みも、くすみも、黒ずみもない。太い弦を押さえるのに慣れた指が、一定の強度で撫でるといい音を出す。低く押し殺した声。ベースからはとても出ないような甲高い声。
「何考えてんの」
「はっ」
「どうせよからぬことでしょ」
「偏見じゃわ」
「うっそ。汗かいてる」
「……暑うない?」
「肌寒いわよ」
悪戯っ子の笑みを浮かべる多喜はいつもの優等生な面影が鳴りを潜めていた。あたしの前でだけ見せるその子供らしさに満ちた笑みは、もしかしたら無意識のうちに脹脛を蹴られていた今朝も、あたしが知らないだけで浮かべていたのかもしれない。
***
という話を恋人とした、という話を古い知り合いにしたら、知り合いは電話の向こうで声を上げて笑った。
『いいね、そういう惚気。僕のところは1年通して傍に居るなんてことがないから』
「いまの彼女さんは日本なんですか?」
『こっちへ来てくれないからね』
「呼べばいいのに」
『一歩を踏み出すのが怖いんだよ。可愛いだろう』
「御馳走様です」
旧友の兄は、旧友自身よりまだ電話がつながりやすい。仕事がらと言うか、呼び出しに慣れているのでちゃんと対応してくれるのだ。
珍しく前と同じ恋人の話をされたのは、最近その友人に彼氏ができたらしい、という話をしたのがきっかけだ。友人は会うたびに恋人が変わっているが、その兄である電話の相手もまた、半年続かない人種だった。彼らは生存確認がまんま新しい恋人の報告と前の恋人との別れ際になる。愉快な人たちだ。それが変わり映えもなく、というのが珍しかったのだ。
『寒い朝や、暑い夜は、どうなるのかまだ知らないからね』
「半年続かせればいいんですよ」
『さぁね。取り敢えず唯子には取り次いでおくよ。きっとあの子のことだから予定をやりくりして帰るだろう。全く、君たちの代は仲が良い』
「行くたびに同級生が結婚してますよ」
『それは僕の方が刺さるね』
ちっとも刺さっていない口ぶりで、そうして電話は切れる。わたしがオフで電話をする数少ない男性。彼の言う恋人の足は、とてもなんとなくだけど、冷たい気がした。そして、冷たい冷たいとその足を大事そうに摩っている気がした。冷え性の妹の手を握ってやっていた小学生時代を思い出す。あれから何度の冬が廻ったのか、結局それは数えることすら怖くて、わたしはそっとスマホの画面を落として鞄に入れた。
同窓会が迫っていた。年末、という文字がちらつき始める11月も半ばのことだった。
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